NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


御簾 Misu 

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 御簾(みす)とは部屋と部屋の間の柱と柱を水平につなぐ長押(なげし)に掛けて、仕切りや目隠しをする用具のことである。
 古代から用いられ、はじめは神域や神聖な場所との境のために使用されていたが、その後、貴族や身分の高い人の住居の仕切りや装飾用として広まっていった。
 御簾は真竹や女竹を細長く削り、色染めした後、赤糸でまとめ、帽額(もこう)と呼ばれる果紋(かのもん)を織り込んだ美しい布で縁を囲んだものである。巻き上げて束ねて留めておくことができるように、裏に鉤(こ)と呼ばれる鉤爪が付けられている。鉤は総角(あげまき)結びの飾り紐で固定するようになっている。
 竹の編む時は絹糸を使い、葵を形取って竹を編み上げる葵あみ、六角模様を形取って編み上げる亀甲あみや、二本一組のラインで竹を編み上げる八重あみなどがある。
 『源氏物語』では、登場人物の心の機微を表現するアイテムとしてよく登場する。
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2007/10/18


旧本田家住宅 Kyuu-honda-ke-jyutaku 

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 「旧本田家住宅」は、長崎県下でも最古の農家住宅のひとつで、旧大村藩領古河村(現長崎市古河町)に遺存。建築年代は定かではないが、本田家は明和年間(1764〜1771年)にこの地に定住しているので、この住宅もその頃に建てられたと推定されている。
 本屋根は茅葺き。下屋は瓦葺きが普通だが、これは下屋も茅葺きである。4室あるうち、土間寄りの2室の間に仕切りを除いて1室とした、いわゆる三間取りの平面を持つ。土間の流しは「はしり」と呼ばれる、しゃがんだ姿勢で炊事を行う独特の形式である。
 旧本田家住宅は、昭和四六(1971)年に国の重要文化財に指定された。
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2007/10/17


京すだれ Kyou-sudare Kyosudare

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 京すだれ(きょうすだれ)は、高級品として知られる、京都府にて作られるすだれである。
 御簾(みす)は平安時代の宮廷の調度品として欠かせぬものであったが、町家では贅沢であるとして御簾の使用が禁じられたため、縁のない竹すだれが用いられた。
 すだれは神社仏閣・料亭など、伝統や格式を重んじる場所の多い京都ならではの工芸品として受け継がれてきたが、明治以降は角ひごが丸ひごとなり、四方に縁のついた座敷すだれが京すだれとして全国に広まった。
 現在も手づくりのすだれのほとんどが京都で生産されており、原料は琵琶湖東岸の物が最高とされ、間仕切りや日除けとしての実用性と趣のあるデザインが人気を集め、欧米などへも輸出されている。
 京すだれは、涼やかで雅な日本の伝統的調度品である。
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2007/4/12


旧真野家住宅 Kyushinnokejutaku Former House of Shinno Family

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 旧真野家住宅は、構造がきわめて古く、各所に古式を残しており、建築時期は、17世紀後半の江戸時代頃または更にさかのぼるとの説もある。
 主屋の表側を除く三方はすべて大壁となり、小舞は雑木や丸竹を混用し、大壁の塗厚は20センチ以上である。架構は梁行が二張間で、二ヶ所だけ梁受桁を用いて柱を抜いているほかすべての柱が原型どおり整然と並んでおり、奥の「でい」と言われる室にはこの時代としては珍しく床の間があった痕跡がある。
 柱は同じ太さの角材で釿削り後、台鉋で仕上げられており、もともと長押はなく厚鴨居を使うなど古い形式を残している。
 また土間とおきまの間を板戸と格子窓で仕切り、納戸も片引戸を使うなど閉鎖性の強い構造になっている。
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2007/2/13


格子 Koushi Koshi

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 周期的に並んだ区切りや仕切りで、数学的な意味合いで使われる。一般的には格子戸や鉄格子などとして使われる。
 日本の格子戸は古来より、寺院建築に扉形式の格子戸が多用されており、平安時代後期には、引き違いの格子戸が広く使用される様になった。「源氏物語絵巻」「年中行事絵巻」などには、黒漆塗りの格子戸を引き違いに使ったり、はめ込み式に建て込んだ間仕切りの様子が描かれている。
 この様な格子戸の用い方は、隔てる機能を果たしながら、湿気の多い日本において、風通しを良くしたり、薄暗くならない様に光を取り入れたりしながら、美しく見せる機能美がある。これは、障子にも繋がっていくものである。
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2007/2/6


大分 円形分水 Ooita Enkei-bunsui 

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 大野川の支流の大谷川から熊本県内で取水し、延長13キロメートルの水路によって竹田市の180ヘクタールの耕地を潤す音無井路は1898年に竣工している。
 この井路をめぐりたびたび水争いが起きた為、1934年に「12号分水」と呼ばれる円形の分水施設が竣工された。当時旧宮砥地区内部で水不足で争いが生じ、その対策として耕地面積に応じて3地区に比例分水出来る様にしたのがこの施設。大谷川取水□から2キロメートルに亘るトンネル水路を通った水がサイホン方式で、円形の中央から沸き上がる。円形は二重で、内外を仕切る壁には等間隔に小窓が設けられ、中央に湧き上がった水は小窓を通って外側の円形溝に流れ込む。
 外側の円形溝は仕切りで3分配しており、小窓の数や小窓に設けられた蓋、仕切り板の高さにより分水量が調整される。現在は石造りからコンクリート造りに改修され、水利争いを合理的に解決した施設として近代化遺産に評価されている。
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2006/12/17


大阪金剛簾 Osaka-kongou-sudare Osaka Kongo Bamboo Blinds

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 簾(すだれ)の起源は、平安時代に遡る。万葉集の歌の中にも簾が登場している。宮中での間仕切りや、飾りに使用されていた御簾(みす)というものが、現在の簾の原型と言われている。
 大阪での簾作りは、明暦元年(1655年)頃に、新堂村(今の富田林市若松町)で始まったとされている。
 金剛山の麓に自生する良質な竹を用いて、現在の産地が形成された。
 天然の真竹を使い、製造工程は大きく、「竹ひご作り」「編み上げ」「仕上げ」に分かれる。手作業で行われる理由は、自然の竹は色合い、節の間隔がそれぞれ違い、それを美しく仕上げるには、竹の微妙な違いを判別するために、人の目が必要とされるからだ。
 情緒、風格、機能を兼ね揃えた大阪金剛簾は現在でも室内の日よけや、仕切りとして用いられている。
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