NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/11


楽焼 Raku-yaki 

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 楽焼(らくやき)は日本の伝統的な陶器の一種で、手捏ね(てづくね)と呼ばれる方法で轆轤(ろくろ)を使わず手とへらだけで形を作り、釉薬(ゆうやく)を施して焼き上げた陶器をいう。狭義には樂家の歴代当主による作品を示し、楽茶碗などとも呼ばれる。広義には同様の手法を用いて作った陶磁器全体を指す。
 一六世紀後半、瓦職人だった長次郎が、茶の湯を完成させた千利休の指導により、聚楽第を建造する際に使用された土を使って焼いた聚楽焼(じゅらくやき)が始まりとされる。その際、聚楽第の「樂」の一字にちなんで楽焼と名付けられ、長次郎を祖とする樂家の姓にもなった。正統な樂家の楽焼を本窯、傍流の楽焼を脇窯という。
 現在の樂家は京都御所の西方にあり、犬夜来と出格子を配した伝統的な京都町家のしっとりとしたたたずまいを残している。玄関石畳の奥に本阿弥光悦筆と伝えられる「樂焼おちゃわん屋」と書かれた暖簾がかけられ、母屋の奥の窯場と工房では、長次郎時代と変わらぬ伝統技法で作品が作られている。
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2008/5/15


阿漕焼 Akogi-yaki 

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 阿漕焼(あこぎやき)は三重県津市で生産される陶器で、古くは安東焼(あんとうやき)と呼ばれていたという。嘉永二(1849)年、倉田久八(くらたきゅうはち)が信楽の陶工の協力を得て、阿漕ヶ浦近くの船頭町に開窯したことから、地名にちなんで阿漕焼と呼ばれるようになった。
 その後は、何度か興亡を繰り返したが、昭和六(1931)年、当時の津市長によって四日市から萬古焼(ばんこやき)職人の福森円二(ふくもりえんじ)が招かれ、津駅西の大谷町に開窯して今日に至っている。
 器自体は萬古焼の流れを汲みながら、九谷焼のような絵付けを施すのが特徴。朱や緑、黄、紫、紺青など艶やかな色彩を巧みに用い、作風も赤絵、青磁、染め付け、刷毛目、御本手、京焼風など多種多様で、中国風や朝鮮風の作品も焼かれている。
 「福森阿漕」と呼ばれる現代の阿漕焼は、地元の土を使い、手ろくろで形作り、三昼夜以上をかけて焼き締める伝統的手法を守りながら、代々子孫に受け継がれている。
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2008/1/17


会津塗 Aizu-nuri 

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 会津塗(あいづぬり)は福島県会津若松市を中心に生産される漆器で、椀、重箱、茶托(ちゃたく)、盆などがある。昭和五〇(1975)年、通産大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定された。
 安土桃山時代に、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が、産業として奨励したことに始まる。近江の漆器職人を呼び寄せ、その技法を会津に広めた結果、漆器は会津の一大産業となった。
 幕末の戊辰戦争で壊滅的な打撃を受けるも、明治時代中期には再び活気を取り戻し、会津は日本有数の漆器産地として、今もその名をとどろかせている。
 工程によって、それぞれの専門職人が分業で行うのが特徴。そのため、より高い品質と能率的な生産を実現している。椀などロクロを使用して丸物を作る木地師(きじし)、重箱などカンナを駆使して板物を作る惣輪師(そうわし)、それらに豪華な飾りを施す蒔絵師(まきえし)・漆絵師(うるしえし)・沈金師(ちんきんし)がいる。縁起の良い図柄で人気が高い。
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2007/11/5


日の出山瓦窯跡群 Hinode-yama-gayou-seki-gun The Group of Tile Kiln Site at Hinodeyama

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 日の出山瓦窯跡群(ひのでやまがようせきぐん)は、宮城県加美郡色麻町四竈東原にある窯跡群である。国の史跡に指定されている。
 奈良時代初期、東北の政治行政の中枢であった陸奥国の国府、多賀城の瓦を生産したといわれる窯跡群で、6地点が確認されている。
 田畑が広がるのどかな場所に、今でも窯跡の大きな穴があちこちに残っている。
 瓦には重弁蓮華文軒丸瓦(じゅうべんれんかもんのきまるがわら)・重弧文軒平瓦(じゅうこもんのきひらがわら)・丸瓦(まるがわら)・平瓦(ひらがわら)があり、須恵器の圷(あくつ)や高台付圷は静止糸手法でロクロから切り離される特徴が見られる。
 現在は史蹟公園化された中に、窯跡7基が保存されている。また、窯跡にはつつじが植えられており、周囲には植えられた芝生と共に豊かな緑を成している。
 日の出山瓦窯跡群は、かつては東北有数の瓦工場であった、貴重な遺跡である。
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2007/10/9


