NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/29


緞子 Donsu 

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 緞子(どんす)は、日本に伝わる織物のひとつである。
 経糸(たていと)に諸撚本練糸(もろよりほんねりいと)、緯糸(よこいと)に練糸(ねりいと)を用い、昼夜繻子織(ちゅうやしゅすおり)によって織り上げられる織物で、地質が滑らかで光沢があり、地厚で重量感があることが特徴の、中国の宋代に始まった精妙な織物である。
 先染めの緞子は金襴(きんらん)などと共にほぼ鎌倉時代に中国から舶載され、以後南北朝、室町時代を通じて盛んに輸入され、そのうちの幾つかは現在、最高級の織物・名物裂(めいぶつぎれ)と称されて大切に伝えられている。
 日本では天正年間(1573~1592)に、泉州の堺で中国の明の織技法をもとに織り出され、その後、京都の西陣が中心となり、帯地をはじめ小袖、羽織、寝具などに広く用いられた。
 緞子は、光沢が美しく滑らかな、優雅な織物である。
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2008/8/15


羽尺 Hajaku 

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 羽尺(はじゃく)とは、反物の名称である。
 着物を作るだけの長さを持った反物を着尺(きじゃく)と言い、羽尺はこれに対して羽織や和装用のコート用に織られた反物の事を指す言葉である。
 もともと羽織は反物一反分を使って仕立てていたが、丈の短い羽織を仕立てる際にたくさんの布地があまってしまうので、羽織一着分の羽尺が作られるようになったという。
 長さは、着尺よりも短く二丈六尺、およそ8.5~9.4mくらいで、幅は約36cmぐらいとされる。
 現在、羽尺地の多くは、絹やウール、シルク・ウール、ポリエステルなどが用いられている。
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2008/8/11


総付け Soutsuke 

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 総付け(そうつけ)は、日本に伝わる、着物の模様づけの一つである。
 着物全体が、一枚の絵になるように模様が描かれたもので、総柄(そうがら)・総絵羽(そうえば)・総模様ともいう。
 生地全体に模様が織られている、または染め出されている柄付けの事とされる。
 元来、着物は総付けであったが、時代や流行の変化、羽織の着用、帯幅が広くなったこと、紋付の出現などによって、総付けは振袖や打掛などだけの物となった。
 現在は、着物以外ではトランクス、ネクタイ、タオル、ハンカチなどの布製品に多く使われている。大半がこの総付けを採用しており、簡単に見かける事ができる。
 総付けは、元々は広く使用されていた、古来より今に伝わる、伝統の模様付けである。
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2008/5/12


半天 Hanten 

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 「半天(はんてん)」は、「半纏・袢天」とも表記する。袖の長さが通常の羽織と比べて半分しかないため、その名がついたといわれている。
 種類も豊富で、「綿入れ半天」「祭り半天」の他、江戸時代に町火消しが羽織っていた粋な半天などもある。
 日常的に使われる半天は、羽織って着る綿入れの仕事着・防寒着で、丈の短い上着で胸ひもをつけず、襟を折り返さないで着る。江戸後期から庶民の日常着となり、一部の地域では「どてら」と呼ばれている。
 首から背中にかけて温かいので、現在ではお風呂上りの湯冷め防止などにも重宝されている。また、袖がないヤッコ半天と呼ばれるものは暖かさと羽織の軽さを兼ね備え、家事や机に向かう際など袖がじゃまにならない。
 町火消しが羽織っていた半天は、腰に白筋を入れて区を表し、襟に組名・役職を記していた。さらに肩の赤筋で指導者の階級を示したり、襟の文字で中級幹部まで識別していたという。
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2008/4/25


