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2008/1/30


薩摩川内市 トンボロ Satsuma-sendai-shi Tonboro 

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 海岸と島が近い場合、波の流れに相殺が起こり、間に波の静かな部分ができ漂砂が堆積することがある。それはやがて海岸と島を結ぶ砂州にまで成長し、そのまま陸続きとなる細長い低い地形をつくる。
 この現象を陸繋砂州(りくけいさす)、またはイタリア語で「沿岸流によって出来た陸地」という意味でトンボロと呼ばれる。
 鹿児島県薩摩川内(せんだい)市里村には北海道函館市、和歌山県串本町と共に日本三大トンボロと呼ばれる地形がある。南北に約1500メートルの長さで、最大幅1000メートル、最小幅250メートル、高さ2・3メートル。
 薩摩川内市のトンボロは、波の相互作用に加えて夏季の東南からの台風と冬季の北西からの季節風が訪れることにより砂の堆積がなされたものといわれている。
 このトンボロの上に里町の中心街が出来ており、静かな漁業地区となっている。
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2007/12/10


久留米城 Kurume-jou Kurume Castle

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 久留米城(くるめじょう)は、福岡県久留米市篠山町にあった城である。
 永正年間(1504~1521)に、土豪によって築かれた砦が始まりで、本格的な築城は、天正一五(1583)年の豊臣秀吉による九州征伐後に小早川秀包(こばやかわひでかね)が入城し、同時に城を近世城郭へと改修してからとされる。
 元和六(1620)年、大坂の陣で戦功のあった有馬豊氏(ありまとようじ)が入城し、以後幕末まで久留米藩・有馬氏の居城として続いた。
 北西に筑後川を自然の濠とし、天恵の地勢を活用した険要の地にあり、高い白土の城壁にそびえる二層と三層の七つの櫓があり、本丸東南隅の三層建の巽櫓は壮大な偉容を誇っている。
 現在は石垣だけが残り、城内には有馬氏を祀る篠山神社、有馬家資料を展示する有馬記念館がある。
 久留米城は、県文化財にも指定されている古城跡である。
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2007/11/7


三ケ所神社 Sangasyo-jinja Sangasho Shrine

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 五ヶ瀬町は、宮崎県の北西部、九州のほぼ中央部に位置し、ここに花の名所として知られる三ケ所神社(さんがしょじんじゃ)がある。天孫降臨(てんそんこうりん)の地と伝えられる二上山(ふたがみやま)の祠(ほこら)を、山麓に降ろして建てられた神社で、イザナキとイザナミを主祭神として祀っている。
 創建は昌泰年間(898~901)、元亀二(1571)年に再建された。文化一四(1817)年に建てられた本殿は1本の欅から造られた見事な流造り。当時の名工による手の込んだ木彫が美しい。
 三ケ所神社では春例祭がおこなわれる頃、四月中旬~五月下旬にかけて、境内にあるつくししゃくなげ一万二千本が咲き乱れる。そのほかしだれ桜、椿が満開時見事な姿をみせる。
 また、国の重要無形文化財に指定されている三ケ所神社等に奉納される「荒踊」は、九月最終土曜日に奉納され、戦国時代の武者装束をつけて踊る勇壮な舞として知られる。
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2007/10/12


猿掛城 Sarukake-jyou Sarukake Castle Ruins

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 猿掛城は、広島県安芸高田市吉田町にあった城である。
 明応年間(1492〜1501年)に毛利弘元が築いたという。
 この城は、毛利元就が少年から毛利本家を継ぐまでの青年期を過ごした城として有名である。
 関ケ原の合戦後、毛利氏が防長二州削封されるに及び、この城は天領となりやがて廃城となった。
 猿掛城は、小田郡矢掛町と倉敷市真備町との境にあり、菩提寺は矢掛町横谷の洞松寺である。
 西国へ往来する者達を一目瞭然に監視できる場所にあり、小田川を挟むように山がそびえ立ち、街道の重要拠点であった。
 現在、城跡は吉田盆地の北西方にあり、多治比川沿いの小さな谷に突き出した山の尾根上に、縄張りをめぐらせてある。
 猿掛城は、毛利家に縁の深い、戦国を戦い抜いた城郭である。
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2007/9/13


