NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/18


赤地友哉(人間国宝) AkachiTomoya 

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 あかじ・ゆうさい。明治三九(1906)年一月二四日~昭和五九(1984)年六月三〇日。
 石川県金沢市の檜物師(ひものし)の家に生まれ、小学校卒業後、塗師(ぬし)の新保幸次郎に師事したのち上京し、塗師の渡辺喜三郎に師事。昭和二(1927)年に独立してからは高級茶道具を制作しながら、生家の技術を生かした木地の曲輪(まげわ)造りの技法を考案した。
 大小の曲輪をそれぞれ漆塗りまで完成させてから組み立て、同心円で表現するもので、伝統漆芸に明快な機能美を導入して高い評価を得た。
 昭和四七(1972)年紫綬褒章受章、昭和四九(1974)年重要無形文化財「髹漆(きゅうしつ)」の保持者認定、昭和五三(1978)年勲四等旭日章受章、昭和五五(1980)年日本文化財漆協会会長に就任。
 ひたむきな情熱と研鑚で新たな造形を開拓し、塗りに徹した人生は、伝統工芸の継承と創造を世に問うてやまない。代表作に「黒漆黄彩盛器」、遺作の「曲輪造毬形喰籠」などがある。
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2008/2/25


中島宏(人間国宝) NakajimaHiroshi 

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 なかしま・ひろし。昭和一六(1941)年、佐賀県武雄市生まれ。中国の陶磁器でも最も難しいとされる青磁(せいじ)一筋に作品を作り、伝統をそのままコピーするのではなく、独自の「中島青磁」を確立したことが高く評価され、平成一九(2007)年九月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 磁器を焼く窯元に育った氏は、泥だらけになる家業を好きになれなかった。転機になったのは、父親に連れられて始めた窯跡の調査だった。「青磁なら自分の存在感が出せる」と進む道を決めてからは、窯跡を歩き、文献をひもとき、手探りで研究を続けた。常に白紙からスタートするという姿勢で臨み、中国青銅器や印象派の絵から、技法のヒントを得ては試行錯誤を繰り返してきた。
 氏は「より良いものを作らなければ、世間も自分も納得しない。原点に立ち返り、青磁とは何か自問自答したい。見た人の琴線に触れ、使う人の情が移るような作品を手掛けたい」と語る。原点回帰と創造へのこだわりが、人を感動させる作品を生み出していく。
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田村耕一(人間国宝) TamuraKouichi 

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 たむら・こういち。大正七(1918)年六月二一日~昭和六二(1987)年一月三日。日本の陶芸家で、鉄絵の変化を取り入れた絵付け技術が高い評価を得た。
 雛人形師だった田村林次の次男として佐野市に生まれる。昭和一六(1941)年、東京美術学校図案科を卒業後、大阪府商業学校教諭として赴任。昭和二一(1946)年、京都の松風研究所に入所。この研究所の顧問で大先輩の富本憲吉から直接指導を受け、その体験が後の創作への考え方や工芸観に大きな影響を与えることとなった。
 昭和二三(1948)年に郷里の佐野へ帰り、赤見窯の創業に参画。昭和二八(1953)年から自宅に四袋の登り窯を築き、本格的な作家活動に入った。
 酸化鉄を用いて釉下に文様を表す鉄絵を得意とし、また青磁銅彩など磁器においても独自の発想にて新境地を切り拓いた。一貫して鉄釉の変化を取り入れた絵付けを中心に展開し、昭和六一(1986)年に重要無形文化財「鉄絵」の保持者(人間国宝)に認定された。
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近藤悠三(人間国宝) KondouYuuzou 

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 こんどう・ゆうぞう。明治三五(1902)年二月八日~昭和六〇(1985)年二月二五日。日本の陶芸家で、陶磁器染付の最高峰と称される。
 京都生まれ。一二歳のときに京都市立陶磁器試験場付属伝習所に入り、卒業後は同試験場で助手として勤務した。一九歳の頃、イギリスから帰国して大和に窯を構えた富本憲吉の助手として師事。 素地や釉薬(ゆうやく)などの技法だけでなく、製作に対する心構えについても修行を積んだ。三年後に独立、生家近くに構えた窯でひたすら研究を積み重ね、技を磨いた。五四歳で岐阜県多治見市で、美濃焼の一種である志野焼を研究。以降は染付の製作に専念した。
 「つけたて」と「ぼかし」を基調とした筆遣いによって濃淡を表し、ザクロや梅などをモチーフとした絵画的な作品を生み出した。さらにその後、赤絵や金彩の技法を用いるようになり、華麗で品のよい独自の作風を確立した。
 昭和五二(1977)年、重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定された。
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三浦小平二(人間国宝) MiuraKoheiji 

