NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/6


生子神社の泣き相撲 Ikiko-jinja-no-naki-zumou 

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 生子神社(いきこじんじゃ)の泣き相撲は、栃木県鹿沼市樅山町で開催される祭りである。
 毎年9月19日(日曜日でない場合は次の日曜)を大祭日と定め、子供の健やかな成長を祈願して開催されている奇習行事であるという。
 安産子育の守護神を奉る生子神社の境内に土俵を組み、力士に扮した地区の氏子が東西の土俵から、幼児をそれぞれ抱き上げて「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声のもと高く振り上げ、先に泣いた方が勝ちとするもの。これは古来から「泣く子は育つ」と言われる縁起にちなんだものと言われる。
 泣き相撲は、文久年間(1861)より行われ、縁起を担いだ習俗が奉納相撲に取り入れられたものだとされる。
 昨今では広く氏子以外からも講員を募っているため、近隣は元より首都圏からの参加も多く、勝ち負けは関係なく双方に勝ち名乗りをあげることもあるようだ。
 現在は、鹿沼市無形文化財・国選択無形民俗文化財に指定されているという。
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2008/3/6


大日堂舞楽 Dainichidou-bugaku 

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 大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)に奉納されている古典舞楽である。
 神社では、毎年正月二日に行う祭典にて大日堂舞楽を奉納しており、舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 大日霊貴神社は、継体天皇(507~531)が建立したのが始まりとされている。
 その後、元正天皇が養老二(718)年に再建し、その時に大日堂舞楽を伝えたと言われる。
 当日は能人と呼ばれる氏子の中から35人が選ばれ舞楽を奉納し、周辺の4集落に分かれてそれぞれの集落内で舞台元の舞をする。その後、各所で権現舞を舞いながら大日堂に一同集まり、挨拶の後、堂の中で舞い始める。
 大日堂舞楽は、わが国に現存する舞楽の中でも、最も古い形が伝えられる伝統芸能である。
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2007/11/13


兵主祭 Hyouzu-matsuri Hyozu Festival

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 兵主祭(ひょうずまつり)は、滋賀県野洲市五条の兵主大社で、毎年五月三日~六日に行われている例祭である。
 兵主大社は、三世紀後半ごろ、現在の滋賀郡大津市遷都にともない社地が設けられ、さらに欽明天皇の時代に琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられる。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。
 当日は午前中に神社で神事を行い、午後には各氏子から大小約30の御輿や太鼓が神社の参道に集まり、クライマックスの神輿渡りが行われる。
 太鼓橋前にて各御輿が行う「鵜の息抜き」の所作は面白く、特に、大小様々な御輿・太鼓が「チョイトサ」の掛け声も勇ましく、約300mの松並木の参道を渡御する様は壮観で、祭りの一番の見所といえる。
 兵主祭は、兵主18郷による、勇壮で華やかな祭りである
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2007/10/15


御幸の橋 Miyuki-no-hashi 

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 愛媛県西部を流れる肱川(ひじかわ)の支流川辺川。その上流域にある、四方を山に囲まれ面積の八割以上が山林という自然豊かな川辺町には、明治から平成にわたって架けられた八つの屋根付き橋が点在する。
 川辺川上流、秋知川に架かる「御幸の橋(みゆきのはし)」はその中でも最も古く、天神社の参道として安永ニ(1773)年に創設された。坂本龍馬が脱藩の際に渡ったという伝説も残る。
 現在の橋は明治一九年の大洪水により流失したが、祭礼に合わせるため氏子達の手によって再建されたもの。欅(けやき)材が使われ、屋根は杉皮葺で、釘は一切使用されていない。橋の長さは八・三mあり、幅員は二・七mとやや狭い。
 歴史ある橋文化を守るため、また村おこしの一環として「浪漫八橋(ろまんはちきょう)」と名付けられ、また県の指定有形民俗文化財としても大切にされている。
 