郷原漆器 Gouhara-shikki Gohara Lacquer Ware

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 郷原漆器(ごうはらしっき)は、岡山県真庭市蒜山(ひるぜん)に伝わる伝統工芸品である。県の重要無形民俗文化財に指定されている。
 明徳年間(1390~1400)に始まった言われ、最も大量に作られ技術が発達したのは江戸時代で、当時、山陰地方を中心に数多く出荷されていた。
 蒜山地方のクリ材を使い、木目を大切にしながら備中漆等の天然の漆が使用され、しっかりとした塗りと実用性、そして独特の優れた沈金技術で仕上げられている。
 特徴は、伝統に従い地元に育ったクリの木を輪切りにして、生木のままロクロで挽いて形を作り乾燥させる所で、この方法ならではの美しい木目を生かした普段使いの漆器として、現在でも広く愛用されている。
 郷原漆器は、天然の木地と漆を使った、木目の麗しい伝統工芸品である。
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2007/6/7


京の木工芸 轆轤細工・木具 Kyou-no-Mokkougei rokuro-zaiku/kigu Kyoto Wood Work / Turnery

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 京指物の技術の一つ。挽物ともいわれる。
 同心円状の工芸品を作り出す技術で、ろくろを使って回転している木材に刃をあて削りだし、椀やお盆などを作る。
 奈良時代からの技術であるため、当時ろくろを回すのは人力であったが、現在では電力を使いモーターで回す。
 しかし、やはり最後は人の手によってろくろの回転数と刃を操り、さまざまな美しい曲線をつくりだす。
 木地で作った作品はそのまま製品にもなるが、彫刻や漆塗りの下仕事になることもある。
 京の木工芸は、今なお人の手によって仕上げられる、繊細であたたかみのある工芸である。
 
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2007/5/31


綾部之 Ayabe Yuki 

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 1944年、京都府生まれ。京木地師。
 1966年に父に師事する形で修行を開始する。
 その巧みの技が認められ、伝統工芸士として認定されると共に、京都府の伝統産業優秀技術者としても認められている。
 数ある木工芸の中でも彼が行うのはいわゆる轆轤(ろくろ)細工と呼ばれるものである。
 轆轤に固定した素材を回転させながら掘り込み、仕上げていく。同心円状のものであれば、椀やお盆など、何でも作ることが出来る。
 回転させながら表面を削っていくため、非常に滑らかな木肌と美しい曲線がその特徴である。
 素材の違いや作りたい形を見極め、適切な回転を見出して、様々な工具を微妙な角度で当て、掘り込んでいく。
 その製作の様は、とても興味深いものである。轆轤が回るたび、次第に製作物の形が無垢の木から浮かび上がってくる。
 魔法のような技を駆使しながら最良の”木肌”を目指して、今も精力的に轆轤を回し続けている。
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2007/5/11


椅子 Isu chair

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 椅子×職人技
 左の椅子には木肌を磨きこむ木工職人の技が、そして右のそれには革の肌を着せる椅子張り職人の技が冴える。
 一本脚が印象的な木の椅子。その脚の部分に轆轤(ろくろ)を回して木を削る「挽き物」の技術が用いられている。回転運動を利用して作られた造形はじっとしているのに今にも回りだしそうである。
 もう一方は、全身飴色の革がモダンで艶かしい。アパレルショップのためにデザインされたこのイスはスチールバーに厚革を巻いてあるものであるが、その巻きとミシン回しに椅子張りの高度な技術が活かされている。
■一本脚チェア(左)
・マホガニー材 オイル仕上げ
・W×D×H×SH (mm)
540×440×710×450
■チェア(右)
・スチールバー、厚革巻き
・W×D×H×SH (mm)
622×670×750×420
・デザイン(2点とも)
 インテンショナリーズ
■プロデュース
 ubushina 立川裕大
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