NIPPON Kichi - 日本吉

記事数31件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/7/16


貞山運河 Teizan-unga Teizan Canal

Jp En

 貞山運河(ていざんうんが)は、仙台湾沿いにある運河のことをいう。総延長約四六、四キロメートルの全国一長い運河で、旧北上川河口から阿武隈川河口までを結んでいる。
 仙台藩主伊達政宗は慶長二(1597)年、松島湾と阿武隈川を結ぶ運河の建設を命じた。政宗亡き後も複数の運河が計画され、その後明治一七(1884)年まで建設が続いた。貞山掘とも呼ばれ、伊達政宗公の謚(おくりな)である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)からその名がついた。
 この時代の物資輸送は舟運が中心だった。当時の内務卿大久保利通は、東北六県の長官に意見を求め、宮城・岩手間の米輸送に欠かせなかった北上川に着目し、北上川と阿武隈川を結んで東北の輸送手段を造ろうと考えた。
 現在の運河は、農業用水路や漁港の一部として利用されるほか、釣りの名所としても知られる。また、七北田川から名取川にかけての運河沿いには、美しい松林が続く海岸公園があり、サイクリングロードなどが整備されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/20


五大堂 Godai-dou 

Jp

 日本三景の一つ、宮城県の松島の中にあり、海岸側の小島に建っているのが、五大堂である。
 伊達家の菩提寺である瑞巌寺の附属寺院で、慶長九(1604)年に伊達政宗により再建されたものであり、国の重要文化財に指定されている。
 その興りはおよそ千二百年も前の大同二(807)年、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂をこの地に建立したのが始まりとされる。
 その後の天長五(828)年に慈覚大師円仁(えんにん)が瑞巌寺の前身である延福寺を創建した際に堂を設け、大聖不動明王を中央に東方降三世(ごうざんぜ)、西方大威徳(だいいとく)、南方軍荼利(ぐんだり)、北方金剛夜叉(こんごうやしゃ)と五大明王像を安置したことより、五大堂と呼ばれることとなった。
 本尊は秘仏とされ、三三年に一度、ご開帳が行われるが、お堂そのものは公開されている。
 五大堂へと続く朱に塗られた橋を渡れば、日本三景の絶景と共によりいっそうの風情を楽しむことが出来るだろう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/13


瑞巌寺 御成門、中門 Zuigaan-ji Onari-mon,Naka-mon The Onari-mon and Naka-mon Gates at Zuiganji Temple

Jp En

 奥州随一の禅寺・瑞巌寺(ずいがんじ)は天長五(828)年、慈覚大師円仁によって開創され、伊達家の菩提寺として知られる。正式名は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、別名松島寺ともいう。
 現在の建物は、慶長一四(1609)年、名工一三〇人を集め、政宗が五年の歳月をかけて建立したものである。
 本堂と御成玄関・回廊・庫裡は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されている。
 御成門は、入母屋造本瓦葺の薬医門で、重厚な趣をみせている。
 御成門の右側にある中門は本堂の前にあり、四脚門で切妻造、こけら葺きで、壁がなく骨組みが露出している。中門両側には、政宗が朝鮮出兵の際、持ち帰って植えたとされる紅白の臥竜梅(がりゅうばい)が植えられている。臥せた龍に似ていることから臥龍梅と名付けられ、四月中旬が身頃となる。
 御成門・中門は対照的な趣向となっており、土壁は白壁で、中空の太鼓塀になっている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/11


白銀崎 Shirogane-zaki 

Jp

 宮城県北東部、太平洋に突き出ている雄勝半島の南端にある岬が、白銀崎(しろがねざき)である。
 「みやぎ新観光名所百選」にも選ばれた、豪壮な男性美を誇るリアス式海岸。そこに寄せては砕ける波と荒ぶる岸壁が広がり、四季を通じて雄大な自然を見せてくれる。
 奥松島にも比較的近いため、シーズンになれば多くの観光客が景勝を求めて訪れる。
 岬に立てば、そこで待っているのは太平洋の深い海の碧と、砕ける波の白との、壮大な自然のコントラスト。点在するリアス式海岸が生み出した奇岩群もまた、良いアクセントを与えてくれる。
 更に目線を遠くに向ければ、太平洋に浮かぶ霊島、金華山の雄大な姿も見ることができ、時間さえ合えば、金華山と太平洋を背景に、沈み行く夕日が演出する情景に、思う存分その身を浸すことができるだろう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




