まんじゅう笠 Manjyu-gasa
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もともとは、日本全国で江戸時代以前から竹と筍の皮だけで作られていたが、その後一部に布地を使うようになり、高知県では明治・大正期にかけて最も多く生産された。
県内では、芸西村(げいせいむら)の海岸地域の人々が副業として従事し、最盛期には約120軒で作られていた。
江戸時代、坂本龍馬が脱藩する際に着用、顔を隠したことから「脱藩笠(だっぱんがさ)」とも呼ばれている。
丸みを帯びた形状が美しく、日陰も大きい。風通りが大変良く涼しいという万能ぶりで、県内はもとより県外各地で販売された。
昭和期に入り、需要は減少、現在では装飾用の民芸品として、1名の工芸士が生産しているだけとなっている。
県内では、芸西村(げいせいむら)の海岸地域の人々が副業として従事し、最盛期には約120軒で作られていた。
江戸時代、坂本龍馬が脱藩する際に着用、顔を隠したことから「脱藩笠(だっぱんがさ)」とも呼ばれている。
丸みを帯びた形状が美しく、日陰も大きい。風通りが大変良く涼しいという万能ぶりで、県内はもとより県外各地で販売された。
昭和期に入り、需要は減少、現在では装飾用の民芸品として、1名の工芸士が生産しているだけとなっている。
- 住所
- 高知県安芸郡芸西村
- 名前
- まんじゅう笠