NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/19


和柄オーダーメイドスニーカー Wagara-oudameido-sunika 

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 スニーカーは靴底にゴムを使用し、素材の柔らかさや履きやすさが幅広い年齢層に人気の運動靴である。足を覆う部分にキャンバス地を使用している、キャンバススニーカーは汗を吸収しやすく、気軽に水洗いも出来るので、清涼感が人気である。
 今そのキャンバス地の柄を自分で選べる、オーダーメイドスニーカーが人気である。
 和柄が特に人気があり、浮世絵、草木絵柄、古典花絵柄、家紋、青磁など、豊富な種類に驚かされる。自分だけの和柄オーダーメイドスニーカーが特別注文できる。
 模様は時空を超える。時間を潜り抜けてきた模様たちが、アスファルトの上のスニーカーに蘇る。
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2007/11/9


雪駄 Setta 

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 雪駄(せった)は、日本の伝統的履物である。
 畳表の草履の裏底に牛革を貼って防水機能をつけたもので、かかとにつけた皮の部分には金属製の鋲が打ち込まれている。
 雪の日の茶会で露地入りするのに千利休(せんのりきゅう)が開発したという説や、利休と交流のあった茶人・丿貫(へちかん)の創始とも言われている。
 歩くとかかとの金具がチャラチャラと鳴り、「雪駄ちゃらちゃら」と言われ、粋とされた。
 江戸時代には主に茶人や風流人、江戸町奉行所の同心が用いるものとされたが、現代では男性が着物を着る場合に用いられている。
 鼻緒にちょっと指の先をひっかける程度で、後ろはかかとがはみ出すようにして履くのが粋な履き方とされている。
 雪駄は、風流で高級な草履とも言える伝統的履物である。
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草鞋 Waraji 

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 草鞋(わらじ)は、緒で足の甲をしっかり固定して履き、長距離を歩く旅や、山仕事などに用いられる、ワラで編んだ日本の伝統的な履物である。
 中国の植物繊維を編んだ靴である草鞋が伝わったもので、奈良時代にはワラクツと言われていた。
 平安時代以降に日本の気候風土に合わせて工夫され、足指にはさんで履く庶民の履物として農作業や旅の時に利用された。
 草鞋は、足を乗せる台、かかとを受け止める返し、足を結ぶ紐、紐と返しを結ぶ乳からなっており、山歩きや長距離の歩行の際に非常に歩きやすく、昔の旅の必需品であった。
 現在は、祭りや信仰の場で身に付ける履物として存在し、一般的に日常生活では使用されていない。
 草鞋は、かつては旅や労働の時に日常使用されていた伝統の履物である。
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かんじき Kanjiki 

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 かんじきとは、雪国で雪上を歩くために昔から使われてきた、伝統的な日本の履物である。
 起源は古く、新石器時代に北欧から北アジア・北アメリカに伝わったといわれており、北半球の各地でその使用がみられる。
 日本でも、かんじきは縄文時代から使われていたと考えられ、その分布も山陰地方から北海道までと多岐にわたっている。
 踏み固められていない雪の上を普通の靴で歩くと、足を取られて思うように歩けないが、かんじきは体重を分散させる事で雪の上でも歩きやすくなる。
 足の接地面積を増す事で柔らかく深い雪に足が埋まらないようにするもので、木や竹を材料とし、輪型に作るほか、すだれ型のものもある。これらの中には滑り止めの爪を有するかんじきも存在する。
 かんじきは、雪上を歩く時に便利な日本の伝統的履物である。
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2007/10/5


