NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/22


和太鼓 Wadaiko Wa-daiko (Japanese Taiko Drum)

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 和太鼓(わだいこ)は、打楽器の一種であり、日本における太鼓の総称である。
 内部をくりぬいた、ケヤキなどの木でできた胴に主に牛の皮を張り、その皮を叩いて振動させて音を出す。
 構造が同じもので鼓(つづみ)があるが、手で叩くものを鼓、撥など道具を使って叩くものを太鼓と呼び、区別している。
 その歴史は古く、縄文時代にはすでに似たような構造のものが存在していたとされる。
 中世には、田楽などの庶民文化の発達などによってお囃子太鼓が隆盛し、戦国時代には陣太鼓、江戸時代には時報として江戸城内で太鼓を打つなど、人々の生活に根ざした音色を奏で続けていた。
 特に神と意思を伝達する手段、呪具として寺や神社で用いられていたことは、日本人の心に深く響く楽器となっている要因なのかもしれない。
 昭和に入ってからは様々な種類の太鼓を組み合わせた太鼓主体の音楽である組太鼓が出現し、日本人だけでなく外国の人々もその深い音色で魅了している。
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2008/4/11


かつぎ太鼓1.6尺 Katsugi-taiko 1.6shaku 

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 かつぎ太鼓は日本に伝わる打楽器である。ストラップをつけて肩からさげて叩くため、太鼓自体が軽くできていて、皮も薄皮を用いる。
 元和三(1617)年に建てられた、福岡県北九州市小倉の八坂神社で行われる小倉祇園祭では、竿の両端を肩にかつぎ、そのまん中に吊るした太鼓を自分の町内うちを叩いて回ったという。
 自然の中から生まれた波動は、日本人の心を奮い立たせる鼓動の響きを生みだし、まつりを引き立てる。
 人が持つには大きさ・重さ・音が共に1.6~1.8尺が最も良いとされており、1.6尺のかつぎ太鼓は、女性でも手軽に叩く事が出来る。
 かつぎ太鼓は、勇壮で、人の心にしみいる音色を叩き出す、日本伝統の和太鼓である。
 
太鼓サイズ
面48cm 胴長52cm
重量 6.5Kg
材料 牛革
セット内容は
太鼓 バチ 肩ひもストラップ
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2008/2/6


紙相撲 Kamizumou 

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 それまでの戦乱が一時の終息を迎え、江戸時代は平穏な時が流れるとともに、庶民の文化も大きく発展していった。そんな中、相撲は当時の人々にとっても、非常に人気を博した娯楽であった。そのため、相撲に関連した遊びが多く生み出されたという。紙相撲(かみずもう)もその中の一つであった。
 紙で作った力士である人形を、土俵に見立てた板や厚紙をの上に置き、その隅をトントン叩く。すると紙の力士が互いに動き出し、どちらかが倒れるまで勝敗を争う遊びである。
 昭和二九(1954)年に徳川義幸氏という当時一七才の少年が、独自の紙相撲の方法を考案。これがマスコミに大きく取り上げられ、全国的ブームにまで発展し、遂には、日本紙相撲協会が設立されるまでに至った。
 現在では、紙の大きさや土俵の大きさ、土俵においた時の人形の角度など、本物の大相撲のようにきめ細かい約束事が決められており、全国に多くの愛好者がいる。
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2007/11/12


魚板 Gyoban Gyoban (Fish Drum)

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 魚板(ぎょばん)とは、巨大な木製の魚であり、叩いて時間を知らせるための法具である。
 日本では主に禅宗系の寺院などでよく見受けられ、木魚の原型であるとされている。
 これは、木魚のようにお経や真言を唱える時の、調子をとる為に使われるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものである。
 魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じない事から、修行に精進することの象徴であったためとされる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
 その呼び名は魚板以外にも魚鼓(ぎょこ)、木魚鼓(もくぎょく)、邦(ほう)とさまざまで、魚の形の法具としては、木魚よりも魚らしい形をしているといえる。
 魚板は、現在でも使用されている、合図のための法具である。
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2007/9/4


