NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/12


猿掛城 Sarukake-jyou Sarukake Castle Ruins

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 猿掛城は、広島県安芸高田市吉田町にあった城である。
 明応年間(1492〜1501年)に毛利弘元が築いたという。
 この城は、毛利元就が少年から毛利本家を継ぐまでの青年期を過ごした城として有名である。
 関ケ原の合戦後、毛利氏が防長二州削封されるに及び、この城は天領となりやがて廃城となった。
 猿掛城は、小田郡矢掛町と倉敷市真備町との境にあり、菩提寺は矢掛町横谷の洞松寺である。
 西国へ往来する者達を一目瞭然に監視できる場所にあり、小田川を挟むように山がそびえ立ち、街道の重要拠点であった。
 現在、城跡は吉田盆地の北西方にあり、多治比川沿いの小さな谷に突き出した山の尾根上に、縄張りをめぐらせてある。
 猿掛城は、毛利家に縁の深い、戦国を戦い抜いた城郭である。
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2007/10/11


肱川 Hiji-kawa 

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 肱川(ひじかわ)は、愛媛県西部を流れる一級河川である。愛媛県西予市宇和町鳥坂峠に源流を発し、西予市野村町坂石で黒瀬川、船戸川と合流。その後は河辺川、小田川などの支流を集め、蛇行しながら四国山地を横断する。中流域には大洲(おおず)盆地を形成。ここで一気に開けると、流れは一段とゆるやかになり、大洲市街をつきぬけ矢落川などと合流する。最後は、大洲市長浜町で一気に瀬戸内海に流れ込む。
 肱川を流れる水は、北は佐田岬半島から南は宇和島市までの南予地方一帯を潤している。特に柑橘類の果樹園にとっては、必要不可欠なものとなっている。川ではアオノリ、アユ、アマゴ、アナゴなどが獲れる。
 名前の由来は二説ある。ひとつは、肱のように屈曲しているからというもの。もうひとつは、泥土やぬかるみを「ひじ」と呼ぶが、これが多いことから「ひじかわ」になったというものである。
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肱川あらし Hijikawa-arashi 

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 「肱川(ひじかわ)あらし」は、愛媛県西部を流れる肱川(ひじかわ)の冬の風物詩で、毎年11月から3月上旬のよく晴れた早朝に発生する。霧を伴った冷たい強風が、肱川下流を吹き抜ける現象で、特に開閉橋の長浜大橋付近では風速15km以上が観測され、霧は沖合い数kmにまで達する。
 大洲(おおず)盆地と瀬戸内海の気温差が原因で、放射冷却により盆地で発生した霧が、肱川下流の特異な地形によって一気に海方向へ流れ出す。ゴーゴーと激しいうなりを上げて吹き抜ける様は、世界でも類を見ない。河口近くの小高い山の上には「肱川あらし展望公園」があり、肱川あらしを見下ろすことができる。
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2007/10/9


奈良 若草山 Nara Wakakusa-yama Wakakusayama

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 奈良の若草山(ならのわかくさやま)は、奈良県奈良市にそびえる標高342m、面積33ヘクタールの山である。新日本三大夜景のひとつとされる。
 山が三つ折り重なっているため、三笠山(みかさやま)とも呼ばれている。
 山頂には、5世紀頃に築造された、標高300m以上の山頂にある古墳としては、日本最大級の史跡・鶯塚(うぐいすづか)古墳が存在する。
 普段は芝生保護の為に入れないが、春と秋に山開きをし、中に入ることができる。
 全山芝に覆われた山で、毎年、成人の日の前日に行われる炎の祭典「山焼き」でも有名である。
 奈良の若草山は、夜景の美しい、芝や古墳が良く整備された、奈良盆地を一望出来る山である。
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2007/8/16


