NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/12


旗印染 Hatashirushi-zome 

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 旗印染(はたしるしぞめ)は京都で古くから伝わるもので、旗やのぼりなどに固有名の文字や紋章、記号などを染め出す技術のことである。
 文献によると旗は卑弥呼の時代からすでに登場し、のぼりは応仁の乱には使用されていたと記されている。
 技法は型を使ってのりを置き、染めてからのりを落とす型染め(かたぞめ)という方法で文様をうかび上がらせるものである。
 旗印染は非常に繊細な作業と大胆な作業を持ち合わせた、技術の高い染色方法である。中世に活躍した藍染専門の職人たちを称した紺屋(こんや)が作り上げていったものといわれている。
 その後、時代の遍歴とともに旗印染は旗やのぼり以外に風呂敷、ふくさ、印ばんてん、ゆかた、のれんなど、その用途は広がりをみせ、今日までその技術は京都で受け継がれている。
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2007/6/29


京都 掛札  Kyoto Kakefuda Kyoto Kakefuda

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 1925(大正14)年創業。京都・四条堀川に店を構える老舗の染物店。代々受け継がれてきた家紋入りの正絹風呂敷や帛久紗(ふくさ)、のれんや旗、幕などのオーダー専門店として営業を続けてきた。しかし、大学卒業後に家業を継いだ三代目の掛札英敬さんが2004年、中村勘九郎(現勘三郎)さんの「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿風呂敷のデザインと制作を担い、翌年に日本の伝統文様をモチーフにした既成の綿の風呂敷を発表したのを機に、社名・店名を「京都 掛札」に変更。さらに家紋をアレンジした木綿風呂敷専用のロゴマークを起用した。
 分業が一般化した今日では、デザインから型彫り、染め、縫製、仕上げ、販売まですべて一軒でまかなう専門店は貴重な存在。それでいて変わることを拒まない柔軟さは老舗の新たなあり方を示唆している。
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掛札英敬 KakefudaHidetaka Hidetaka Kakefuda

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 オーダーメイドの風呂敷を専門とする染物店「京都 掛札」三代目。1977年、京都市生まれ。1996年、京都市立芸術大学入学。在学中に彫刻専攻から構想設計専攻に移籍。大学在学中に家業を手伝い始め、代々店に伝わる家紋帳を見て伝統模様に興味を抱き、大学卒業後に家業を継ぐ。
 2004年、中村勘九郎の「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿の風呂敷のデザイン、制作を担う。これをきっかけに翌年、唐草や亀甲など日本の伝統文様をアレンジした綿の風呂敷を発表。「入門編として気軽に使かってもらえる風呂敷が欲しいと思ったんです」と語る口調は、まったく気負いがない。2005年以降、日本伝統の文様をもとにした「ジャパニーズモダン」とも称される新作風呂敷を発表し続けている。
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2007/6/14


筒描藍染 Tsutsugaki-aizome Tsutsugaki Aizome (Tsutsugaki Indigo Blue Dyeing)

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 島根県の出雲・松江・米子を中心とする、ふるさと伝統工芸品に指定されている風呂敷。
 明治以前より藍染をする紺屋は各地にみられたが、明治40年頃から次第に化学染料(建染染料)が普及。昭和25年には、筒描藍染を行うオモテ紺屋(糸を染めるカセ紺屋に対する呼称)は出雲地方において、紺屋59軒の内、オモテ紺屋のみ4軒となった。
 現在は、筒描藍染技術保持者として島根県指定無形文化財に認定されている、長田紺屋1軒を残すのみとなった。
 オモテ紺屋が染めた筒描藍染は大正時代までは嫁入支度として、定紋を入れ藍染で染めあげた。風呂敷もそのひとつであった。
 何度も染を繰り返し完成する。図柄は、のりを塗って染まらないようにして、高瀬川でゆっくりと洗われる。
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2007/5/22


鶯色 Uguisuiro 

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 鶯の羽の色に似た、灰色がかった緑褐色を指す。
 江戸時代中期には、茶色が強くかかった鶯茶が流行ったため、当時、鶯色といえばこちらを指した。
現在の緑褐色の鶯色は、明治以降に一般的になった。
 近年では、和菓子のうぐいす餅などで使われる、うぐいす黄粉の黄緑色を連想する人も多いが、これは同じスズメ目であるメジロの羽の色に近く、形も鶯に似ており、混同されることが多い。
 西洋ヒイラギの葉の色である、「ホーリーグリーン」や、未成熟のオリーブの色である「オリーブグリーン」に近い。
 着物やふろしき等の和装品にも多く用いられ、非常に落ち着いた風合いを醸し出す色である。
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2007/3/26


風呂敷 Furo-shiki 

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 風呂敷(ふろしき)は物を包み、持ち運んだり収納したりする為の正方形に近い形の布。
 一枚の布で様々の形状、大きさのものを包むことができるため広く普及していった。風呂敷自体、様々な大きさのものが作られ強度を上げるため刺子を施すなどもされ、サイズの大きいものは大風呂敷といい布団を包めるようなものもある。
 起源は定かではないが正倉院の所蔵物に風呂敷らしきものがある。 古くは衣包、平包(ひらつつみ)と呼ばれていた。それが風呂敷と呼ばれるようになったのは室町時代末期、大名が風呂に入る際に平包を広げその上で脱衣などして服を包んだ、あるいは足ふきにしたなどの説があるが定かではない。
 我が国に、布が存在してより「包みもの」の歴史が始まるが、それは最も単純な一枚の布であるため、現在の風呂敷に至るまで形、使用方法の変化はない。
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2007/1/15


包む Tsutsumu Wrapping

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 「包む」と書いて「つつむ」と読む。この「包」という漢字は、腹の中に子を身ごもっている女性の姿を描いた象形文字からきているそうである。
 従って、「包む」という言葉には母性的なやさしさが表れている。
 日本では「つつむ」と聞けば、風呂敷などを思い出す。1枚の布が自由自在に変化し、いろんな形でつつむという表現を表す。柔軟な七変化のやわらかさ、やさしさを感じるものである。
 「包む」と書いて「くるむ」とも読む。「つつむ」は「霧につつまれる」などにも用いられるが、「霧にくるまれる」とは使わない。「くるむ」は「つつむ」をより身の回りに特化した言葉である。その意味は「巻くようにものをつつむ」となり、風呂敷はもちろん、「衣」という表現とマッチする言葉だ。
 日本の昔からの作法では、包装紙で「つつんだ」プレゼントを風呂敷に「くるんで」相手の下へ運ぶと、2倍のやさしさにつつまれるのかもしれない。
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2006/12/1


50cm巾小ふろしき 二階町ヱリショウ 50cm-kinshoufuroshiki Nikaimachi-Erishou Furoshiki of Erisho

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 古き良き時代、ニッポンの贈り物といえばつきものだった風呂敷。
 世界中を探しても類を見ない、この万能で変幻自在な包装布を常用しなくなってしまったのは一体いつ頃からなのだろうか。
 手持ちするプレゼントなら袋からガサゴソ取り出すよりスルッと風呂敷をほどいて渡した方がスマートだし、風呂敷なら包みのままでも小洒落ている。
 風呂敷ごとプレゼントするなら、やはりそこはセンスを見せたい所だろう。
伝統に根ざした魅力の品々と、自由で楽しい現代感覚との出会い。二階町エリショウの風呂敷ならハイセンスな上にお値段もリーズナブル。
 一歩上をいく大人のプレゼントに風呂敷をプラスしてみるのはどうだろうか。
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