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2008/8/8


空引機 Sorahikibata 

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 空引機(そらひきばた)は、日本に伝わる手織機のひとつである。
 二人がかりで織る機で、機の上方に花楼板(そらびきいた)と呼ばれる板を渡し、その上に乗った人間が綜絖(そうこう)の束を吊した通糸(つうじいと)を選別して引き上げて、文様に合った経糸(たていと)を引き上げ、下の機にいる織り手が緯糸(よこいと)を通し打ち込んで織りを進める。
 古代に中国から伝えられたもので、板の上にいる引き手と織り手は息の合う一組で、掛け声をかけて調子を合わせ、時には歌など歌いつつ織っていたといわれている。
 高機(たかはた)よりも錦織のような高級織物ができるということで、西陣界隈では非常に人気があったが、明治時代にジャガード、バッタンなど洋式機械が持ち込まれてからは衰退した。
 空引機は、古代より伝わる、2人以上で使用する手織機である。
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2008/4/14


からくり人形 Karakuri-ningyou Karakuri Doll

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 からくり人形(からくりにんぎょう)とは、伝統的な機械仕掛けの人形の事である。
 からくりは10世紀頃の中国に見られ、日本に渡ってきたのは室町時代の事といわれている。
 江戸時代に入ってからは、時計などに使われていた歯車などの技術を人形の動作装置として応用し、からくり人形が作られ始めた。
 当初は上流階級の玩具であったが、次第に見世物として人気を呼ぶようになり日本各地に普及した。
 寛文二(1662)年には竹田近江がからくり芝居の興行をしており、享保年間(1716~1735)にはからくり門弥がからくりを駆使した乗り物を作っている。
 幕末には「からくり儀右衛門」こと田中久重が、江戸からくりの最高傑作と言われている「弓曳き童子」を製作した。
 からくり人形は、現代の人型ロボットの原点とも言える、日本の伝統的な精密機械である。
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2008/3/17


【誠】 Sei Sincerity

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 この字は甲骨文や金文にはみられず、篆文から現れます。右と左の部分に分けられるのは確かですが、ただそのためにA+Bという数学的な感覚の解釈に乗り出すのは勇み足です。意味について白川静先生は「誓約を成就する意である」とまとめています。
 「言(ことば)」が「成る(成就・実現する)」という表面的解釈よりもっと、古代中国の社会の在り方に目を向ける必要があります。白川文字学によると「信」の説にあったように「言」の下の部分の「口」は、祝詞を入れる器の意味です。常用字体からはわかりにくいのですが、その上の四本の横線は、刺青を入れるための道具で、取っ手の付いている針の形です。この「言」の部分だけでも神への誓いのことばという意味があります。
 また「成」は戈・矛(ほこ)を作り上げた後、飾りをつけて完成の儀式を行う形です。つまり、この字の左右の部分は宗教的な由来にもとづくものと考えられます。
 
■ 誠・篆文(てんぶん)
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2008/1/15


青磁釉 Seijiyuu 

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 澄み渡る空のような、透明感のある薄青色に焼きあがる青磁は、中国で生まれ、人々を魅了し、日本でも古来より重宝されてきた。
 青磁の青色を出す青磁釉の原料になるのは灰で、中国の陶工が、焼成中の器の表面に燃料用の薪の灰が降りかかって化学作用を起こしたことからヒントを得た。と伝えられている。
 原料になる植物灰に、僅かに鉄分を加えた釉薬を使い、高い温度で還元焼成したものだけが青磁と呼ばれるという。釉薬に含まれる鉄分の加減で色が複雑に変化するため、安定した色を出すのは非常に難しいとされているが、それはまた作品の面白さにも繋がっている。産地や時代ごとに色合いに変化が見られ、青磁の奥深さが感じられる。
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2007/12/14


ベンガラ Bengara Bengara

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 ベンガラとは、酸化第二鉄からなる無機赤色顔料の一つであり、人類が使用した歴史上最古の顔料としても知られている。
 漢字では弁柄と書き、紅殻やインド赤、ヴェネツィアンレッドなどとも呼ばれる。
 日本には中国から朝鮮半島を経て、沖縄に伝わったとされ、インドのベンガル地方産のものを輸入していたため、ベンガラと名付けられたという。
 酸化鉄系では最も生産量が多い顔料であるが、化学的には鉄の赤錆と成分的に同じであるため、現在では合成のものが多く、天然に産するものとしては、日本では岡山県高梁市成羽町が、国内唯一の生産地となっている。
 古代には尊い色として珍重され、日本では沖縄の首里城の赤がベンガラの色として有名である。また、着色力や隠蔽力共に優れており、耐熱性や耐水性もあることから、木造建築における防腐の役目も負っていた。
 他の赤色系顔料に比べ鮮明さに欠く印象はあるが、その華やかさは時代を超えて、人々の心を魅了し続けている。
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2007/9/19


秋目浦 Akime-ura 

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 秋目浦(あきめうら)は、鹿児島県南さつま市坊津町秋目にある景勝地である。
 正面岬と呼ばれる岩山が北方より海上に突き出しており、その付け根に向かって南よりえぐり込む様に湾を形成する、こぢんまりとした入江である。
 天平勝宝五(753)年、唐の高僧・鑑真和上が、盲人となりながらも6度目の挑戦でやっと日国への上陸を果たした地として知られる。
 近隣の秋目浦を見下ろす斜面には、鑑真記念館と上陸記念碑が建っている。
 鑑真記念館では、当時の様子を伝える「東征伝絵巻」の代表的場面の電照パネルや、秋目上陸を再現したスライドやジオラマ模型、中国で作製された鑑真大和上座像の複製などが展示されている。
 秋目浦は、箱庭のような美しい景観を誇るリアス式海岸である。
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密貿易屋敷 Mitsu-boueki-yashiki 

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 密貿易屋敷(みつぼうえきやしき)とは、鹿児島県南さつま市坊津にある森吉兵衛屋敷の事である。
 リアス式海岸にある坊津は琉球・南方諸国に近く、古くから日本三津といわれた中国との玄関口として栄えた貿易港であった。
 江戸時代に入ると、幕府の鎖国政策により大陸との貿易は長崎の出島ひとつとなった。
 しかしこれは表向きのことで、そのあともこの港を本拠地として、薩摩藩は大陸との密貿易を続けたのである。
 屋敷は、万延元(1860)年、三代・森吉兵衛が建て、五代・吉兵衛まで住んでいたもの。
 屋敷内には隠密に貿易を行うため、中二階・覗き窓・隠し部屋など、構造上の様々な工夫がなされている。
 密貿易屋敷は、江戸の昔が偲ばれる史跡である。
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2007/9/11


熊野堂舞楽 Kumano-dou-bugaku Kumanodo Bugaku

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 熊野堂舞楽(くまのどうぶがく)は宮城県名取市高舘熊野堂の熊野神社の春の例祭時に演じられる芸能で、古風な舞と様式を忠実に残す貴重な舞楽である。県指定の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 舞楽は二間四方の水上の上に設けられた仮設舞台で演じられる。背面に神楽幕が張られ、正面に神簾がおかれる。舞台後方では奏楽が、太鼓一、大拍子一、笛一のかたちで奏曲される。
 舞楽そのものは古代インド、中国、朝鮮から伝来した外来芸能である。熊野堂舞楽については山形県山寺立石寺林家から伝承されたもの、と伝えられているが明確な資料はなく定かではない。
 音調も古風で、すべて黙劇の祈薦の舞である。社家舞楽ではあるが、随所に修験の呪法としての舞の名残が見られる。
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