NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/1


雁戸山 Ganto-san Mt. Gantosan

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 雁戸山(がんとさん)は蔵王連峰の北端にあり、宮城県川崎町と山形県山形市にまたがる。山頂は北雁戸と南雁戸の二つからなる双耳峰(そうじほう)で、南雁戸の方が1m高い。一般には北雁戸が頂上と見なされている。
 標高1485mの山頂へは、笹谷峠(ささやとうげ)から南に向かうルート、蔵王熊野岳方面から北へ縦走するルート、宮城川崎から西へ登るルートなど数本ある。装備さえしっかりしていれば、冬以外なら危険は少なく、ちょっとした遠足気分で登ってみるのもいい。
 好天に恵まれれば、蔵王の山々をはじめ素晴らしい展望を楽しめる。初夏はツツジやシャクナゲ、晩夏はウメバチソウ、初秋は紅葉と、シーズンを通して草木花が迎えてくれる。雁戸山は、日本海に注ぐ最上川水系と太平洋に注ぐ名取川水系の、分水嶺(ぶんすいれい)でもある。
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2007/4/5


四ヶ村溝の水車 Shikamuramizo-no-suisya 

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 高知県中村市にある四ヶ村溝(しかむらみぞ)は江戸時代初め、後川に架かる中村大橋より約4km上流の麻生堰から分水してつくられた灌漑用の水路である。周辺の4つの村の田畑をうるおしながら今ものんびりと流れている。土佐藩山内家の家老であった野中兼山は、高所の田に水を送るためにこの用水路と水車を築いた。
 のどかな田園風景の中、ゆっくりと回る水車の連なりは、まるで蒸気機関車のようである。3月から10月にかけては、昔ながらの水をくみ上げる姿を見ることができ、歴史をつたえる季節の風物詩となっている。
 今なお当時の風情が漂う、貴重なスポットである。
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2007/2/6


大分 円形分水 Ooita Enkei-bunsui 

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 大野川の支流の大谷川から熊本県内で取水し、延長13キロメートルの水路によって竹田市の180ヘクタールの耕地を潤す音無井路は1898年に竣工している。
 この井路をめぐりたびたび水争いが起きた為、1934年に「12号分水」と呼ばれる円形の分水施設が竣工された。当時旧宮砥地区内部で水不足で争いが生じ、その対策として耕地面積に応じて3地区に比例分水出来る様にしたのがこの施設。大谷川取水□から2キロメートルに亘るトンネル水路を通った水がサイホン方式で、円形の中央から沸き上がる。円形は二重で、内外を仕切る壁には等間隔に小窓が設けられ、中央に湧き上がった水は小窓を通って外側の円形溝に流れ込む。
 外側の円形溝は仕切りで3分配しており、小窓の数や小窓に設けられた蓋、仕切り板の高さにより分水量が調整される。現在は石造りからコンクリート造りに改修され、水利争いを合理的に解決した施設として近代化遺産に評価されている。
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2006/12/13


五合庵 Gogou-an Gogo-an 

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 五合庵は、新潟県燕市(旧分水町)の国上山の中腹、国上寺の境内にあり、県の指定史跡となっている。
 江戸時代の曹洞宗の僧侶、歌人、書家である良寛が諸国行脚ののち48歳から59歳までの12年間ここに住んだと言われている。「五合庵」の名前は、当時国上寺住職から毎日五合の粗米を寄せられたことに由来する。
 造りは木造茅葺き、簡素極まる草庵である。広さは間口2間、奥行き9尺で、今でいうところの6畳の面積だ。
 良寛は、ここで座禅をし、古典を読み、詩歌を詠じ、そうして時々托鉢に出た。生涯清貧を貫いた良寛は、この住処で無我の境地を開いたのかもしれない。
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