巫女 Miko 

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 巫(かんなぎ)という言葉には、両手を胸に合わせて行う礼という意味合いがある。この言葉が示しているように、古代において巫女(みこ)は、神に仕え祈祷や神意を伺い、神託を告げる女性のことを示していたという。
 現在は、神社で神事の補助・参拝者の対応・社務所等での作業などを行う女性を指している。
 衣装は、白い小袖に赤い緋袴(ひばかま)・草履というスタイルが多い。結婚式や祭りで神楽舞を奉納する場合もあり、その際は薄手の布でできた千早(ちはや)を羽織り、髪にはかんざしや冠を付ける。神社によって様々な、色合いや飾りがあるとされている。
 神社本庁傘下の神社に神職として奉仕する場合は、本庁の発行する神職資格が必要になるが、巫女になる為の公的な資格は現在のところ存在しないという。
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2008/4/11


藍半天ジャケット Ai-Hanten-jaketto 

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 日本人の装いが和服から洋服へと変わった今、羽織る機会も多いジャケット。上半身を飾るものだけにそれなりに気を使うものでもある。
 そこに例えば、和の雰囲気を漂わせてみてはどうだろうか。
 この「藍半天ジャケット」は、スタイルそのものはシンプルなジャケットでありながら、落ち着いた和の装いも同時に楽しめる一品で、製作者自身が自分の足で着物市や骨董市を探し歩いて見つけた藍の半天を元に、一枚仕立てで仕上げたものである。
 鮮やかな藍染めの風合いはそのままに現代的で着やすいジャケットに生まれ変わっており、洋服にはあまり見られない微妙でいて繊細な深い青は、一種、独特の雰囲気を漂わせている。
 また、おそらくは背中に入っていたのであろう桐の紋もその綺麗な白とあいまって全体を引き立たせており、それを腰の辺りに、半分だけ持ってくるといった心憎い演出もなされている。
 まさに和洋折衷を着て歩く、といった雰囲気だろうか。
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2008/2/21


猩々緋色(ショウジョウヒイロ) Shoujouhi-iro 

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 猩々緋色(しょうじょうひいろ)は日本古来の伝統色のひとつで、極めて鮮やかな赤色のことである。染料の原材料はケルメスという昆虫であったが、その後ケルメスより更に色の強いコチニールカイガラムシが使われるようになったといわれている。
 「猩々」とはオランウータンの和名でもあるが、元々は中国の伝説上の動物を指すといわれている。猩々は猿に似た、酒を好む動物で、顔だけでなく体毛も赤いと言われている。日本では猩々が能の演目としても定着しており、歌舞伎や日本舞踊でも演じられている。猩々緋色はその猩々の鮮明な赤い色に由来している。
 戦国時代の武将に大変好まれた色といわれており、南蛮船で猩々緋色に染められた、羅紗(らしゃ)という毛織物が輸入されるようになると、裾の長い羽織物として好んで着用したといわれている。
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2007/12/11


奥氷川神社 獅子舞 Oku-hikawa-jinja Shishi-mai 

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 奥氷川神社獅子舞(おくひかわじんじゃししまい)は、埼玉県大宮市にある氷川神社の奥社にあたる奥氷川神社で、毎年八月の第二日曜日の例祭で奉納されている三匹獅子舞である。
 同社の祭礼における中心的行事として古くから行われていたが、いつごろ創始されたのかは不明である。様々な資料から、寛政四(1792)年にはすでに行われていたとされている。
 三匹の獅子はそれぞれ大太夫(おだい)、小太夫(こだい)、女獅子と呼ばれ、大太夫と小太夫は黒、女獅子は金色の頭となっている。舞い手たちはかすり模様に錠形紋をあしらった腰切着に花模様のかるさんを羽織り、牡丹の花を華やかにかざしてささらを鳴らす花笠、唄方や笛方、はやし方を率いて豪快に舞い踊る。
 関東一円に二百二十社あるといわれる氷川神社の奥の院で、大勢の観客に見守られながら繰り広げられる熱演は、獅子舞にこめられた歴史や思いをまさに熱く、今に伝えるものである。
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