多気城跡 Tage-jyou-ato Tage Castle Ruins
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栃木県宇都宮市中心から北東7キロほどの人里離れた多気山の山頂にある山城。中世の頃、北関東支配の拠点であった宇都宮城の支城として築かれた。
戦国時代末期には、戦国大名・宇都宮氏が北条氏の関東台頭に備え、ここ多気城を堅固で規模の大きな山城に整備し、戦闘の本拠地にしたとされる。
宇都宮氏は文禄元(1592)年の朝鮮出兵にも参陣し、帰還後は豊臣姓を賜り従五位下に任じられたが、慶長二(1597)年、突然放免され、備前国配流となり、関東の名門・宇都宮氏は没落。それに伴い、多気城も廃城となった。
宇都宮氏の総力を結集して築き上げたこの城は、多気山山頂を中心に多くの掘・土塁・曲輪(土塀)が山全体に配置され、その規模は関東屈指と言われている。
戦国時代末期には、戦国大名・宇都宮氏が北条氏の関東台頭に備え、ここ多気城を堅固で規模の大きな山城に整備し、戦闘の本拠地にしたとされる。
宇都宮氏は文禄元(1592)年の朝鮮出兵にも参陣し、帰還後は豊臣姓を賜り従五位下に任じられたが、慶長二(1597)年、突然放免され、備前国配流となり、関東の名門・宇都宮氏は没落。それに伴い、多気城も廃城となった。
宇都宮氏の総力を結集して築き上げたこの城は、多気山山頂を中心に多くの掘・土塁・曲輪(土塀)が山全体に配置され、その規模は関東屈指と言われている。
- 住所
- 321-0343 栃木県宇都宮市田下町
- 名前
- 多気城跡