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金沢城に残る蔵の跡。本丸跡の付近にある。長さ三六・五間、幅三間の二階建ての土蔵。元々は軍備のための蔵。干米などの貯蔵のために使われたといわれているが、後には鉄砲倉とも呼ばれたという。
南面入母屋造りで鉛瓦葺きの屋根を持ち、白壁の腰には海鼠瓦で装飾が施されている。二階の腰には、鉛瓦葺きの庇がある。
金沢城には、現存する三十間長屋を含め、全部で十四の長屋があったといわれており、往時は壮観であったことが想像できる。
現存する三十間長屋は、安政五年(1858年)に再建されたものであり、現存する金沢城の遺構は、石川門とこれのみである。
昭和三十二年に重要文化財に指定されている。
南面入母屋造りで鉛瓦葺きの屋根を持ち、白壁の腰には海鼠瓦で装飾が施されている。二階の腰には、鉛瓦葺きの庇がある。
金沢城には、現存する三十間長屋を含め、全部で十四の長屋があったといわれており、往時は壮観であったことが想像できる。
現存する三十間長屋は、安政五年(1858年)に再建されたものであり、現存する金沢城の遺構は、石川門とこれのみである。
昭和三十二年に重要文化財に指定されている。
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