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 みうら・こへいじ。昭和八(1933)年三月二一日~平成一八(2006)年一〇月三日。日本の陶芸家。
 佐渡の小平窯という無名の窯元、三浦小平の長男として誕生。昭和二六(1951)年、父の勧めで入学した東京芸術大学在学中に陶磁器の道に入り、卒業後は青磁の伝統技法を学んだ。
 数回にわたり中近東や東アフリカ、アジア諸国を巡り、各国の磁器の研究や自らの作品づくりに励んだ。特に、古代中国の皇室御用達であった南宋官窯に強い影響を受け、これを目標としながら研究を重ねた。
 その結果、佐渡の赤土を下地とした器に青磁釉(せいじゆう)をかけるという独特な技法を開発。さらに、青磁の一部に豆彩(とうさい)の技法を用いて人物や風物を絵付けして作風を確立した。器そのものの形にも感性が反映され、その現代的な感覚は、陶芸の世界に新風を巻き起こして注目された。
 平成八(1996)年に紫綬褒章を受章。平成九(1997)年には重要無形文化財「青磁」保持者(人間国宝)に認定された。
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塚本快示(人間国宝) TsukamotoKaiji 

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 つかもと・かいじ。大正元(1912)年一二月一四日~平成二(1990)年六月一〇日。陶芸家で、世界陶磁の宝といわれる中国白磁(はくじ)・青白磁(せいはくじ)の再現に成功した。
 岐阜県土岐市の製陶を家業とする家に生まれ、一五歳で父を助けながら作陶を始める。戦後、陶芸デザイナーの日根野作三に師事し、クラフト風な磁器の制作と平行して中国陶磁の研究に励んだ。主に目標としたのは、中国北宋時代に製作された白磁・青白磁である。
 白磁・青白磁は透明な釉薬(ゆうやく)をかけるため、白い陶肌を生む陶土が必要不可欠。そのため、日本のみならず世界各地で陶土を捜し求めた。
 三六歳の頃、古陶磁研究家の小山冨士夫が著した『影青記』に感銘を受け、自らの技術を更に磨き精度を高めていった。特に、陶土がまだ乾き切らないうちに竹のヘラなどで刻まれる片切り模様の精緻さと優美さは、他の追随を許さなかった。
 昭和五八(1983)年、重要無形文化財「白磁」「青白磁」保持者(人間国宝)に認定された。
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金重陶陽(人間国宝) KaneshigeTouyou 

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 かねしげ・とうよう。明治二九(1896)年一月三日~昭和四二(1967)年一一月六日。岡山県出身の陶芸家で、昭和三一(1956)年、備前焼の陶工として初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 和気郡伊部村(現在の備前市伊部)に生まれた陶陽は、備前焼の窯元であった父・楳陽に陶技を学ぶ。二二、三歳の頃には、その技術の高さが近隣の窯業地帯に知れ渡り、村まで引き抜きに訪れる者がいたほどだったという。
 初めは細工物を制作していたが、後に桃山備前の研究に取り組み、ついに予期しない色を生み出す「窯変(ようへん)」を人為的に作ることに成功。桃山備前を現代に甦らせた。また、昭和七(1932)年にはろくろによる作陶を開始、以降は茶陶を中心とする制作を続けた。
 有田焼や九谷焼などに押されて人気を失っていた備前焼を再興させた陶陽は、「備前焼中興の祖」と称される。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から人間国宝が輩出するなど、功績は計り知れない。
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平良敏子(人間国宝) TairaToshiko 

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 たいら・としこ。大正一〇(1921)年二月一四日、沖縄県大宜味村生まれ。幼時より村の伝統的な織物「芭蕉布(ばしょうふ)」に親しみ、昭和二二(1947)年から地元の喜如嘉(きじょか)で織り始める。昭和三八(1963)年、芭蕉布織物工房を設立。昭和五五(1980)年に黄綬褒章を、平成四(1992)年には勲五等宝冠賞を受賞し、そして平成一二(2000)年、ついに重要無形文化財「芭蕉布」保持者(人間国宝)に認定された。
 芭蕉布は完成までの工程が長く、大変な手間と根気を要する。原料となる糸芭蕉を栽培し、繊維を取り、糸を績み、染め、一反の布に織り上げる。勘と熟練の技が必要になるため、単調な作業を何年も繰り返し経験しないと一人前になれない。しかし、苦労の末に完成した布は軽くしなやかで、ため息が出るほどに美しい。
 父親から「芭蕉布をやるならその第一人者になれ」と言われて育った彼女は、芭蕉布の伝統を守りながらも、より斬新で創造的な作品を生み出してきた。そして今も、新たな可能性を模索し続けている。
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