宮戸島 Miyato-jima 

Jp

 宮戸島(みやとじま)は、日本三景の一つ宮城県の松島にあり、大小二百数十の島が浮かぶ松島湾にあって最大の島である。
 松島湾の北東部に位置し、仙台側から見て松島の更に先にあることから、宮戸島を含む一帯は奥松島とも称されている。
 冬でも比較的暖かく、早春には椿が咲き乱れ、野生の棕梠(しゅろ)が繁茂する様は、「東北の伊豆」の別名も持つ。
 波静かな内海と荒々しい海岸の両方を持ち、海水浴やウィンドサーフィン、釣り、潮干狩りなど、四季を通じて様々なレクリエーションを楽しむことができる。
 島のほぼ中央には松島四大観の一つ、大高森があり、展望台からの松島湾や石巻湾、牡鹿半島などの360度の大パノラマを堪能できる。また、九州の耶馬渓(やばけい)、岩手の猊鼻渓(げいびけい)とともに日本三大渓の一つである嵯峨渓での雄大な景勝も楽しめる。
 縄文時代の貝塚も発見されているこの島は、数千年も前から、人々と共に時を歩んでいる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/6


野蒜海岸 Nobiru-kaigan 

Jp

  野蒜海岸は宮城県東松島市にある長さ約2・8キロ、きれいな弧描く白砂の美しい海岸で、「東北の伊豆」とも呼ばれ、国指定の特別名勝地に指定されている。
 海岸からは石巻の街並みや牡鹿半島までもが望見できる。
 また、この海岸は、仙台から見て日本三景の松島から奥に位置するので宮戸島、野蒜海岸に至るコースは奥松島とも呼ばれ、松島にも劣らない景勝地である。特に朝日が昇る姿はすがすがしく、一見の価値がある。
 夏場には海水浴、ウインドサーフィン等マリンスポーツを楽しむ多くの人々がおとずれる県下有数の海岸である。
 野蒜海岸は、白い砂と青々とした松の連なりから、白砂青松の海岸と称えられ、夏の季節以外にも人々が訪れてる海岸である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




旭山観音堂 Asahi-yama-kannon-dou 

Jp

 宮城県石巻市の県立自然公園旭山に旭山観音堂(あさひやまかんのんどう)がある。
 駐車場には「霊峰旭山」と書かれた鳥居があり、整備された山道を10分ぐらい歩くと、中腹の断崖上に建てられた観音堂にたどり着く。観音堂は京都の清水観音堂の様式をもつ堂である。
 このあたりは桜の名所であり、春には付近一帯が、ソメイヨシノ、山桜で覆われる。また、紅葉の風景も素晴らしく、毎年多くの人々がハイキングなどに訪れる。
 山頂には朝日山計仙麻神社(あさひけせまじんじゃ)があり、松島、金華山島、栗駒山、船形連峰、蔵王連峰などが遠望できる。
 この付近は、武田勢と上杉勢による、第二回川中島の戦いとなった場所でもある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




瑞巌寺 庫裏、廊下(国宝) Zuigan-ji Kuri,Roka Kuri and the Corridor at Zuiganji Temple (National Treasure)

Jp En

 瑞巌寺(ずいがんじ)は、宮城県宮城郡松島町松島にある臨済宗妙心寺派の寺である。本尊は、聖観音菩薩。
 天長五(828)年、慈覚大師円仁が開き、淳和天皇の勅願寺として平泉藤原氏の庇護を受けた延福寺が前身と伝えられる。正元元(1259)年、臨済宗に改宗し、繁栄した後、戦国時代に衰退した。 慶長一四(1609)年、伊達政宗により復興され、寺名を瑞厳円福禅寺と改めた。
 庫裏と廊下(くりとろうか)は慶長年間(1596~1614)の建立と考えられ、廊下は庫裏と本堂をつなぎ、縁に勾欄があり、繰形をつけてある。
 庫裏は切妻造、本瓦葺の巨大な屋根を架しており、妻飾り及び廊下の構成美が特に優れているとされ、国宝に指定されている。
 瑞巌寺の庫裏、廊下は、秀逸な意匠をこらした貴重な史跡である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数31件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter