NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/21


ヒーブル・オンジェイ hiiburu onjei Ondrej Hybl

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 1977年生まれ。大蔵流狂言茂山千五郎家修業生。チェコ、パルドヴィッツェ出身。2000年、国立カレル大学大学院哲学部入学。2002年、国費留学生として同志社大学大学院国文科に入学。狂言師、茂山七五三氏に師事する。2005年、同大学修士課程修了後、大阪大学大学院文学研究科博士課程文化表現論に進学、在学中。同年EXPO2005国際博覧会において「チェコ共和国を代表しての働き・活躍」に対しチェコ政府代表より表彰される。
 日本の伝統芸能である狂言の世界に強い関心を持ち、チェコ人初の狂言修業生になったオンジェイさん。
 狂言は人を笑わせる技術だが、安売りの笑いではない、人に対して優しいユーモアなのだという。
 人が本気で笑う時、そこに国境はなくなる。狂言が世界遺産になったということは、この地球にいる人たち全てにとって貴重な財産だということ。狂言は日本の古い文化に強く繋がっていて、世界の人も豊かにする可能性がある。と氏は語る。
 
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2006/12/15


適塾 Teki-juku Tekijuku 

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 適塾は蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が、江戸時代後期の天保9年(1838年)に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。
この塾では日本を代表する人物、福沢諭吉、大村益次郎、高松凌雲など、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出した。漫画家、手塚治虫の曽祖父にあたる手塚良仙も門下生の一人であった。
塾は、明治維新後、大坂医学校の開校にあたり、教師・塾生は移籍、その歴史を閉じた。現在は大阪大学医学部であり、日本で一番古くからの医学教育の伝統を継承している。
適塾の建物は現在も適塾管理運営委員会の管轄の下で保存されている。建物の右隣には、緒方洪庵の銅像がある。二階には塾生の部屋があり、その柱には無数の刀傷が残っている。これはおそらく、ここで激論の末にできた傷だと言われており、その時代の人物、背景が伺われる。
昭和39年(1964)国の重要文化財に指定されている。
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