NIPPON Kichi - 日本吉

記事数10件: 1~8 件表示     >>     >|  

2007/10/22


住吉の火祭り Sumiyoshi-no-hi-matsuri Sumiyoshi Shrine Fire Festival

Jp En

 住吉の火祭り(すみよしのひまつり)は、毎年1月の第2土曜に、勝部(かつべ)の火祭りとともに開催される祭りで、滋賀県の無形民族文化財に指定されている。
 今から約800年前、土御門天皇(つちみかどてんのう)が危篤となり、原因が三上山の大ムカデの危害によるとされた。そこで藤原秀郷が三本の弓矢を一度に放ち、大ムカデは頭が住吉神社に、胴体は勝部神社に、そして尾部は瀬田の唐橋近くまで飛び散った。この遺骸はそれぞれの地で供養され、焼き払われたことから、両社に分かれて祭りが行われるようになった。
 午前中に神社境内で神事が行われ、年寄衆の弓射式で祭りが開始される。夜には白と赤のふんどし姿の若者たちが蛇の頭に似せた約6メートル、重量約400キロの大松明をかつぎ込み、無病息災を祈願して奉火する。
 若者たちのかけ声は勝部では「御脳平癒」を意味する「ごーよ ひょーよ」なのに対して、住吉では「平癒」を意味する「へーゆ へーゆ」とそれぞれ違うのも特徴である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/27


今津とんど祭 Imazu-tondo-matsuri Imazu Donto Festival

Jp En

 日本海に浮かぶ隠岐の島の南端に今津(いまづ)地区がある。ここでは毎年一月一五日に、恒例の「とんど祭」が行われる。とんど祭は、正月飾りを燃やし、神聖な火に無病息災を願う平安時代からの行事で、地域によっては「どんと」あるいは「どんど」とも呼ばれている。
 今津では、早朝からカラフルな袋を持った住民が次々と浜に集まる。袋には御札やしめ飾りが収められていて、竹を組んで作った巨大な「とんど」に、順序よく丁寧に取り付けられて行く。最後に大きな吹流しが吊るされると、積み上げられたわらに火が付けられ、巨大な火柱となって燃え上がる。
 やがて燃え上がった竹が海に倒れ落ちるのを待ちかねて、東西二組に分かれた若者たちが、ふんどし一丁で厳寒の海に飛び込みこれを奪い合う。その後、竹は祝い事があった家に運ばれ祭りは終わる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/14


門川町 中山神社大祭 Kadogawa-cho Nakayama-jinja-taisai The Grand Festival at Nakayama Shrine in Kadogawa

Jp En

 中山神社は門川町(かどがわちょう)にあり、天安元(857)年、文徳天皇の時代に出雲大社から分霊したといわれる。
 この神社は大己貴命(おおあなむちのみこと)など四神を祀っている。大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、色好みの一面を持った神様で知られる。その昔、狭い参道で若い男女がすれ違うと恋が芽ばえると言われ、縁結びで有名になった。
 縁結びのご利益のほか、商売繁盛でも知られ、特に一月七日におこなわれる大祭では、年男や厄年を迎えた男の人などが、白鉢巻きに白足袋のふんどし姿で大きな掛け声を上げて、境内までの石段を一気に駆け上がる「裸まつり」が有名である。男たちは寒さの中、境内で冷水を頭から浴びて身を清め、家内安全や無病息災などを祈願する。
 昔から、男はふんどし姿、女は腰巻きで参拝していたといわれており、「中山さんは、良い神よ 着物がなければ、裸で良い 草履がなけりゃ、裸足で良い」という歌が残されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/10


ソラヨイ Sorayoi Sorayoi

Jp En

 ソラヨイ(十五夜そらよい)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)に伝わる伝統風習であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 五穀豊穣を祈り、土地の神と月に感謝する祭りであるが、発祥については、よく判っていない。
 また、名前の由来は「空が良い」「それは良い」と言われているが、はっきりしていない。
 ソラヨイは、月が出る頃に始まる。田圃に積み上げられたワラ造りの「ワラコズン」の中に人が2人入り、右回りに回し出す。
 中学生までの男の子が「ソラヨイ・ソラヨイ」と囃しながら、ワラみの笠、腰みの、ふんどし姿で、逆方向に廻りながら、素朴で神秘的な踊りを見せる。
 ソラヨイ終了後は、大人・子供にわかれて、3回綱引きをし、その後、ワラを崩して土俵を作り、相撲をとる。
 ソラヨイは、素朴で珍しい、一五夜の伝統行事である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/9


