NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/26


柔道 Juudou 

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 一二世紀以降の武家社会の中で、剣術や馬術、弓術、槍術など18の武術が成立し「武芸十八般」と言われた。その一つとして柔術があり、江戸時代の頃、急速に発展をとげた。
 柔術は幕末までに100を越える流派が生まれたとされ、明治一五(1882)年に嘉納治五郎(かのうじごろう)が創始した武道が「柔道(じゅうどう)」である。正式には「日本伝講道館柔道」という。
 体の弱かった治五郎は、学んできた流派の違う柔術を独自の理論で整理、体系化し、将棋や囲碁の段級位制を取り入れた「柔道」を全国に広めていった。
 「勝てばいい」という単なる勝利至上主義ではなく、精力善用・自他共栄を基本理念とした精神鍛錬が主な目的とされ、「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ 」を真髄としている。
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2007/11/8


天童将棋駒 Tendou-shougigoma 

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 山形県天童市で江戸時代から受け継がれてきた伝統工芸が、天童将棋駒(てんどうしょうぎごま)である。将棋駒は殆どが天童市とその周辺の市でつくられ、全国の約九五%の生産量を占める。
 天保二(1831)年、織田藩が天童に城を移し、旧天童藩士が財政に困難を極めていたときに、家臣の内職として将棋駒づくりを奨励したのがはじまりといわれる。
 当時、武士が内職を営むことはさまざまな反対もあったが、織田藩の用人職であった吉田大八(よしだだいはち)は、将棋は兵法戦術に通じるものがあるとの考えから、駒づくりをすることも、これで遊ぶことも、武士の面目を傷つけるものではないとして、その製造法を広く紹介したといわれる。
 将棋駒にちなんだ行事も各種開かれ、武者の格好をして大きな将棋の駒を携え、自らが駒となって将棋を打つという「人間将棋」は、四月におこなわれる天童市の一大イベントとなっている。
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2007/2/16


天童城 Tendou-jyo Tendo Castle

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 天童城(舞鶴城)は、山形県天童市北目にあった山城である。
 天童城は、登る途中に急坂があり、北は沼、山頂の本丸は断崖で囲まれた、天然の要害であった。
 1375年、最上頼直が天童氏を称して舞鶴山に築城した。
 天童氏は二代にわたり出羽統一を目指す最上義光と戦ったが敗北し、1584年、天童城はついに落城、廃城となった。
 1830年、織田氏が天童に移ってきてから、窮乏した天童藩では将棋の駒づくりを内職とし始めた。幕末には家老が藩士に将棋の駒づくりを奨励したという。
 城跡は舞鶴山公園となっており、本丸跡に義光が戦勝後に建てた愛宕神社が残る。
 舞鶴山の山頂では、毎年4月にプロ棋士が、人間扮する駒で将棋を指す人間将棋が行われている。
 天童城は、今や将棋の町として有名な、歴史ある場所である。
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2007/1/19


人間将棋 Ningen-syougi Shogi with Human 'Pieces'

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 山形県天童市舞鶴山山頂で毎年春に行なわれる「天童桜まつり」でのイベント。
 将棋と深いゆかりの地天童市では、全国の将棋駒の95%を生産する。
 その昔、豊臣秀吉が関白秀次を相手に、桜満開の伏見城で、小姓と腰元を将棋駒に見立てて、将棋野試合を楽しんだという故事にならい現在でも伝承している。
 その駒となる人たちは、鎧甲冑を身に付け、自分がどの駒であるかわかるよう、駒の絵を描いた旗じるしを付け堂々としたものである。
 毎年、桜の季節には、2000本の桜の花が咲く舞鶴山で開催される。桜吹雪の中、華麗な戦国絵巻とプロ騎士による対局が将棋ファンには大変人気がある。
 華麗で勇壮なイベントであり、大勢の市民や観光客を魅了している。
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2006/12/15


将棋遊び Shougi-asobi Shogi Game

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 将棋といえば、一般的に盤と40枚の駒を使って二人で行う「本将棋」を指す。先手と後手が盤の上で交互に駒を動かし、最終的に相手の玉将(ぎょくしょう)という駒を詰めた者が勝ちとなる。
 駒には八つの種類があり、それぞれ異なる動きをする。相手の駒を取って自らの持ち駒とし、好きな場所に打ったり、相手の陣地に進むと駒を裏返して、新たな動き方ができるようになったりするなど独自のルールに基づき、王将を追い詰めていくのが醍醐味だ。
 本将棋以外には、自分の駒で相手の駒を縦横にはさむことで、相手の駒を取っていく「はさみ将棋」、将棋盤上で金将4枚を振り、出た目におうじて駒を進めていく「まわり将棋」などがある。
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2006/11/29


前沢碁盤店 Maezawa-gobanten 

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 前沢碁盤店は、碁・将棋盤ひとすじに創業130余年の歴史を誇る老舗だ。創業は明治の初期。初代は江戸時代からの職人で、その碁盤造りにかける厳しさは凄まじかったと今でも語り継がれているという。現当主は4代目前沢道雄。その職人気質は、平成の今も変わらず、曽祖父から祖父、そして父から受け継いだ伝統の技を現代に受け継いでいる。
 昔と変わらず、1品1品すべて手作りで、長い時間と思いを込めて仕上げる。素材は厳選された日本産榧(かや)。10年以上寝かせ、匠の眼にかなった熟成されたものしか使わない。難関をくぐった最高の品質がここにはある。
 皇室の「深曽木の儀」でつかわれる碁盤は、昭和39年に前沢碁盤店から献上したものである。
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