NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/7


山王祭り Sannou-matsuri 

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 東京都千代田区永田町・日枝神社(ひえじんじゃ)は、江戸時代に江戸城の守護神として幕府の崇敬を受けた神社である。その由緒ある日枝神社の神幸祭が山王祭(さんのうまつり)である。
 この祭りは「天下祭り」と呼ばれ、山車が江戸城に入ることが許されていた。徳川家光をはじめ、歴代の将軍も上覧した「天下祭り」を山王祭は受け継ぎ、江戸三大祭のひとつに数えられているが、さらに京都・祇園祭、大阪・天満まつりとともに、日本三大祭りのひとつにもなっている。
 祭りは一年ごとの子、寅、辰、午、申、戌年の六月一五日に行われる。最盛期には六〇台以上もの神輿や山車が繰り出され、大行列となって飾りの豪華さを競い合ったという。
 現在も、最盛期には及ばずとも華麗な格式ある神輿や山車が町中を練り歩き、江戸っ子の祭りとして大変な賑わいを見せる。
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2008/8/4


明治川神社 Meijigawa-jinja 

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 明治川神社は明治一八(1885)年、明治用水建設に貢献した人たちを守護神として建立された神社である。
 明治用水は、ため池の水に頼るしかない村の枯れた土地へ、川の水を引き込み、大規模な耕地拡大を狙った計画で、碧海郡和泉村の豪農、都築弥厚(つづきやこう)が幕府に嘆願書を出したことが発端だとされる。ところが、農民たちの理解がなかなか得られず、志半ばで弥厚は亡くなってしまったという。
 明治期に入り、岡本兵松(ひょうまつ)、伊豫田予八郎(いよだよはちろう)らの手によってその開発計画が再燃した。そして明治一二(1879)年にようやく着工、翌年見事に第一次工事が完成し、その後枯れた台地が緑の台地に変わっていったのである。
 都築弥厚、岡本兵松、伊豫田与八郎らはこうした功績を称られ、今でも水の神様として土地の人々に崇められているという。
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2008/3/7


木ノ下駒 Kinoshita-goma Kinoshita-koma Wooden Horse Toys

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 宮城県の木ノ下駒(きのしたこま)は、青森の八幡駒・福島の三春駒と並び、日本三駒と称される馬の形をした玩具である。
 平安時代、馬は兵役や農耕には欠かせない大事な動物であった。当時、東北地方は馬の名産地でもあり、この地方の国府長官は朝廷の行事である「駒牽(こまひき)」の際には、必ず当地の馬を献上していたという。献上馬の首には、馬の形に作られた小さな木型が付けられていた。それをまねて作られたのが木ノ下駒の始まりと言われている。
 木ノ下駒は、陸奥国分寺薬師堂や白山神社の祭礼で馬の守護神・厄除けのお守りとして売られていた。その後、参拝者のおみやげとして人気を博すようになり、農閉期になると農家の貴重な副業となったという。
 木ノ下駒はすべて手造りで、その可愛らしい形からおみやげとして重宝され、全国に知れわたるようになったといわれる。
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2008/1/28


揖宿神社 Ibusuki-jinja Ibusuki Shrine

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 揖宿神社(いぶすきじんじゃ)は、鹿児島県指宿市東方にある神社である。祭神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)他八柱。
 社記によれば、慶雲三(706)年、天智天皇の由緒の地として葛城宮が創建されたという。
 貞観一六(874)年、現在の開聞岳の大噴火により遷宮し、枚聞神社を勧請して開聞新宮を名乗った。明治維新に際し揖宿神社と改称され、現在に至る。
 指宿郷の総氏神として地方開拓の祖神、航海安全、諸業繁栄の守護神として崇敬され続けてきた。
 現在の社殿は弘化四(1847)年、島津斉興(しまづなりおき)によって建てられたものである。
 境内には推定樹齢七〇〇年以上といわれる楠木の大樹八株があり、全体が「揖宿の社叢(しゃそう)」として県指定の天然記念物となっている。
 揖宿神社は、薩摩藩代々の藩主から篤く尊崇されてきた、古くから知られた神社である。
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2007/12/26


