NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/24


佐久間ダムまつり Sakuma-damu-matsuri Sakuma Dam Festival

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 佐久間ダムまつり(さくまだむまつり)は、静岡県浜松市天竜区佐久間町にて毎年10月最終日曜日に行われる祭りである。
 ダム建設の殉職者の霊を慰め、ダム永年の繁栄を祈るお祭りとして始められた。
 まつりでは、皇居のお堀に住んでいた緋鯉と真鯉を、守護神としてこのダム湖に放流したことにちなみ、「竜神渡御」と「竜神の舞」が行われる。
 「竜神の舞」は、長さ約15m、重さ約60kgもある竜神を、いなせな半纏に鉢巻き姿の7人衆が自由自在に操って見せる舞で、竜神の胴体は鯉の鱗になっており、大変珍しいものとされる。
 ほかにも、さくま飛龍太鼓や、ダム湖上では手投げ孔雀花火、湖畔の広場ではお楽しみ会や大道芸、そばの早食い競争、景品付き投げ餅大会などが開催され、地元特産品の展示販売も行われる。
 佐久間ダムまつりは、地元に密着した、迫力ある祭りである。
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2007/1/12


江戸漆器 Edosikki Edo Lacquerware

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 江戸漆器は、シンプルで堅牢、実用的な工芸品である。
 1590年、江戸城に入城した徳川家康が京都の漆工を招いたのが始まりとされ、五代将軍綱吉の時代に塗りの技術が進歩し、完成され、八代将軍吉宗の頃以降は、庶民の間に日常漆器として普及していった。
 うなぎ重箱、そば道具など業務用食器の生産が特色で、実用品としての高い機能性が人々を引き付けた。
 今日、江戸漆器は、江戸時代以降の技術と伝統を受け継いできた職人達によって、茶道具・座卓をはじめ多様な製品が生産されている。
 海外では陶磁器のことを「チャイナ」と呼び、漆や漆器は「ジャパン」と呼ばれていたという。江戸漆器は、日本の庶民文化を代表する工芸品と言えよう。
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白石敏道 Toshimithu Siraishi Toshimichi Shiraishi

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 1937年、葛飾区堀切生まれ。江戸漆器の伝統工芸士。
 父の代からの漆職人。1953年、16歳で千住の漆職人に弟子入り。63年、26歳で独立。
 江戸時代初期、徳川家康が京都から漆職人を連れてきたのが江戸漆器の始まりである。以来、すしの飯台、そばのせいろなど丈夫一点張りの業務用を柱に発達した。
 氏が作る漆器は、その質やできばえから考えると驚くほどに安価である。
 今、修理にも力を入れていると言う。「欠けていようと割れていようと、木製のものなら何でも、何度でも直るし、いっぺん直したらまた何十年も使えるんです。漆製品、漆器でしたら何でも修理します」とのこと。
 東京都伝統工芸士、葛飾区伝統工芸士、国家検定試験一級技能士。
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