日向ひょっとこ夏祭り Hyuuga-hyottoko-natsu-matsuri 

Jp

 日向ひょっとこ夏祭りは、宮崎県日向市に伝わる郷土芸能「日向ひょっとこ踊り」を中心とした祭りである。
 毎年八月第一週の土曜日に開催されており、昭和五九(1984)年に第一回が開催されて以来、日向市を代表する一大イベントとして、周辺地域の夏の風物詩になっている。
 踊りそのものは、江戸末期から明治初期にかけて、日向の開業医であった人物によって伝えられたといわれている。
 赤い着物を羽織り、白い帯とふんどしを締め、頭にはマメシボリの手ぬぐいを結わえて狐やひょっとこ、おかめの面をつけてユーモラスに踊り歩く。
 笛や鐘、太鼓の軽快なリズムに乗って体全体をコミカルに動かすその踊りは見ているだけでも楽しいものである。夕方には県内外からの参加者1000名にものぼるひょっとこ達により、市街を練り歩くパレードも行われている。
 ユニークな面をつけ、軽快に踊る楽しいその祭りには、豊作や商売繁盛などの庶民の切なる思いが託されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/6


曽我どんの傘焼き Sogadon-no-Kasayaki 

Jp

 「曽我どんの傘焼き」は、鹿児島県鹿児島市加治屋町にて行われる、曽我兄弟のあだ討ちにちなむ伝統行事である。
 建久四(1193)年、鎌倉幕府の将軍源頼朝は富士の裾野で狩を行った。その夜、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟が頼朝の陣屋に討ち入り、父の仇・工藤祐経を討った。
 その夜は激しい雨。兄弟は雨傘に火をつけ、たいまつ代わりに燃やし、陣屋を目指したという。
 江戸時代中期、鎌倉武士の流れをくむ薩摩藩主の島津家が、この故事にならって、傘を焼いて顕彰する行事を始めたのがルーツである。
 あだ討ちと同じ旧暦の五月二八日の夜に傘焼きを行い、曽我兄弟の孝心を偲ぶ。まさに「曽我どん(曽我殿)」の傘焼きである。
 祭りでは、褌姿の男たちが甲突川河畔に10mの竹のやぐらを組み、四、五百本の古い和傘を積み上げて、曾我兄弟の歌を唄いながら傘を燃やす。
 夜空高く舞い上がる炎が鎌倉武士の気概を今に伝える。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/29


大東大原水かけ祭り Daitou-oohara-mizukake-matsuri 

Jp

 大東大原水かけ祭りは岩手県一関市大東町大原で行なわれる冬の奇祭である。
 毎年2月11日、厄年の男たちが大原八幡神社での祈祷の後、白木綿の腹巻、褌に草鞋履きの姿で大通りを走り、沿道の人々に冷水を浴びせかけられ、厄を落とす行事。
 明暦三(1657)年、江戸城の天守閣が焼け落ち、江戸の大半を焼き払った振袖火事を厄日とし、防火祈願、無病息災を祈って行なう。
 水かけは神事の最後に行なわれるもので、仮装手踊り、しめ縄祈願、まとい振りや太鼓山車などの見所も多い。
 寒中に行なわれる男たちの勇壮な祭りとして、多くの見物客を集めている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/20


山路王子神社 Yamaji-ouji-jinjya Yamaji Oji Shrine

Jp En

 山路王子(やまじおうじ)神社は、「熊野信仰」の修験道として有名な熊野九十九王子のひとつで、一壷王子ともいわれている。九十九王子の中で、王子社の形をとどめた数少ない神社のひとつである。
 この神社は江戸時代から奉納されている「泣き相撲」という珍しい祭りで有名だ。毎年10月10日に行われ、子供の無事成長を願う行事だ。生後間もない男の赤ちゃんに赤いふんどしを付けて相撲を取らせ、「いやだ、いやだ」というのを行司が無理に取らせるので子供が泣くが故に「泣き相撲」。子どもに土を付けることで土に親しませ、労働の尊さを教えるのが主旨だと言われている。
 この祭りは、和歌山県の無形民族文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数10件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter