NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


金華山 Kinka-san 

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 金華山(きんかざん)は、宮城県石巻市に面した石巻湾に浮かぶ島であり、その島全体を覆うように聳える山のことである。
 山頂までの高さは445mで、周囲約26kmの島全域が山となっている。岩盤がむき出しの海岸線から原生林の山が隆起する様は、荘厳ささえ感じる迫力である。
 青森の恐山、山形の出羽三山と並び「奥州三霊場」に数えられる超自然の霊島であり、島のほぼ全てを太古の原生林が覆い、神の使いとされる鹿が多数生息する不思議な島でもある。
 また、島全体はおよそ千二百年以上前に祀られ、「三年続けてお参りすれば、一生お金に困ることはない」という言い伝えを持つ黄金山神社の神域となっている。
 そのため、古来から登山信仰のお山がけが行われ、その頂上からは遠く仙台市や蔵王、栗駒連峰を眺望することができる。
 多くの自然と歴史が残されたこの島には、霊験と景勝、島に息づく命の美しさを同時に味わう贅沢を求めて、今も参拝者が途切れることなく訪れている。
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翁倉山 Okinagura-yama 

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 翁倉山(おきなぐらやま)は、宮城県北東部にそびえる北上山地北端部に位置する山であり、南三陸地域の最高峰である。
 標高は532mあり、群山を抜く雄大な山容は、遠く石巻、栗原方面からも望むことができる。
 また、古くから信仰の山としても親しまれ、雨乞いなども行われていた歴史を持つ、地域の人々に愛されている山である。
 モミ林やイヌブナ林、キタゴヨウ林などの、南三陸を代表する中間温帯林が色濃く残されており、多くの野生鳥獣の生息地にもなっている。
 特に代表的なのが国の天然記念物であるイヌワシであり、イヌワシの営巣地として昭和一二年、一四年に長野県で確認された二例に続き、国内で三番目に確認されている。
 頂上は広場になっており、南側には北上川の豊かな流れ、東には志津川湾など、宮城のパノラマを眺望することができる。
 頂上にある祠にお参りをすれば、もしかしたらイヌワシの羽ばたきが、絶景の中に見えてくるかもしれない。
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皿貝法印神楽 Saragai-houin-kagura 

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 皿貝法印神楽(さらがいほういんかぐら)は、宮城県石巻市の皿貝地区に伝わる伝統芸能である。
 その起こりは、元和年間(1615~1623)に本吉郡戸倉村から伝えられたものだといわれ、現在は皿貝大日婁神社(さらがいおおひるめじんじゃ)と称する本山派修験成就院の法印であった久峯重光が、京に上った際に取得した能を原型に、「古事記」を台本として編み出したものと伝えられている。
 演舞番数は全部で三三番あり、主に日本書紀や古事記などの神話を題材としている。現在では三三番中、一五番が伝承され、荒舞を得意とする神楽としても知られている。
 舞台には本舞台の二間後方に、一段高く附舞台を設けるのが特徴で、そうした特設舞台で旧暦の六月一五日の大日靈神社(おおひるめじんじゃ)例祭の他、近郷の祭礼などで演じられている。
 平成二(1990)年には、県の無形民俗文化財に指定され、皿貝地区の大日婁神社の氏子たちによって、今も大切に守り継がれている。
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齋藤氏庭園 Saitou-shi-teien Saito Family Garden

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 齋藤氏庭園(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市河南町前谷地にある景勝地である。国の名勝に指定されている。
 石巻平野の北西部に位置する庭園は、近代における東北三大地主として知られる齋藤氏の第9代当主・善右衛門有成により、明治時代後期に作られた。
 本邸部分に所在する庭園は、丘陵の斜面を背にして清楽亭・無一庵などの建物を景観の中心に置き、周囲に平庭、園池を配している。
 斜面麓には宝泉窟(ほうせんくつ)と呼ばれる深い岩窟があり、ここから生じる湧泉は園池の水源ともなっている。
 また、庭園内にある宝ヶ峯縄文記念館はカヤぶきの建物で、宝ヶ峯遺跡から発掘された縄文時代後期の土器などが展示されている。
 齋藤氏庭園は、近代の庭園のうちでも特色ある庭園として名高い、美しい場所である。
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箟峯寺(箟岳観音) Konpou-ji (Nonodake-kannon) Konpoji Temple (Nonodake Kannon)

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 箟岳山(ののだけさん)は、古くから信仰の山として広く知られており、この山の山頂にあるのが別名・箟岳観音と呼ばれる箟峯寺(こんぽうじ)である。奥州三十三観音第九番札所に数えられ、松島の富山・石巻の牧山と並んで奥州三観音の一つでもある。
 光仁天皇の勅願により宝亀元(770)年に草創され、延暦二〇(802)年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の後に観音堂を建立した。
 最初、この山は非常に霧が深いことから霧岳山正福寺(むがくさんしょうふくじ)と呼ばれていた。その後嘉祥二(849)年、慈覚大師が布教のためこの地に来たとき、堂宇を増建し、無夷山箟峯寺(むいざんこんぽうじ)と改称した。
 境内の石段を登ると八脚門の山門がある。山門の中にある朱塗りの仁王像が笑みを浮かべている。また、本尊は十一面観音で、観音堂は二度焼失したが、現在の建物は嘉永四(1851)年に再建されたものである。

 
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2007/9/11


追波川 Oppa-gawa 

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 岩手県の御堂の湧水「弓弭(ゆはず)の泉」を源流とし、岩手県のほぼ中央を北から南に流れて宮城県に入り、そして石巻湾へと流れ出る東北随一の大河、北上川。
 その北上川の河口付近にかかり、河北町から東流、やがては南三陸の追波湾へと注ぐ延長17.5kmの流れが、追波川(おっぱがわ)である。
 明治四四(1911)年から昭和九(1934)年にかけて行われた、放水路建設工事によって誕生した流れであり、区別してそれまでの北上川を旧北上川、追波川を新北上川とも呼ぶ。
 現在では、以前からあった石巻湾への流れを旧北上川といい、この追波川を含む追波湾への流れを北上川と称している。
 春になればサクラマスを求める太公望で賑わいを見せ、秋になれば日本の川では最大級といわれる葦(ヨシ)原で、「残したい日本の音風景百選」にも選ばれた、葦の葉ずれが奏でるシンフォニーに耳を傾けることもできる。
 川は豊かな自然を満面に湛えて、今もゆったりと、東北の地を流れている。
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宮戸島 Miyato-jima 

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 宮戸島(みやとじま)は、日本三景の一つ宮城県の松島にあり、大小二百数十の島が浮かぶ松島湾にあって最大の島である。
 松島湾の北東部に位置し、仙台側から見て松島の更に先にあることから、宮戸島を含む一帯は奥松島とも称されている。
 冬でも比較的暖かく、早春には椿が咲き乱れ、野生の棕梠(しゅろ)が繁茂する様は、「東北の伊豆」の別名も持つ。
 波静かな内海と荒々しい海岸の両方を持ち、海水浴やウィンドサーフィン、釣り、潮干狩りなど、四季を通じて様々なレクリエーションを楽しむことができる。
 島のほぼ中央には松島四大観の一つ、大高森があり、展望台からの松島湾や石巻湾、牡鹿半島などの360度の大パノラマを堪能できる。また、九州の耶馬渓(やばけい)、岩手の猊鼻渓(げいびけい)とともに日本三大渓の一つである嵯峨渓での雄大な景勝も楽しめる。
 縄文時代の貝塚も発見されているこの島は、数千年も前から、人々と共に時を歩んでいる。
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雄勝法印神楽 Ogatsu-houin-kagura 

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 雄勝法印神楽(おがつほういんかぐら)は、宮城県石巻市の旧雄勝町周辺に伝わる、民俗芸能の神楽舞である。
 法印神楽は宮城県北東部一帯に分布する神楽の一種で、法印と呼ばれた修験者によって行われた加持祈祷の儀式である。
 悪霊退散や五穀豊穣を祈って舞われ、その地方の特色を今も色濃く残す芸能である。
 雄勝法印神楽も、古くは山伏神楽や大乗神楽と呼ばれ、修験者である山伏が、一子相伝に則って口伝で伝承してきたものである。
 法印神楽にも能のように流派があり、大別して羽黒派、本山派、当山派の三つに分けられるが、雄勝法印神楽は羽黒派に属する神楽である。
 日本書紀や古事記などの神話物語で構成された、地方的特色の顕著な舞は大変貴重な文化遺産であり、雄勝法印神楽も平成八(1996)年に重要無形民俗文化財に指定され、今も地域の人々によって、大切に受け継がれている。
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