NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/1


あげ馬 Age-uma 

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 あげ馬は宮崎県都城市山之口町花木や高木町で行われる祭り。諏訪神社祭典の一環として行われる。
 天正二〇(1592)年、豊臣秀吉の朝鮮出兵において、島津藩主以久が諏訪神社へ出陣祈願し、そして凱旋後に馬を献上し、神楽を奉納したことから始ったとされている。
 その後、農民たちが豊作を願うために毎年7月に行われていたが、第2次世界大戦後途絶えた。昭和五九(1984)年に復活、現在は4年に1度行われている。
 諏訪神社に向かい、行列が練り歩く。先頭は鎧兜に太刀姿の「棒つき」で、その後に「弓」「鉄砲」が続く。7歳の稚児が乗る馬と、荷駄馬が中心となる。総勢70名ほどが神社に着くと、歌にあわせて参拝、拝礼する。
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2008/9/22


神代神楽 Kamiyo-kagura 

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 神代神楽(かみよかぐら)は宮崎県に伝わる神楽で、岩戸神楽や里神楽とも呼ばれている。台詞のない無言劇であり、日本神話を元に演じられる神楽である。太陽の神・天照大神の岩戸隠れと復活物語が主題になっている。
 神楽は古来より、五穀豊穣や雨乞い、安全祈願のために神に奉納するための舞である。
 神代神楽は笛、大拍子、大太鼓などを中心とした演奏の中、面、装束を付け、身振り、手振りにより演じられる。内容は神々を再現する神楽、四方を祓い清める神楽、神が降神する神楽、曲芸的な神楽、能の形式をとる神楽などがある。
 元来は民間の間で行われていたらしいが、次第に神社の祭礼時に神楽殿などで行われるようになった。
 
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2008/9/1


岩滑新田 神明社の祭礼 Yanabe-shinden Shinmei-sha-no-sairei 

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 岩滑新田(やなべしんでん)神明社の祭礼は、愛知県半田市岩滑の神明社にて毎年4月中旬の土日に行われている神事である。
 神明社は、元禄四(1691)年、天照大神を祭祀としたのが始まりとされる。
 山車祭りは大正初期に始まったが、祭りの担い手である青年会の解散により昭和二九(1954)年、一時は途絶えた。しかし昭和五二(1977)年、再び復活した。
 祭礼では、前日の夕方から提灯で飾った岩滑新田の山車、平井組神明車と奥組旭車が引き出される。山車の彫刻は新美常次郎の手によるものであり、丁寧で美しい。本祭りの日は神明社から秋葉社、津島社を経て、神子、三番叟、神楽が奉納される。
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2008/8/29


西成岩 成石神社の祭礼 Nishi-narawa Naruishi-jinja-no-sairei 

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 山車の町半田市では毎年三月下旬から二ヶ月にわたり、週末になると各地区で盛大な山車祭りが行われる。地区の一つ、西成岩(にしならわ)では「成石神社の祭礼」が四月の半ばの土・日に行われる。
 明治時代に作られ、大正時代に改造された西組敬神車(けいしんぐるま)と彦洲組日之出車(ひのでぐるま)の二台の山車の曳き回しが行われる。彫刻や金刺繍入りの幕で飾られた山車は見応え充分である。
 成岩神社境内では「巫女舞(みこまい)」、「神楽(かがく)」、「三番叟(さんばそう)」の奉納と餅投げが行われ祭りを盛り上げる。
 いつもは静かな境内もこの日は大きな幟(のぼり)が上がり、各種露店が並び、たくさんの人達で賑わう。また、神社前の勇ましい山車の坂上げに神社の境内からも大歓声があがり、祭りは最高潮に達する。地区の人々の歴史的伝統のある祭りへの思いや意欲が感じられる。
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2008/7/31


