NIPPON Kichi - 日本吉

記事数6件: 1~6 件表示          

2007/5/31


にし茶屋街 Nishi-chayagai Nishi Teahouse Street

Jp En

 金沢には、城跡や武家屋敷など、城下町として風情が残るが、それだけではない。艶っぽい茶屋街も、今もその姿をそのままに残している。
 にし茶屋街は、これも金沢の代名詞となる犀川の南側にある。文政三(1820)年、加賀藩によって、ひがし茶屋街とともに創設された。
 今も、料亭や芸子の置屋が軒を並べて粋な風情を残している。夕刻からは三味線の音なども聞こえてきて、さらに趣は深くなる。
 かつては一見さんお断りが主流であったのは、ひがし茶屋街と同じだが、今では旅館やお土産屋、喫茶店などがあり、散策するに楽しい。
 西茶屋資料館は、石川県美川町出身の作家、島田清次郎が幼少期を過ごした場所であり、清次郎に関する資料が展示されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/19


仏隆寺 Buturyuu-ji Butsuryuji Temple

Jp En

 仏隆寺は奈良県宇陀市に位置する真言宗室生寺派の寺院。室生寺の末寺であり、室生寺の南門とされる。
 嘉祥三(850)年に賢恵が開基したが、興福寺別当、修円の庵であったとも言われる。
 本尊の十一面観音菩薩立像は聖徳太子の作とされ、境内には賢恵の墓である珍しい方形造りの石室が残る。
 大和茶発祥の地であり、空海が中国から持ち帰った茶葉を、弟子の賢恵が栽培したことが始まりと言われる。寺には空海の唐から持ち帰った石臼が伝えられている。
 山門からの石段は「大和三名段」の一つであり、春は樹齢九百年の桜の大木が訪れるものを迎え入れ、秋には赤い彼岸花が参道を染め上げる。その様は絶景である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/29


常滑焼 九谷紋様急須 梅原昭龍作 Tokoname-yaki Kutanimonyou-kyusu Umehara-Akitatsu-Saku Tokomae Ware, Kutani-Patterned Teapot

Jp En

 休日の午後にゆったり楽しむお茶、食後の一杯のお茶。のんびりとした一時は格別なもの。
 そんな折角の一杯なら、茶葉や入れ方はもちろん、道具もこだわってみたい。
 職人手作りの一品。湯切れの良さ、茶葉の旨みと香りを逃さない蓋合せ、落ち着いた久谷文様の作りは必要性を突き詰められた実用品であり、こだわるだけの価値がある。
 更に使い続ける事により使い勝手の良さと馴染み具合は確かな満足感を与える。
 伝統の技術を味わう、それも格別なことではないだろうか。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/18


ひがし茶屋街 Higashi-chayagai Higashi Teahouse Street

Jp En

 金沢の浅野山麓を流れる浅野川別名女川の岸、石畳の道を挟むように紅殻格子のお茶屋が軒を連ねる。それがひがし茶屋街だ。
 文政三(1820)年、加賀藩によって作られた茶屋街である。このとき、にし茶屋街も作られ、明治二(1869)年には主計町茶屋も開かれたが、ひがし茶屋街が最も格式が高く、規模も大きかった。
 かつてこの茶屋街では、日が暮れると旦那衆が、酒をたしなみながら芸事を楽しんだ。一見さんお断りが主流だったが、今では茶屋を改装した喫茶店なども多く、気軽に立ち寄れる。それでも日が暮れると軒下灯に明かりが入り、三味線や太鼓の音が聞こえてくる。茶屋街が艶っぽい表情を見せる時間である。
 五木寛之の「朱雀の墓」の舞台ともなった。平成十三(2001)年に国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/15


鉄瓶 Tetsubin Iron Kettles

Jp En

 鉄瓶は日本の代表的伝統工芸品のひとつである。
 1500度にもなる、溶かした金属を製品の型となる鋳型に鋳込む技術を「フキ」という。熟練した技を必要とする作業だ。
 古来より伝わる技法を継承し、手づくりの物を今でも製品化している。岩手県の盛岡市で作られる、「南部鉄瓶」などが有名である。
 実はこの鉄瓶、ちょっとしたブームになっている。
 現代人は「鉄分不足」だそうである。5人に1人は貧血症または、準貧血症になっているという。鉄瓶で沸かすお湯は、鉄分補給に効果的であるという。
 また、この鉄瓶で作ったお湯で飲むお茶やコーヒーは、通の人ならその味の違いがわかるものだ。
 海外においても、鉄瓶で沸かしたお湯の味が評価を得ている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/10


主計町茶屋街 Kazuemachi-chayagai Kazue-machi Teahouse Streets

Jp En

 金沢三茶屋街とは、ひがし茶屋街、にし茶屋街、そして主計茶屋街のことである。ひがし、にし、それぞれの茶屋街は、文政三(1820)年、加賀藩によって作られたが、主計茶屋街は、明治二(1869)年に開かれた。
 浅野川大橋から中の橋までの、浅野川の南西に位置する。なお、浅野川大橋の東北にあるのが、ひがし茶屋街、南にあるのが、にし茶屋街である。
 金沢三茶屋街の中で、最も規模が大きく格式高いのは、ひがし茶屋であるが、主計茶屋は、浅野川と茶屋の街並みが調和し、まさに小京都との評価が高い。バーや割烹が看板や暖簾をひっそりと出し、地元の人でも、知る人ぞ知るといった通好みの場所になっている。
 特に春の夜は、川沿いの桜の花が川面に映り、何ともいえない情景となる。四季折々の表情が豊かなのも、主計茶屋街の特徴であろう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数6件: 1~6 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter