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奈良県奈良市の市街地南に位置し、古い町家や寺院が集まる元興寺の旧境内界隈を「ならまち」と呼ぶ。奈良で一番古い町として、伝統建築群地域に指定されている。
江戸時代末期から明治のならまちの面影を伝える町並みは、第二次世界大戦の戦火を免れたもので、風情ある建物があちらこちらに残されている。
旧市街は平城京の外京にあたり、平城京のまちの構造をもとに、中世に新たに発達したまちであった。都が長岡京に移った後、平城京は荒廃したが、寺院はそのまま残された。東大寺や興福寺の辺りには、寺の仕事にたずさわる人々が住みつき、やがて郷(ごう)と呼ばれるまちをつくりあげた。
懐かしい生活用具などを展示してある「奈良町資料館」や、間口は狭く奥行きの深い、伝統的な町屋を再現した「奈良市ならまち格子の家」など、今も当時の面影を残している。
江戸時代末期から明治のならまちの面影を伝える町並みは、第二次世界大戦の戦火を免れたもので、風情ある建物があちらこちらに残されている。
旧市街は平城京の外京にあたり、平城京のまちの構造をもとに、中世に新たに発達したまちであった。都が長岡京に移った後、平城京は荒廃したが、寺院はそのまま残された。東大寺や興福寺の辺りには、寺の仕事にたずさわる人々が住みつき、やがて郷(ごう)と呼ばれるまちをつくりあげた。
懐かしい生活用具などを展示してある「奈良町資料館」や、間口は狭く奥行きの深い、伝統的な町屋を再現した「奈良市ならまち格子の家」など、今も当時の面影を残している。
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