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2007/10/11


宇和津彦神社 Uwatsuhiko-jinja 

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 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は延暦一一(792)年創建といわれる古社で、大国主命(おおくにぬしのみこと)と宇和津彦命(うわつひこのみこと)を主祭神とする。藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬を受け、南与地域の人々からは「一宮さま」と呼ばれ親しまれてきた。かつて社殿は宇和町内にあったが、伊達藩による宇和島城下の造成で現在地に移されたといわれている。本殿の様式は切妻造、檜皮葺。境内から見る宇和島城の姿が美しい。
 毎年一〇月二九日には宇和津彦神社秋季例大祭が行われる。この例大祭では、八ツ鹿踊り、牛鬼、獅子舞、槍振りなどの伝統芸能が繰り広げられる。特に、伊達氏とともに東北から伝えられ市の無形民俗文化財に指定されている八ツ鹿踊りが奉納されると、氏子らに代々受け継がれてきた牛鬼の先導する神輿が町を練り歩き、祭は佳境を迎える。
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2007/9/19


成川神舞 Narikawa-kanme 

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 成川神舞(なりかわかんめ)は、鹿児島県指宿市山川成川の成川南方神社にて、三年に一度、一〇月二七日前後に行われる神事である。
 成川南方神社は、創建年は不明ながら古くからこの地に建つ神社で、祭神は建御名方命(たけなかたのみこと)。
 成川神舞はお諏訪さんと呼ばれている南方神社に伝わる神楽で、以前は国家・神社や氏子に事ある時に神事を行い、その最後に神舞を奉納していた。
 成川神舞の起源は不明だが、慶安二(1649)年、藩主・島津家久の前で神舞を舞ったとの記録が残る為、慶安から万治年間(1648~1661)には成立していたと思われる。
 初日と二日目に、グレと呼ばれる神輿が家々を御神幸する神事を行い、二日目の夕刻から二〇番以上ある神舞が奉納される。
 成川神舞は、勇壮な中にも優雅さが感じられる郷土芸能である。
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2007/9/13


皿貝法印神楽 Saragai-houin-kagura 

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 皿貝法印神楽(さらがいほういんかぐら)は、宮城県石巻市の皿貝地区に伝わる伝統芸能である。
 その起こりは、元和年間(1615~1623)に本吉郡戸倉村から伝えられたものだといわれ、現在は皿貝大日婁神社(さらがいおおひるめじんじゃ)と称する本山派修験成就院の法印であった久峯重光が、京に上った際に取得した能を原型に、「古事記」を台本として編み出したものと伝えられている。
 演舞番数は全部で三三番あり、主に日本書紀や古事記などの神話を題材としている。現在では三三番中、一五番が伝承され、荒舞を得意とする神楽としても知られている。
 舞台には本舞台の二間後方に、一段高く附舞台を設けるのが特徴で、そうした特設舞台で旧暦の六月一五日の大日靈神社(おおひるめじんじゃ)例祭の他、近郷の祭礼などで演じられている。
 平成二(1990)年には、県の無形民俗文化財に指定され、皿貝地区の大日婁神社の氏子たちによって、今も大切に守り継がれている。
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2007/8/20


重陽神事と烏相撲 Cyouyou-shinji-to-Karasu-zumou Choyo-no-Shinji and Crow Sumo Wrestling

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 重陽神事と烏相撲(ちょうようしんじとからすずもう)は、京都でも最古のお社として知られている上賀茂神社で毎年の九月九日に行われている例祭の一つだ。
 開催される九月九日は、九という陽の数字が重なることから重陽といわれ、古くからこの日に菊酒を飲み、菊花についた露で肌を拭うなどして無病息災を祈願した。
 これがいわゆる「重陽神事」であり、五節句の一つ「重陽の節句」に相当するものとして、古来より神社の本殿に菊花を供えて災厄を祓ってきた由緒ある例祭である。
 重陽神事の後は、刀祢(とね)と呼ばれる所役によって烏の鳴き声をまねて受け答えするユーモラスな所作が披露されてから、氏子の子供達が禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分かれて相撲を取る烏相撲が奉納される。この相撲も悪霊退散の信仰行事として平安時代から続くものであり、京都市の無形民俗文化財に指定されている。
 千数百年の歴史に彩られた神事には、恒久の平安を求める人々の祈りが込められている。
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