NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/28


小田部庄右衛門 (御鋳物師) Kotabe Shouemon (On-Imonoshi) Shouemon Kotabe (Metal Worker)

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 小田部庄右衛門。昭和46(1971)年、茨城県生れ。
 御鋳物師(おんいものし)として八〇〇年以上の伝統を守り続ける。小田部家三七代。
 父である先代の元、子供の頃より梵鐘作りを手伝う。国立高岡短期大学(現富山大学)金属工学科卒業後、盛岡の鉄瓶工房で修行。その後、小田部鋳造に戻り、25歳で御鋳物師を継ぐ。
 筑波山の麓にある工場では梵鐘、半鐘、天水鉢の鋳造を行っており、全国から注文の他に、外国からのベルの製作依頼もある。
 文字と模様を相談し、地元の砂と粘土で鋳型を作り1200度の銅と錫を流し込む。小田部鋳造では鐘に着色しないので、鋳型にとても手間をかける。一つの梵鐘を作るのには、4ヶ月~半年、さらには一年かかることもある。鋳型から取り出された鐘はオレンジがかった赤銅色をしており、しだいに赤、紫、青緑を帯びてゆく。時とともにその土地の空気が色を変化させるのだ。
 イメージの先にある梵鐘の響き。心を震わせる音を求めて小田部さんは試行錯誤を続けている。
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2008/5/30


大台ヶ原山 Oodaigahara-yama 

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 大台ヶ原山(おおだいがはらやま)は、奈良県吉野郡上北山村、及び川上村~三重県多気郡大台町にまたがる山で、標高1694mの日出ヶ岳(ひでがだけ)が最高峰となる。日本百名山の一つとされており、日本の秘境100選にも選ばれている。
 大台ヶ原という名の峰はなく、日出ヶ岳・正木嶺・巴岳のほか、牛石ヶ原・正木ヶ原・大蛇グラなどの総称である。
 昔は大平と呼ばれたが、やがて大平原になり大台ヶ原と変化したのが名前の由来とされる。
 日本有数の多雨地帯で、年間4800mmを越す雨量は美しい樹木を育てる基盤を作り、一帯には豊富な植物相が見られる。
 吉野・熊野国立公園に属し、大雨が育む原生林と屈指の渓谷美をもっている。
 大台ヶ原山は、厳しい自然の魅力に溢れた山である。
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2008/5/20


彼岸 Higan 

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 彼岸(ひがん)とは、季節の移り変わりを把握するために設けられた雑節の一つで、春分と秋分それぞれを中日として、前後三日間を合わせた七日間が該当する。また、仏教行事である「彼岸会」(ひがんえ)のことも表す。
 最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「はしりくち」と呼び、仏教における、煩悩を脱した悟りの境地を表すもので、煩悩や迷いに満ちたこの世は「此岸」(しがん)と呼び、その対岸にあたる場所である。
 元々は中国から伝わったもので、中国では彼岸と此岸の関係から、日々の行いを律する戒めのようなものであったが、日本に伝来してから、いつのまにか法要を営み、祖先を祀る行事へと変化したとされ、日本においては大同元(806)年に初めて、彼岸会が催されたといわれている。
 お彼岸で供えられるぼた餅やおはぎは、春の牡丹と秋の萩に由来しているという。
 お盆にしか帰えれないご先祖様にとっては、夏以外の季節を感じられる各別のお供え物になるに違いない。
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2008/5/14


五色ヶ浜 Goshikiga-hama 

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 日本海に突き出た能登半島の先端付近、いわゆる奥能登の珠洲郡内浦町にあるのが五色ヶ浜だ。
 周辺には悲恋伝説が残る恋路海岸や赤茶色の岩礁が連なる赤碕海岸などもあり、日本海の美しい海岸の続くスポットでもある。
 一日に五回、砂の色が五色に変化するという言い伝えが残っており、それがこの浜の名の由来となっている。
 遠浅になっていることもあって打ち寄せる波は非常に穏やかで、透明度の高い奥能登の海の美しさと相まって、砂浜の白さがいっそう際立っている。
 浜そのものは海水浴場にもなっており、シーズンになれば海水浴客で賑わいを見せる。
 また、シーズンを過ぎても、この静かで美しい海岸は、絶好の夕陽のスポットになる。
 日本海の水平線へと沈み行く、赤く燃える落日は、白い砂浜を一時だけ、赤い絨毯へと変貌させてくれるだろう。
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2008/5/12


