NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/30


羽衣石城 Ueshi-Jo 

Jp

 羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にあった山城である。
 正平二一(1366)年、南条貞宗によって標高376mの羽衣石山に築城され、以後、南条氏の拠点として使用された。
 山陰道と東郷池に臨む東伯耆の要衝にあり、尼子氏や毛利氏と激しい攻防を繰り返した。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の合戦で南条氏が敗れ、羽衣石城は廃城となる。
 昭和六(1931)年、南条氏の子孫の手により、山上に模擬天守が建てられた。
 現在、羽衣石城にはよく整備された模擬天守と物見櫓風の展望台があり、山頂部に本の丸、二の丸、三の丸を配置し、主郭部から西へ削平地が幾段も置かれ、東の尾根には2筋の堀切が残る。
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2007/11/20


八幡焼 Hachiman-yaki 

Jp

 八幡焼(はちまんやき)は、島根県安来市広瀬町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 出雲の国広瀬は、その昔山陰の鎌倉といわれ、山陰山陽十一国を統治した尼子氏の月山富田城のあった山あいの郷である。
 享保八(1723)年、富田八幡宮神官・竹矢豊前と広瀬藩士・熊谷由武によって始められた。
 繊細な色あいの中にキラリと輝く鋭さを持ち合わせた青釉薬(あおゆうやく)を特色としており、青釉をほどこした食器や花器、茶器などが人々に広く愛用されている。
 呉須釉で「広瀬三万桶茶と茶漬」と謡われるぼてぼて茶用の茶碗なども知られており、釉薬と焼成の研究により木の葉天目、窯変などの作品にも力を入れている。
 最近は、伝統の茶陶のほか日用雑器なども焼かれている。
 八幡焼は、未だ日夜研究を続けられている伝統工芸品である。
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2007/10/31


安芸郡山城 Aki-kooriyama-jyou Aki Koriyama Castle Ruins

Jp En

 安芸郡山城(吉田郡山城)は、広島県安芸高田市吉田町にあった城である。
 建武三(1336)年、吉田荘の地頭となった毛利時親が、郡山南東の一支尾根に築城した。以来、戦国時代の元就までは、この城を居城とした。
 天文一〇(1541)年、吉田郡山城の戦いでは、尼子晴久率いる2万の軍に攻められるが、これの撃退に成功している。
 天正一七(1589)年、毛利氏は広島城へその居城を移し、その後、元和年間の一国一城令により廃城となった。
 現在、城の破却で遺構はほとんど壊されているが、郡山全山に多数(約130)の曲輪(くるわ)が今も残り、この城の規模や構造が容易に推定できる。
 安芸郡山城は、郡山全体を城郭化した大規模な山城であった。
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