破魔弓 Hamaya 

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 昔から弓には魔を退ける力があると信じられていて、「破魔弓(はまや)」は魔を破る弓として用いられていた。
 破魔弓を贈る習慣は、江戸時代の頃に武家の男児に成長して立派な武士として出世する事を願い、手遊びに使える弓矢を贈った事から始まっている。やがて庶民にも伝わっていき、様々な邪気から身を守るという事で初正月を迎える男の子に贈ったり、新築の家の上棟式に供えたりする様になった。上棟式の破魔弓は家屋の守護神に供えられるもので、竣工するまでの加護の祈願や幸多く災いのない事を祈る気持ちが込められている。
 縁起物の贈答品として定着していった事で、次第に工芸的な美しさが求められる様になり、それを作る職人達の技も高められ、豪華なものになっていった。
 一般的に弓、矢、靫(うつぼ)を一組とした揃いを飾るが、正月の破魔矢の様に矢のみを飾る場合もある。
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2007/12/25


CARNA Kaana Carna Folding WheelChair

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 CARNA(カーナ)にはラテン語で「生活の女性守護神」という意味である。
 およそ八年の歳月をかけて作られたCARNAは、「スニーカーのような車椅子」を思わせる軽快でスタイリッシュなデザイン。軽量素材のチタンを全面的に使用し、コンパクトに折畳め、ユーザーの身体へ合わせた微調整にも対応。そして何より長時間座リ続けても心地よい。まさにユーザーが欲しいと思う「自分の脚」そのものといえる。
 現在CARNAはニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久展示品となっている。
 車椅子CARNAはその意味のごとく、いつもそばにいて、そっと生活を支えてくれる大切な存在となりうるだろう。
 
■CARNA
・H850×W610×D900
・重量9・5キロ(シート3キロ)
■デザインディレクター
 川崎和男
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2007/12/20


墨田区 牛島神社 Sumidaku Ushijimajinja 

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 墨田区の牛島神社(うしじまじんじゃ)は、東京都墨田区向島にある神社である。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、天之穂日命(あめのほひのみこと)、貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)。
 貞観二(860)年、慈覚大師が神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請して創祀された。その後、天之穂日命を祀り、ついで貞辰親王がこの地でなくなられた事からその神霊を併せて祀り、「王子権現」と称したという。
 治承四(1180)年には、神社祈願後に豪雨による洪水の中、無事大軍を渡らせた源頼朝が、神の加護に感謝して社殿を経営し、多くの神領を寄進した。
 総桧権現造りの東都屈指の大社殿を持ち、狛犬と並んで左右一対の神牛が奉納されている。
 また、文政八(1825)年ごろに奉納されたと言われる撫で牛があり、江戸時代から庶民に親しまれている。
 墨田区の牛島神社は、古来より今も人々に崇敬されている古社である。
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2007/12/11


武蔵御嶽神社 Musashi-mitake-jinja 

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 関東有数の霊場として知られる武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)は、青梅にある御岳山の山頂にある。社伝によると、紀元前九〇年、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられ、主祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)である。
 天平八(736)年に行基が東国鎮護を祈願し、蔵王権現を勧請したといわれる。古くは神仏習合により蔵王権現・御嶽権現と呼ばれ、魔除けや火難除けの守護神として崇敬された。江戸時代には民衆からの信仰を受け、現在も一年を通してたくさんの参拝客が訪れる。
 参道には三〇もの宿坊が立ち並んでおり、入り口である随身門から二五〇段の石段を登ると、本殿と幣殿・拝殿が建つ。本殿は神明造で、幣殿・拝殿は元禄一三(1700)年に造営された権現造りである。
 標高九二九メートルの山頂からは東京都内を一望できるほか、日光連山、丹沢山系などが望める。
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