功雲寺 Kouun-ji Kounji Temple
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功雲寺(こううんじ)は、神奈川県相模原市津久井町にある曹洞宗の寺である。本尊は釈迦如来。
応永一五(1408)年、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に創建され、当時は、耕雲庵と称されていた。その後、戦国時代になって、津久井城主・内藤景定が現在地に移し功雲寺として開基された。
下総国鴻台(しもうさのくにこうのだい)、現在の千葉県市川市国府台にある総寧寺(そうねいじ)の末寺にあたる。総寧寺は、江戸時代に曹洞宗の関東僧録司・三ヶ寺の筆頭である。
かつては、広い境内に山門、本堂、開山堂、白山堂、鐘楼などが立ち並び、寺領50石を封じられた大寺院だった。本堂の裏手には歴代住職の無縫塔群、その中央に景定夫妻のものといわれている宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建つ。
これを囲んで代官守屋左太夫一族、城代家老馬場佐渡、元家臣で津久井総代名主・島崎律直らの墓が並んでおり、津久井城主の墓は、町指定文化財となっている。
功雲寺は、領主内藤氏とゆかりの深い寺である。
応永一五(1408)年、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に創建され、当時は、耕雲庵と称されていた。その後、戦国時代になって、津久井城主・内藤景定が現在地に移し功雲寺として開基された。
下総国鴻台(しもうさのくにこうのだい)、現在の千葉県市川市国府台にある総寧寺(そうねいじ)の末寺にあたる。総寧寺は、江戸時代に曹洞宗の関東僧録司・三ヶ寺の筆頭である。
かつては、広い境内に山門、本堂、開山堂、白山堂、鐘楼などが立ち並び、寺領50石を封じられた大寺院だった。本堂の裏手には歴代住職の無縫塔群、その中央に景定夫妻のものといわれている宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建つ。
これを囲んで代官守屋左太夫一族、城代家老馬場佐渡、元家臣で津久井総代名主・島崎律直らの墓が並んでおり、津久井城主の墓は、町指定文化財となっている。
功雲寺は、領主内藤氏とゆかりの深い寺である。
- 住所
- 220-0203 神奈川県相模原市津久井町根小屋2896
- 名前
- 功雲寺
- 電話
- 042-784-1644