NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/3


都井岬火まつり Toi-misaki hi-matsuri 

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 都井岬火まつりは、宮崎県串間市の都井岬で行われる祭りである。毎年、8月の盆過ぎに行われる。もとは「十五夜柱祭り」と呼ばれていた。
 その昔、大蛇を衛徳坊という僧侶が火攻めで退治した。その伝説を祭りに再現したものである。
 祭りは「串間くるみ太鼓」で幕を開ける。イベントが終わり、20時頃からいよいよメインに入る。「大蛇」のイメージを高さ30メートルの「柱松」に見立て、てっぺんには大蛇の口を藁で表現し、それにめがけて、「とんとことって~えいとくぼう~」の掛け声で松明を次々に投げいれる。松明が見事柱松に命中すると、火の粉が夜空に舞い、祭りのボルテージは最高潮に達する。
 串間市の夏の終わりの風物詩である。
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2008/2/1


広河原松上げ Hirogawara-matsuage Hirogawara Matsuage Torch Lighting Ritual

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 広河原松上げ(ひろがわらまつあげ)は、盆の精霊祭り、火災予防、五穀豊穣を祈願して、京都市左京区広河原で行われる火祭りである。
 元々は愛宕山を信仰する山伏が行う聖火奉納を、若狭街道沿道の集落にも伝え広めたのが始まりとされる。
 上桂川の河原に立てられた約一二〇〇本の松明に順次点火され、暗闇に火の海が浮かび上がる様は圧巻である。さらに鉦(かね)や太鼓の合図と共に、高さ二〇mほどの灯籠木(とろぎ)と呼ばれる太い檜柱の頂上部に取り付けられた「大笠」めがけて、火のついた手松明を男衆がいっせいに投げ込み始める。「松上げ」というのは松明を上げることに由来している。投げ上げる際に、くるくると回して反動をつけるため、何十もの火の軌道が浮かび上がる様がとても美しい。
 手松明が一つ二つと入り、大笠が炎に包まれた灯籠木は引き倒される。火の粉が夜空に舞うと、祭りは最高潮を迎える。
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2007/10/16


ケベス祭 Kebesu-matsuri Kebesu Festival

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 ケベス祭は、大分県国東市国見町の岩倉社で、毎年10月14日の宵に行われる奇祭。
起源や由来は一切不明で、「ケベス」は「蹴火子(けべす)」が訛って転じたものだとされるが、詳しいことは謎のままの火祭りである。
 祭り当日の夜、奇怪な面を着けた「ケベス」がサマスタと呼ばれる棒を扇子で叩きながら境内を1周すると、猛然と燃え盛る護摩(ごま)焚きの火に向かって走り出す。それを白装束の「トウバ」が阻止しようとし、ケベスと火をめぐって攻防を繰り返す。そして、トウバが火のついたシダを持ち、境内を走り回り、見物客を追い回す。この火の粉を浴びると、その年は無病息災で暮らせるという。
 ケベス祭は、県指定無形民俗文化財であり、日本屈指の奇祭として注目されているという。
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2007/8/7


滝山寺 鬼まつり Takisan-ji Oni-matsuri Oni Matsuri (Ogre Festival) at Takisanji Temple

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 滝山寺(たきさんじ)は、愛知県岡崎市滝町山篭にある天台宗の寺である。本尊は、聖観音。
 滝山寺の鬼まつり(おにまつり)は、毎年旧暦正月7日に近い土曜に行われる、天下泰平・五穀豊穣を祈り、三河路(みかわじ)に春を告げる祭りである。
 鎌倉時代に起源をもち、源頼朝の祈願から始まり、江戸時代、徳川三代将軍家光以後は、幕府の行事として行われていた。
 祭りのクライマックスの「火まつり」では、白装束の男たちが松明の火を手すりに叩きつけながら、寺のまわりを回り、竹でできた大きな松明が威勢よく鳴り、火の粉が粉雪のように舞う。
 本堂を焦がさんばかりに燃える松明と、鬼の乱舞が勇壮で、最後に厄払いとして燃え残った松明の枝を拾っていく。
 滝山寺の鬼まつりは、長い歴史を持つ壮大な祭りである。
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2007/7/17


黒石寺蘇民祭 Kokuseki-ji-somin-sai 

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 黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)は、岡山・西大寺会陽、大阪・四天王寺のどやどやと併せ、日本三大奇祭の一つに挙げられており、千年以上の歴史を持つ祭である
 蘇民祭は旧正月7日の夜、水垢離をとった祈願者・厄年連が、黒石寺本堂、妙見堂を三巡して厄災消除・無病息災・家内安全・五穀豊穣を祈願する「裸参り」で幕開けとなる。次いで柴燈木(ひたき)と呼ばれる松の生木を井桁に組んで点火された炎の上に登り、火の粉を浴びて身を清める「柴燈木登り」の神事が繰り広げられ、「別当登り」、「鬼子登り」と続き、いよいよ夜明け近く、クライマックスの「蘇民袋争奪戦」へと移る。
 蘇民袋とは、「小間木」と呼ばれる六方型の木製の護符を入れた麻の袋で、集まった善男善女はこぼれ落ちる小間木を、裸の男たちはさらに境内の外になだれ出て麻の袋を肉弾戦を繰り広げて奪い合う。最後は、袋の首を持った者が取主(とりぬし)となって、争奪戦は終わるが、なだれ出た群衆が向かう方向などで、その年の豊作を占うという側面も併せ持つ。
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2007/6/1


手力の火祭り Tejikara-no-himatsuri Tejikara Fire Festival

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 手力雄神社で、毎年4月の第2土曜日に行われる盛大な祭り「手力の火祭り」は、爆竹の破裂音が鳴り響く中、裸男達が花火の仕掛けられた神輿をかついで境内を練り歩くという豪快なもの。
 九つの神輿が境内に入ってくると、高さ20mの御神灯に次々と点火され、同時に爆竹音が響き渡る。滝花火にも点火され、その滝花火が神輿を担いでいる裸男に降り注ぎ、火の粉が神輿にかかる。神輿の花火にも引火し、神輿からも花火が吹きあがり、あたりは一面の火の粉に包まれる様は圧巻。
 炎を乱舞させるシーンは最大のハイライト。この火の下をくぐった裸男達は1年間無病息災だという。
 この勇壮な祭りは、300年の伝統を誇り、岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/2/1


西円堂・追儺会 Saiendou・Tsuinae Saiendo Tsuinae Festival

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 法隆寺の西円堂本尊薬師如来坐像の前で毎年2月1日から3日間行う法要が「西円堂修二会」と呼ばれるもので、これの後2月3日に行われるのが「追儺式」である。別名「鬼追い」とも言われる。
 追儺(ついなえ)式は、西円堂の基壇の上で、鬼役と毘沙門役が登場し、松明を振りかざして歩く鬼の後を毘沙門天が矛(ほこ・両刃の剣に柄をつけた、刺突のための武器)を使って追い払う行事。法隆寺の「寺要日記」では、弘長元(1261)年に始められたとあり、鬼追いでは、県内で最も古いとされる。
 松明の火の粉がかかれば、その年は無病息災との信仰が残る。毎年近隣の人々が何百人も訪れる恒例行事である。
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