NIPPON Kichi - 日本吉

記事数12件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/3/12


名寄鈴石 Nayoro-suzuishi 

Jp

 名寄鈴石(なよろすずいし)は、褐鉄鋼(かってっこう)という鉱物の一種で、昭和一四(1939)年九月に国の天然記念物の指定を受けた。
 約一〇万年前にできた丘陵や台地の土中に産出し、昭和五(1930)年に、名寄在住の弁護士で郷土史家の田中長三郎が発見した。
 核となる粘土などに、鉄分が殻のように巻き付いてできたと考えられる。鉄サビの固まりのような色で、ほぼ丸く、ピンポン玉からこぶしほどまでの大きさがある。
 振ると音がすることから「鈴石」と呼ばれるようになった。全国でも同様のものは、岐阜県の岩壷、奈良県の鳴石があげられる。
 中国の漢方では「石薬」として不老長寿の薬とされ、正倉院にも納められていた。
 名寄(なよろ)の由来は、アイヌ語で川のそばの国「ナイ・オロ・プト」がなまった「なよろ」からきている。語源のとおり、名寄市は西に天塩川(てしおがわ)、東に名寄川が流れている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/11


奥氷川神社 獅子舞 Oku-hikawa-jinja Shishi-mai 

Jp

 奥氷川神社獅子舞(おくひかわじんじゃししまい)は、埼玉県大宮市にある氷川神社の奥社にあたる奥氷川神社で、毎年八月の第二日曜日の例祭で奉納されている三匹獅子舞である。
 同社の祭礼における中心的行事として古くから行われていたが、いつごろ創始されたのかは不明である。様々な資料から、寛政四(1792)年にはすでに行われていたとされている。
 三匹の獅子はそれぞれ大太夫(おだい)、小太夫(こだい)、女獅子と呼ばれ、大太夫と小太夫は黒、女獅子は金色の頭となっている。舞い手たちはかすり模様に錠形紋をあしらった腰切着に花模様のかるさんを羽織り、牡丹の花を華やかにかざしてささらを鳴らす花笠、唄方や笛方、はやし方を率いて豪快に舞い踊る。
 関東一円に二百二十社あるといわれる氷川神社の奥の院で、大勢の観客に見守られながら繰り広げられる熱演は、獅子舞にこめられた歴史や思いをまさに熱く、今に伝えるものである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/31


笏拍子 Shakubyoushi 

Jp

 笏拍子(しゃくびょうし)は、日本に古来より伝わる伝統的な音楽、雅楽で用いられる楽器の一つであり、各種ある雅楽器の中でも最も簡単な造りをしている。
 その形は、平安時代の貴族や神社の神官が持っている笏を二つに割ったような形をしているが、当初は二枚の笏が用いられていたという。
 長さはおよそ35cm、厚さは1.2cmほどで、上の方が幅広く下のほうが狭くなっている。
 材質に特に決まりはないとされるが、実際の笏と同じ材質であるイチイや、音質の良さからケヤキを用いることもある。
 その用法は、左は真ん中の合わせ目を奏者の方に向け、左の側面に右の合わせ目を強く打ちつけて音を鳴らすもので、歌の主唱者がこの笏拍子を打って、全体の速度である拍子を決めていく。
 主に国風歌舞や古代歌謡の一つである催馬楽(さいばら)など、謡物(うたいもの)で用いられている。
 この楽器が打ち鳴らす音により雅楽の雅な音色と歌は、よりいっそうの魅力を増す。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/16


よさこい祭り Yosakoi-matsuri Yosakoi Festival

Jp En

 その生れは以外に新しい。戦後の不況を吹き飛ばそうと、高知商工会議所が発案し、1954年から始まった祭り。徳島の阿波踊りを意識して作られた。
 鳴子(なるこ、作物を狙う鳥を追い払う農機具)を手に持って鳴らすことを思いつき、現在でもよさこい祭りの重要なアイテムになっている。
 開始当初は日本舞踊の振り付けを踏襲した盆踊りスタイルであったが、武政英策(たけまさえいさく)氏が楽曲の自由なアレンジを許したため、その後色々なバリエーションを生むことになった。現在ではサンバ、ロック、ヒップホップ、演歌、フラメンコ、フラダンスなど各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露し、伝統を色濃く残す「正調」とともに観客を楽しませている。
 因みに「よさこい」とは、夜さり来い(夜にいらっしゃい)という古語が変化した言葉。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/28


高水山古式獅子舞 Takamizusan-koshiki-shishi-mai 

Jp

 東京、青梅市にある高水山(たかみずさん)。標高756mの山は、古くから山岳宗教の霊地として崇められ、麓には古刹として知られる高水山常福院がある。
 その、常福院の春の祭礼で奉納されるのが高水山古式獅子舞(こしきししまい)である。
 明和五(1768)年に奥多摩町大丹波村より師匠を招いて舞を習い、寛政七(1795)年に免許状ともいえる「日本獅子舞之由来」を伝授されたという。
 東京、埼玉、神奈川北部でよく見られる三匹獅子舞であり、大丹波を起点として、リレー式に伝承されていったといわれている。
 その舞は伝統を重んじた古式ゆかしいものとして知られ、大太夫(おだい)、小太夫(こだい)、女獅子の組合わせで、歌と楽器がつく。楽器の中には細かく割り束ねた竹を擦り付けて鳴らすささらと呼ばれるものも使用され、そのことから「ささら獅子舞」とも呼ばれている。
 戦時中も途絶えることなく毎年奉納された舞は、境内に咲く紫つつじとも相まって、いっそうの魅力を今に伝えている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します

keywords :