NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/8


音止めの滝 Otodome-no-taki 

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 音止めの滝(おとどめのたき)は、静岡県富士宮市にある落差25m、幅5mの滝である。日本の滝百選のひとつに選ばれている。
 芝川本流の滝で、豪快で雄雄しい姿をしている。幅の狭い樋のような岩場から一気に落ちており、台地を挟んで同じく滝百選の落差20m、幅200mの白糸の滝と並んでいる。
 落差は白糸の滝よりは少し高めで、水量も豊富にあり、二つの滝は好対照を成している。
 滝の名は、建久四(1193)年の曾我兄弟の仇討ちの際にこの滝の音が一時止まり、仇討ちの相談が出来たという伝説に由来している。
 付近には曽我兄弟の隠れ岩、兄弟の仇である工藤祐経の墓、源頼朝が鬢の乱れを直したという泉が存在する。
 音止めの滝は、豪快で勇壮な名瀑である。
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2007/4/6


曽我どんの傘焼き Sogadon-no-Kasayaki 

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 「曽我どんの傘焼き」は、鹿児島県鹿児島市加治屋町にて行われる、曽我兄弟のあだ討ちにちなむ伝統行事である。
 建久四(1193)年、鎌倉幕府の将軍源頼朝は富士の裾野で狩を行った。その夜、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟が頼朝の陣屋に討ち入り、父の仇・工藤祐経を討った。
 その夜は激しい雨。兄弟は雨傘に火をつけ、たいまつ代わりに燃やし、陣屋を目指したという。
 江戸時代中期、鎌倉武士の流れをくむ薩摩藩主の島津家が、この故事にならって、傘を焼いて顕彰する行事を始めたのがルーツである。
 あだ討ちと同じ旧暦の五月二八日の夜に傘焼きを行い、曽我兄弟の孝心を偲ぶ。まさに「曽我どん(曽我殿)」の傘焼きである。
 祭りでは、褌姿の男たちが甲突川河畔に10mの竹のやぐらを組み、四、五百本の古い和傘を積み上げて、曾我兄弟の歌を唄いながら傘を燃やす。
 夜空高く舞い上がる炎が鎌倉武士の気概を今に伝える。
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2007/1/25


曽我の傘焼まつり Soga-no-kasayaki-matsuri Soga no Kasayaki Matsuri Festival

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 曽我の傘焼まつりは、神奈川県小田原市曽我谷津にて行われる、かながわのまつり50選に選ばれている祭りである。
 鎌倉時代の1193年、曽我五郎・十郎兄弟が富士のすそ野で父の敵を討つ際、傘を燃やして松明の代わりにしたという、日本三大仇討ちの一つであり、歌舞伎の演目としても知られている曽我物語を元にしている。
 その命日である5月28日に、曽我兄弟を祀って魂を鎮めるのが、このお祭りである。
 祭りでは、兄弟の菩提寺に奉納された古傘に、十郎・五郎に扮した幼児が火を放って供養する。
 他にも、曽我兄弟ゆかりの俳優物故者回向・傘焼法要・武者行列・稚児行列・大相撲パレード・子供相撲などが行われる。
 曽我の傘焼まつりは、有名な故事に由来する珍しい祭りである。
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