伊勢大神楽 Ise-ookagura Ise Ookagura

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 伊勢大神楽(いせおおかぐら)は伊勢神宮への参拝ができない地域の人々のために各地を廻り、神楽を奉納するという神事で、約六〇〇年もの歴史をもつという。
  伊勢大神楽は、獅子舞の「舞」と放下芸(ほうかげい)とよばれる「曲」の二つの構成から成るという。放下とは、現在でいう大道芸を指す。
 大神楽はゆっくりとした優美な、鈴の舞で始まる。「神来舞(しぐるま)」や、猿田彦が眠る獅子の周りを跳び回るユーモラスな「跳の舞」などが披露される。
 曲と呼ばれる放下芸は、木の棒を自由自在に操る「綾採の曲(あやとりのきょく)」、五穀豊穣を祈願し長い棒で皿を回す「皿の曲」など多種多彩である。放下芸師と道化師の掛け合いを楽しむものなどもあり、最後は「魁曲(らんきょく)」で締めくくられる。
 昭和五八(1983)年に、国の重要無形民俗文化財に指定され、一二の社中からはじまった伊勢大神楽は、歴史ある文化を後世に残すために、現在でも数組の社中が日本各地を訪れているという。
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2008/7/23


数馬の太神楽 Kazuma-no-daikagura 

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 数馬の太神楽(かずまのだいかぐら)はこの地方に四〇〇年以上前から伝わるという伝統芸能である。毎年九月一五日、数馬九頭竜神社(かずまくずりゅうじんじゃ)に、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願して奉納される。
 この祭礼では、太神楽の他、兄弟が畑仕事での出来事を演じ豊作を喜ぶ、ユーモアたっぷりの「馬鹿面囃子」や「三匹獅子舞」も同時に披露される。
 太神楽は最初に披露されるもので、笛や太鼓、鐘すりに合わせて境内を清める舞である。演目によって二人で舞ったり、二人で舞っていた獅子が胴体幕を畳み込んで一人立ちで舞い出したり、と変化に富んでいる。表情豊かな獅子が見事に表現されているという。
 都の無形文化財にも指定されており、祭り当日は観光客も多く来て村は賑わいを見せるという。
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2008/3/18


柴灯まつり Sedo-matsuri 

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 柴灯まつり(せどまつり)、正式には「なまはげ柴灯まつり」と呼ばれるこの祭りは、毎年二月の三日間、秋田県の男鹿市真山神社(しんざんじんじゃ)で執り行われる。神事である「柴灯まつり」と「なまはげ」を組み合わせた、みちのくの雪祭りである。
 「なまはげ」とは鬼の面に蓑をまとい鉈を持つ。怠け者を懲らしめ災いを払い、祝福を与える神の使いとされている。この地方では古くから続く伝統行事である。
 まつりは一五匹のなまはげの登場によって始まる。宮内では神事が催され、その中で鎮釜湯の舞(ちんかまゆのまい)という独特の祓い神楽が舞われる。更になまはげ踊り、なまはげ太鼓が行われ、最後になまはげ達が下山する。
 なまはげの着る蓑から抜け落ちる藁を、病気の箇所に巻き付けると疾病治癒、無病息災を祈願できる、との言い伝えがあり、人々が争いながら逃げるなまはげから藁を取ろうと奮闘する。また、宮内では松ノ木で柴灯火が焚かれ、この火で焼かれた餅をなまはげからもらうと災難除去の御利益があるといわれている。
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2008/3/17


【無】 Mu Nothing, Nothingness

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 「無」は「舞」の初文(初めの字形)です。伝統的な「六書(りくしょ)」の分類に従いますと、「無」は文字の音を借りる仮借文字です。ただ、「六書」という分類方法は、漢字成立から千年後の当時の漢字を分析するためにつくられたものなので、それに基づいて漢字が発明されたという結論を導くことは誤解になりかねません。
 当たり前のことですが、基本的に漢字は象形文字なので「何もない」という意味を表すのは本来とてもできないことです。時代が下り人々の考えや思想の抽象化に仮借文字はとても役立ちました。仮借文字は自然にできたのではなく、約束や慣例の中から意味を与えられた文字のグループです。
 「無」が「舞」の初文であるという関係は甲骨文で分かります。実は人が踊り、袖に飾りがぶら下がっている形です。『論語・顔淵、第十二』には「… 遊於舞雩之下。」「… 舞雩の下に遊ぶ。」がみられます。「雩(う)」は雨乞いのための祭祀儀式の踊りや、神樂を舞う場所です。「無・ない」の意味は「雨がない」から生じたのではないかとも思われます。そういう風に理解しますと、仮借文字という後世の概念に頼る必要もなくなります。
 どちらにしましても、「無」が「家が火災に遭うことを写しているところから『何もない』という意味になる」という説明は当たりません。

 
■ 無・甲骨文(こうこつぶん)
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