齋藤氏庭園 Saitou-shi-teien Saito Family Garden

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 齋藤氏庭園(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市河南町前谷地にある景勝地である。国の名勝に指定されている。
 石巻平野の北西部に位置する庭園は、近代における東北三大地主として知られる齋藤氏の第9代当主・善右衛門有成により、明治時代後期に作られた。
 本邸部分に所在する庭園は、丘陵の斜面を背にして清楽亭・無一庵などの建物を景観の中心に置き、周囲に平庭、園池を配している。
 斜面麓には宝泉窟(ほうせんくつ)と呼ばれる深い岩窟があり、ここから生じる湧泉は園池の水源ともなっている。
 また、庭園内にある宝ヶ峯縄文記念館はカヤぶきの建物で、宝ヶ峯遺跡から発掘された縄文時代後期の土器などが展示されている。
 齋藤氏庭園は、近代の庭園のうちでも特色ある庭園として名高い、美しい場所である。
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2007/8/29


日吉神社 三重塔 Hiyoshi-jinja Sanjuu-no-tou 

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 濃尾平野の北西部、大垣市に隣接する神戸町(ごうどちょう)に日吉神社がある。弘仁八(817)年、最澄が東国に天台宗を広めるためこの地に立ち寄った際に創建したといわれ、近江坂本の日吉大権現を主神として七柱の神を祀り、往時は八人の社僧を抱え、比叡山と共に栄えてきた。
 この神社には、室町時代の建築様式を申し分なく発揮した貴重な三重塔が現存する。永正年間(1504~1520年)に斉藤利綱が建立し、天正十三(1585)年に稲葉一鉄が修造した。
 三重塔は各層の平面がやや小さく、その分、軒が深く感じられる。全体のバランスは良いものの、二層には設けられている高欄を付した縁が三層にはなく、その理由は不明。檜皮葺屋根や、すらりと伸びた型通りの鉄製の相輪が美しい。
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2007/8/24


岩手雪まつり Iwate-yuki-matsuri 

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 盛岡の北西、雫石町の小岩井農場で開催される「岩手雪まつり(いわてゆきまつり)」は、みちのく五大雪まつりの一つに数えられている。毎年二月上旬に十日間かけて行なわれる、本州最大規模の雪まつりである。
 会場のまきば園には、大小様々な雪像・氷像が造られ、夜になると色とりどりにライトアップされて、雪原に幻想的な世界を浮かび上がらせる。
 「雪の冒険王」など、毎年違う様々なテーマで趣向を凝らす雪像造りには、自衛隊員も含めて延べ四千人程も参加するという。
 雪像には様々な工夫が凝らされており、ただ眺めるだけでなく滑り台や迷路など、子供はもちろん大人も楽しめるようになっている。ステージショーや冬の夜空を彩る花火など、雪や氷の像に囲まれながらたくさんのイベントを見つつ楽しむことができ、思わず寒さも忘れてしまいそうだ。
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2007/7/30


暗門の滝 Anmon-no-taki 

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 暗門の滝(あんもんのたき)とは、青森県南西部より秋田県北西部の一三万ヘクタールにまたがる山、世界遺産である白神山地の東側に流れる暗門川に位置する3つの滝のことである。
 訪れた人々は、入り口から第三の滝、第二の滝、第一の滝と順に訪れることができる。
 通常、こういった滝は、川下から一、二、三と数えるが、これらの滝は、川上から一、二、三と数える特徴がある。これは江戸後期の紀行家、随筆家であった菅江真澄(すがえますみ)が、山頂から滝を数えたためと言われている。
 当時、津軽藩では、薬を作るために滝の上でケシの栽培をしていた。そのため、一般の人々が観光目的で訪れないよう、元々「安門の滝」とされていた文字を、印象を貶める意味で「暗門の滝」とわざわざ名前を変えたと伝えられている。
 滝の高さは第一の滝落差四二メートル、第二の滝三七メートル、第三の滝二六メートルと、 全ての滝の規模は大きく、心地よい水しぶきをあげており、涼しさを感じることができる。
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