無名異焼 Mumyoui-yaki Mumyoi Ware

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 無名異焼(むみょういやき)は、無名異と呼ばれる新潟県の佐渡金銀山中より産出される酸化鉄を含む陶土を用いて、高温焼成した各種焼き物のことである。
 無名異は漢方薬としても古くから用いられており、中風や胃腸病、やけど、止血剤としての効果に優れていた。
 焼き物としての歴史は、文政二(1819)年、佐渡金山の坑内で産出された無名異を用い、楽焼を製造したのに始まり、その後の安政四(1857)年に本焼が始まったとされている。
 その特徴としては、製造工程においての生磨きや焼成後の砂研磨など、他の焼き物ではあまり見られない特殊な作業が行われることにある。
 これら特殊な作業を経て生み出される製品は焼き物とは思えないほど非常に硬く、叩くと澄んだ金属音を発する。
 使用するほどに光沢を増すことでも知られており、飾るだけではなく日常に持ちいる事で、より味わいを深めていく逸品である。
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2007/8/22


家串 荒獅子 Iekushi Ara-shishi 

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 勇壮な大太鼓の音が宇和海に響き渡る。獅子は蝶を捕らえようとするが、逆に蝶に翻弄され荒れ狂う。その様子を表現したとされる家串の荒獅子(いえくしのあらしし)は、愛媛県南端に位置する愛南町に古くから伝わる郷土芸能である。天正年間(1573~1595)に大漁・豊作を願う祭礼として始まったと伝えられる。
 荒獅子は、毎年11月3日に行われる家串地区最大の行事、若宮神社の秋祭りに欠かせない出し物として今に伝えられている。蝶に扮するのは3人の少年で、化粧を施し華やかな衣装を身にまとい、ばちを器用に操りながら大太鼓を叩く。獅子には成年男子が扮し、勇壮で豪快な中にも優雅さを併せ持つ舞いを披露する。
 歴史的・芸術的価値が高く、村民(旧内海村)に欠くことのできない郷土芸能であることから、昭和三九(1964)年に内海村無形民俗文化財に指定された。
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2007/8/16


上谷刈の鹿踊・剣舞 Kamiyagari-no-shishi-odori Ken-bai The Deer Dance and the Sward Dance in Kamiyagari

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 上谷刈の鹿踊・剣舞(かみやがりのししまい・けんばい)は、宮城県仙台市で伝承される念仏踊り。祖先供養の踊りであり、併せて災禍や病虫害を除き、五穀豊穣を祈願するとされる。毎年5月と10月に賀茂神社で行われる例祭である。
 この芸能の起源は江戸時代に遡る。慶安年間(1648~1651)に、八幡町龍宝寺門前の籐九郎が祖と伝えられる。
 鹿踊は太鼓を持ちながら踊る、歌う、叩くという動作をひとりで行う大変難易度の高いもの。剣舞では、演者が鳥羽毛や毛ザイ、仮面を着け、剣を振り回しながら踊りを舞う。「鹿踊」と「剣舞」は不即不離の関係にあり、一対として受け継がれている。
 上谷刈の鹿踊・剣舞は、県の無形民俗文化財に指定されているという。
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2007/7/31


廿一田植踊 Nijuu-ichi-taue-odori 

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 廿一田植踊(にじゅういちたうえおどり)は、宮城県気仙沼市にて毎年元旦の早朝に行われる民俗芸能である。県の民俗文化財に指定されている。
 1830年代頃に起きた天保の大凶作の際、一人の若者が黒川方面で習得した田植踊りを広めたのが始まりだといわれるが、岩手県気仙地方から伝わり江戸時代から踊っていたとする説もあり、定かではない。
 廿一という名前は、地域に神社が21社あった事に由来しているという。
 毎年元旦の早朝に八雲神社と古峰神社で豊作祈願の舞いを奉納した後、地区の農家を門付して回る。
 22個の演目がある本踊りは「ハーヤンドーヤーハイ」の威勢の良いかけ声から始まり、手に太鼓を持ち演奏しながら踊る。
 太鼓を叩くテンポは速く、動作はひとつひとつ大きく、力強い。そのたくましい鼓舞が、豊作を祈る心を表しているようである。
 廿一田植踊は、古来の芸風を継承保持する伝統芸能である。
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