知立まつり Chiryuu-matsuri Chiryu Festival

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 知立(ちりゅう)は江戸時代に東海道三九番目の宿場町として、また交通の要衝として栄えた池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)があった。
 知立祭り(ちりゅうまつり)は知立神社の祭礼として、一年交代で本祭りと間祭り(あいまつり)が五月二日・三日に行われる。
 本祭りでは、5つの町から高さ7メートル弱、重さ5トンの豪華絢爛な山車が宿場町を練り歩く。
 また、山車の上で上演される人形浄瑠璃や人形からくりは、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 間祭りでは、花が咲き誇るように彩られた花車と、かわいらしい子供の奴道中(やっこどうちゅう)が市内に繰り出す。それらはピンク・紫・白などの色彩が目にも鮮やかでかわいらしい。
 知立まつりの伝統は町の人達を中心に、江戸時代から二五〇年以上経った今でも継承されている。
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秋葉まつり Akiba-matsuri Akiba Festival

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 知立神社(ちりゅうじんじゃ)は池鯉鮒大明神(ちりふだいみょうじん)とも呼ばれ、江戸時代には東海道三社のひとつに数えられた。境内には室町時代に建てられた多宝塔(国指定重要文化財)をはじめ、舞楽面、能面、獅子頭面などの貴重な文化財が多数残されている。
 知立神社の祭りはいくつかあるが、毎年九月に行われる「秋葉(あきば)祭り」は、敷地内に鎮座する秋葉神社の例祭である。春の知立神社大祭に対応した秋祭りとして、神楽や人形浄瑠璃などを奉納していたことが、宝暦六(1758)年の祭礼帳に記録されている。
 明治四〇(1907)年頃には手筒花火の奉納が始まり、以降、花火が秋葉祭りの中心となった。日中は市内にある西町、山屋敷町、宝町、山町、中新町、本町の六町の若衆が、花火玉に見立てた石を入れた玉箱をかつぎ、「長持ち歌」を歌いながら威勢よく町内を練り歩く。夕方になると知立神社に宮入りをし、円陣を組んで勇壮な手筒花火や打ち上げ花火を披露する。
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足助春まつり Asuke-haru-matsuri 

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 足助(あすけ)はかつて塩の道と呼ばれた中馬街道の宿場で、奥三河の中枢拠点として栄えた。今も往時の面影を残す古い町並みが、足助川沿いの約二キロにわたって残る。
 足助では、毎年四月第二週の土日曜日に「春まつり」が開催される。この祭りは、明治三五(1902)年に創建された足助神社の例祭で、元弘の乱において京都笠置山で奮戦した足助次郎重範(あすけじろうしげのり)を偲ぶ。勇壮な秋祭りに対して、華やかな女の子の祭りと言われている。
 旧足助町域にある親王町、田町、本町、新町、西町、宮町、松栄町の七つの町から花車が出る。花車はピンクの造花で美しく飾られており、十代以下の女の子がお囃子の太鼓をたたく。そして若連と呼ばれる二〇代中心の男衆が花車の梶を取り、足助の町並みを練り歩く。その後、七台の花車は足助神社に集結し奉納囃子が始まる。奉納囃子の演奏は、一台ずつ順番に行われる。
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2007/10/4


田名部まつり Tanabe-matsuri Tanabu Festival

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 下北地方最大の夏祭りが「田名部(たなぶ)まつり」である。江戸時代に下北の総鎮守だった田名部神社の例大祭で、青森県の無形民族文化財に指定されている。
 祭りの起源は定かでないが、寛政五(1793)年の菅江真澄(すがえますみ)の紀行文に、すでにこの祭が記されていることから、それ以前に始まったと推測されている。かつては陰暦七月一八~二〇日に行われていたが、明治三(1870)年より現在の八月一八~二〇日となった。
 田名部五町から「ヤマ」と呼ばれる木製黒漆塗りの山車が繰り出し、むつ市内を練り歩く。ヤマは二階建てで、下の階には乗子(のりこ)と呼ばれる囃子方が乗り、上の階には御神体を乗せて運行する。京都祇園祭の流れを汲むとされる山車は絢爛豪華そのもの。
 祭りは最終日の深夜、「五車別れ」でクライマックスを迎える。五台の山車は田名部神社を後にし、目抜き通りの本町十字路に勢ぞろいする。お囃子が鳴り響く中、山車を引く若衆や見物客にたる酒が振る舞われ、来年の再会を約束してそれぞれの町内へ帰る。
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