浪岡城 Namioka-jo Namioka Castle
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1460年代に浪岡北畠氏によってつくられた。
1500年代前半の最盛期には、京都と盛んに交流し、寺社を建立するなどしているが、1562年におきた親族間の争いにより勢力が衰え、1578年に大浦(津軽)為信に攻められ落城した。
以後約400年、城跡は畑や水田として使われ、昭和15年2月10日、青森県で初めて国史跡指定を受けた。
特徴的な構造として、幅20m、深さ5mほどの二重堀で分けられた8つの館(郭)が扇のように広がり、土塁の上を通路としても使用している。城全体を迷路化し、守りを強化しようとしたものと考えられる。
また出土品として、食器や調理器具・武器類・農耕具・日用品・宗教用具・建築関係用品など様々なものが4万点以上も見つかっている。
1500年代前半の最盛期には、京都と盛んに交流し、寺社を建立するなどしているが、1562年におきた親族間の争いにより勢力が衰え、1578年に大浦(津軽)為信に攻められ落城した。
以後約400年、城跡は畑や水田として使われ、昭和15年2月10日、青森県で初めて国史跡指定を受けた。
特徴的な構造として、幅20m、深さ5mほどの二重堀で分けられた8つの館(郭)が扇のように広がり、土塁の上を通路としても使用している。城全体を迷路化し、守りを強化しようとしたものと考えられる。
また出土品として、食器や調理器具・武器類・農耕具・日用品・宗教用具・建築関係用品など様々なものが4万点以上も見つかっている。
- 住所
- 038-1311青森県青森市浪岡大字浪岡字五所
- 名前
- 浪岡城