国見ケ丘 Kunimi-ga-oka Kunimigaoka Hill

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 国見ケ丘(くにみがおか)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある標高513mの小高い丘である。
 神代の昔、神武天皇の孫にあたる建盤竜命(たていわたつのみこと)が九州統制の折り、この丘に立ち、明け暮れに国見をした事から、国見ヶ丘と呼ばれるようになったと伝えられる。
 国見とは、秋の豊穣にかかわる呪的景物を見て、豊穣を祝する儀礼である。
 丘からは、西に阿蘇の五岳、北に祖母の連山、東に天香具山、高天原、四皇子峰や高千穂盆地、眼下に五ヶ瀬川の渓流が見渡せる。
 一〇月上旬~一一月上旬ごろの早朝は、冷え込んだ朝に発生した霧が高千穂盆地やとりまく山々の間に沈み、まるで真綿を敷き詰めたように盆地の集落を覆い隠す。足もとからわき立つ雲海の眺めは、大変に素晴らしい。
 国見ケ丘は、美麗な眺望と幽玄な雲海を持つ場所である。
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2007/8/10


愛媛 松葉城跡 Ehime Matsuba-jo-ato 

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 愛媛の松葉城跡(まつばじょうあと)は、愛媛県西予市宇和町下松葉にある史跡である。
 築城年代や築城者については定かでないが、嘉禎二(1236)年、宇和地方は西園寺公経(さいおんじきんつね)の荘園となり、西園寺氏が松葉城の前身となる岩瀬城に入城したのは、永和二(1376)年であったといわれる。
 松葉城は、後に黒瀬城に居城を移すまで約170年間、西園寺氏の居城として栄えた。
 肱川上流・宇和盆地の標高400mの山中に位置し、現在は山頂に巨大な岩盤が残るのみで、城の南は15mの岩盤の絶壁であり、北部斜面も深い谷となっている。
 城跡までの登山道も良く整備されており、子供づれでハイキングを楽しむ市民も多い。 
 愛媛の松葉城跡は、宇和町では知らない人はいない城跡である。
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2007/6/26


神威古潭 Kamui-kotan 

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 神威古潭(かむいこたん)は、北海道旭川市にある地区の名称である。
 神威古潭は、石狩川が上川盆地を抜けて石狩平野へと流れていく途中の渓谷にあり、川の流れは細く急である。明治以前、水上交通に依存していたアイヌにとっては最大の難所であった。この地名はアイヌ語の「カムイコタン」(神の住む場所)の音訳であり、無事な通過を祈ることから由来すると言われている。
 明治期に函館本線が開通、神威古潭駅も設置され、これで交通の難は解消されることになる。1960年代まで基幹線として使用されていたが、現在は廃線となっている。旧線跡がサイクリングロードとなって駅舎も復元され、風情ある休憩所として利用されているという。駅舎はアーチ部分がキーストン付きレンガ巻き、側壁は切石積、抗門は鳥居型の凝った造りで、格好の撮影ポイントである。
 神威古潭は、紅葉の名所でもあり、毎年秋分の日に行われる「こたんまつり」には大勢の観光客で賑う。
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2007/6/22


小京都 Shou-kyouto Shokyoto

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 小京都(しょうきょうと)は、文化のみならず政治や経済の中心であった京都を手本に、室町時代以降の大名が作った各地に残っている町並み。
 それぞれの小京都は、京都出身者の故郷への思いを求めたりしたことや、三方が山に囲まれていたり、町に川が通っていたり、盆地であるといった地形の類似性、京都から分霊した神社がある、といった事があげられる。
 近代では町並みやお祭り、工芸、京都を彷彿させる景色など、京都に似た雰囲気が残り、訪れた人々の京都への思いを重なり合わせたことによって小京都と呼ばれていくようになっていった。
 代表的なものとしては、地方の有力者が京都に憧れて整備された山口県の一部や、飛騨高山、知覧、中村、また地形から城や城下町が作られていった萩や備中高梁、足利などがある。
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