八釜の甌穴群 Yakama-no-Ouketsu-gun 

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 八釜の甌穴群(やかまのおうけつぐん)は、愛媛県上浮穴郡柳谷村に位置する黒川の激流によって出来たものである。巨大甌穴を含む35個の甌穴が集まっているという。
 甌穴最大のものは、直径9~12m、深さ約10mにもなり、トンネル釜・獅子釜・眼鏡釜などと命名された主流に連なる8つの甌穴が、釜の形に似ている事から八釜の甌穴群と呼ばれるようになったとされる。
 地質は秩父古生層からなり、河床となっている堅硬なフリント質角岩が河水の長年にわたる侵蝕作用によって、大小三十有余の甌穴群を形成したといわれる。
 昭和9年5月に国の天然記念物に指定され、昭和27年3月には特別天然記念物に指定された。
 立て札には、「付近一帯には、地盤の隆起と主流の変化により、誕生から成長、破壊と各過程の甌穴を視察することができ、学術上極めて価値が高いとされている。」と記されている。
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2008/5/2


朝日山 Asahi-san 

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 朝日山(あさひさん)は、山形県と新潟県の県境に広がる越後山脈の最北部に連なる山々の総称である。
 朝日岳や朝日連峰とも呼ばれ、主峰である標高1870mの大朝日岳や1647mの小朝日岳、1814mの西朝日岳、1688mの竜門山などが、南北60km、東西30kmに及ぶ山塊となって横たわっている。
 北に位置する出羽三山、そして南の飯豊連峰とともに磐梯朝日国立公園に含まれており、そのどっしりとした山容や有数の豪雪地帯である故の雪色によって刻まれた深い渓谷、変化に富んだ美しい高山植物など、東北屈指の山塊として威容を誇っている。
 主峰の大朝日岳は均整の取れた美しい三角形の山容を持ち、チングルマやアズマギク、ワタスゲなどの高山植物も豊富で、多くの登山者達に愛されている。
 山肌に見られる険しい渓谷とは裏腹に山稜は比較的なだらかで、森林限界を超えてからは、さえぎるものがない天上世界を満喫することができるだろう。
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2008/4/25


宮島焼 Miyajima-yaki 

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 宮島焼(みやじまやき)は、広島県廿日市市に伝わる伝統工芸品である。
 別名、神砂焼(しんしゃやき)・お砂焼(おすなやき)・厳島焼(いつくしまやき)とも言われ、その名の通り宮島の砂を入れて焼き上げられているのが特徴とされる。
 天明寛政(1781~1801)頃、賀茂郡の人が厳島神社の砂をお守りとして旅行し、無事帰宅を果たした。彼は村に帰ってから、この砂を神社に返した。
 砂をただ返すだけではもったいないと感じた彼は、この砂を使って幾つかの土器を作り、厳島参拝の際に神に供えた。これが宮島焼の始まりであるとされている。
 萩焼(はぎやき)に似て清楚な雰囲気を持ち、固く焼き締められているので強度があり、ゆっくりと色が変化していく。色はグレーの砂の色のものや黄土色が中心となっている。
 宮島焼は、厳島神社ゆかりの伝統的な陶器である。
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2008/4/9


栄の国まつり Sakae-no-kuni-matsuri Sakaenokuni Festival

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 佐賀市の栄の国まつりは、佐賀城跡を中心に毎年8月の第1土、日曜日に行われる。
 昭和三七(1962)年に市内の商店街で始まった佐賀七夕まつりから、昭和四七年(1972)年の納涼佐賀まつりを経て、平成二(1990)年から栄の国まつりとなっている。
 祭りの2日間は「YOSAKOIさが」開催され、県内外から50以上のチームがよさこい踊りを披露する。期間中はおまつり広場が設けられ、オープンカフェや露天が祭りを盛上げる。
 初日は、七夕祭り、前夜祭、花火大会が開催され、翌日は趣向を凝らした神輿などが街を練り歩くパレードや各種イベント、そして飛入り参加も可能な総踊りが夕刻より行われ、3000人以上が参加して、祭りのフィナーレを飾る。
 市民参加型の栄の国まつりは、メインのイベントを軸に、毎年様々なイベントを催し、誰でも参加できる祭りへと毎年変化を遂げ、さらに盛上がりをみせている。
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