NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/17


北風原 羯鼓舞  Narai-hara Kakkomai 

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 北風原の羯鼓舞(かっこまい)は、千葉県鴨川市北風原(ならいはら)で伝承されている伝統芸能である。
 毎年七月の第四日曜日に、北風原地区の春日神社の例祭として、請雨山(しょううさん)の愛宕神社の獅子神楽と一年交代で奉納されており、どちらも愛宕神社境内で行なわれている。
 その起源は定かではないが、一説には室町時代の天文年間(1532~1554)、安房国主であった里見義実(さとみよしざね)の命により、雨乞いと豊作を祈念して始められたと伝えられている。
 雄獅子と雌獅子、中獅子からなる三匹の獅子が、腹につけた雅楽や能楽用の鼓である羯鼓を軽快な調子で打ちながら舞い踊られる、三匹獅子舞の形態をとっている。
 恵みの雨が降ることを天に託した、農民たちの切なる願いが込められたその舞いは、県の無形民俗文化財にも指定されており、今も保存会の人々により、脈々と受け継がれている。
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2007/12/6


石堂寺 多宝塔 Ishidou-ji Tahou-tou The Tahoto Pagoda at Ishidoji Temple

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 安房最古の名刹と呼ばれる、行基菩薩により開創された天台宗・石堂寺(いしどうじ)には、今も多くの貴重な文化財が残されている。
 天文一四(1545)年、戦国大名・里見義堯(さとみよしたか)によって創建されたと伝えられる、高さ一三mの多宝塔もそのひとつである。
 石堂寺の多宝塔は県指定の有形文化財になっており、桧皮葺の屋根や精巧な彫刻がとても美しい塔である。
 多宝塔は二重の塔と呼ばれ、一階が方形、二階部分が円形となっているものをいう。一階内部には四本柱が立てられており、須弥壇上には木造の千手観音像が安置されているといる。
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2007/11/8


房州うちわ Bousyuu-uchiwa 

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 千葉県南房総に受け継がれている伝統工芸に房州うちわ(ぼうしゅううちわ)がある。竹の丸みをそのまま活かした「丸柄」、そして多いもので六四等分に細かく割いた骨を糸で編んで作られる「窓」が特徴で、二〇ほどの工程を重ね、見事な美しいうちわを作り出している。京都府京都市などに伝わる、木の柄を差し込む「京うちわ」や、香川県丸亀市の平たく削った竹で作られる「丸亀うちわ」とともに日本三大うちわのひとつとして知られている。
 江戸時代、房州はうちわの材料となる竹の産地であった。山や野には女竹(めだけ)が自生し、節間が長い良質な竹が採れた。
 うちわ作りは明治一〇(1877)年頃からといわれており、明治一七年(1884)年に岩城惣五郎(いわきそうごろう)が東京から職人を雇い、安房郡の一大物産として有名になった。
 最近では浮世絵などの布を貼ったものなどが作られ、和風のインテリアとして注目され、平成一五(2003)年、千葉県初の国の伝統的工芸品に指定された。
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2007/10/4


日蓮 Nichiren Nichiren

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 日蓮(にちれん)は、鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。
 貞応元(1222)年、安房国(千葉県)に誕生。一二歳で天台宗の山岳霊場・清澄寺に入り、道善房を師として、四年後に出家。
 その後、比叡山を拠点に、京都や奈良の諸寺、四天王寺、高野山に遊学。念仏、禅、真言を経て、仏教の真髄を「妙法蓮華経(法華経)」に見出す。
 建長五(1253)年、「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、清澄寺で立宗宣言し、名を日蓮と改める。
 他宗批判を目的とした『立正安国論』を著し、幕府や僧からの反発を招く。生涯、四度の法難をくぐり抜けた。
 晩年は、甲斐国(山梨県)の身延に隠棲し、信仰指導を続けた。『開目抄』、『観心本尊抄』などを著述。他に、「大曼陀羅本尊」を完成させた。
 武蔵国(東京都)にて、六一歳で死去。皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号(しごう)が贈られた。
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2007/5/10


鳥取 大岳院 Tottori Daigakuin 

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 鳥取の大岳院(だいがくいん)は、鳥取県倉吉市東町にある曹洞宗の寺院である。本尊は、釈迦牟尼仏とされる。伯耆西国三十三霊場第31番札所となっている。
 慶長六(1601)年、中村伯耆守一忠が米子城主に任じられた際、後見人として伯耆に入国した叔父の中村一栄が急死した。
 慶長一〇(1605)年、一栄の嫡男栄忠が父の霊を弔うため、現在地に山寺を再建、菩提所としたのが始まりであるとされる。
 寺名は、中村一栄の法号にちなみ、後に大岳院と改められた。
 境内には「南総里見八犬伝」のモデルとなった安房国(千葉県)館山城最後の城主、里見安房守忠義と8人の家臣が葬られている。
 忠義が倉吉に在住した折りに寄進したと言われる「古三彩鉢皿」は、今も秘蔵品とされている。
 大岳院は、伝説と歴史が混在する古刹である。
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2007/4/11


千葉 鋸山 Chiba Nokogiri-yama Nokogiri-yama in Chiba

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 鋸山(のこぎりやま)は千葉県安房郡鋸南町と富津市の境に位置する山である。
 標高329メートル、房総丘陵の一部で南房総国定公園にも指定されている。
 凝灰岩の岩質を持ち、房州石と言われる建材として用いられ、江戸時代から盛んに採掘が行われた。その採掘の跡が、山肌がのこぎりの歯のような姿に見え、いつしか鋸山と呼ばれるようになった。元々の名称は乾坤山(けんこんざん)。
 石材は明治時代になってからも早稲田大学や靖国神社など、都内の多くの建物に用いられたが、現在採掘は行われていない。
 山麓から山頂までロープーウェーが繋がっており、気軽に登ることができる。
 山頂は周囲全てが見渡せる展望の地であり、東京湾越しに、遥か富士山、横浜まで眺めることが出来る。
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2007/1/30


城ヶ島 Jougashima Jogashima Island

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 城ヶ島は、神奈川県三浦市三崎町にある小さな島である。
 三浦半島最南端に位置する城ヶ島は、約1000万年前の地層で成り立つ島で、東西約1.8km。東西方向に細長い形をしており、周囲4km、面積0.99平方km。神奈川県最大の自然島で、南岸は太平洋に面し、北岸は三崎漁港に対面する。
 多くの地殻変動によって曲がったり先鋭化したりずれたりと、まるで自然の地層展示館のようである。島のいたるところに、むき出しの芸術的な岩が点在する。
 観光地として白秋詩碑、城ヶ島公園(公園50選)、公園のスイセンの花(花の名所100選)、ウミウ展望台、馬の背の洞門、城ヶ島灯台、油壼湾(景勝50選)、安房崎灯台、京急油壼マリンパークと、見所盛りだくさんである。
 城ヶ島は、小島だが歴史は古く、多面的な観光地である。
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