鶴ヶ丘城 Tsurugaoka-jyo
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鶴ヶ丘城は、山形県鶴岡市馬場町にあった城である。
大宝寺氏が築いた大宝寺城が、鶴ヶ岡城の前身といわれる。
天正16(1588)年、上杉景勝の家臣により攻略され、大宝寺城が要衝の地にある事に着目した景勝の重臣・直江兼続が、修築・拡張した。
その後、関ヶ原の合戦の功によって最上義光に加増され、慶長8(1603)年、全面改修し、鶴ヶ岡城と改められる。
元和8(1622)年、最上氏が改易されると領地は四分され、以後譜代大名が配置された。
戊辰戦争の際には佐幕派として戦ったが敗戦・開城し、明治9(1876)年、廃城となった。
現在は本丸・二ノ丸が鶴岡公園となっており、本丸跡には荘内神社・護国神社が祀られている。
鶴ヶ丘城は要害であり、歴史に翻弄された激戦の地である。
大宝寺氏が築いた大宝寺城が、鶴ヶ岡城の前身といわれる。
天正16(1588)年、上杉景勝の家臣により攻略され、大宝寺城が要衝の地にある事に着目した景勝の重臣・直江兼続が、修築・拡張した。
その後、関ヶ原の合戦の功によって最上義光に加増され、慶長8(1603)年、全面改修し、鶴ヶ岡城と改められる。
元和8(1622)年、最上氏が改易されると領地は四分され、以後譜代大名が配置された。
戊辰戦争の際には佐幕派として戦ったが敗戦・開城し、明治9(1876)年、廃城となった。
現在は本丸・二ノ丸が鶴岡公園となっており、本丸跡には荘内神社・護国神社が祀られている。
鶴ヶ丘城は要害であり、歴史に翻弄された激戦の地である。
- 住所
- 997-0035山形県鶴岡市馬場町
- 名前
- 鶴ヶ丘城 (鶴岡公園)