NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/22


田舎館村 田んぼアート Inakadate-mura-tanbo-art 

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 田舎館村・田んぼアート(いなかだてむら・たんぼあーと)は、青森県南津軽郡田舎館村が、村起こしの一つとして始めた、田んぼをキャンバスとして色の異なる米を使って巨大な絵を作り出すプロジェクトのことである。
 平成五(1993)年から始まったもので、田舎館役場の東側にある、約1.5ヘクタールの水田をキャンバスとして、黄稲と紫稲の古代米二種と、この地方で栽培されているブランド米の「つがるロマン」を使って、モチーフとなる絵になるよう、配色を考えながら植えられていく。
 村役場には天守閣を模した展望室が設置されており、配色や植える位置は、ここから眺めた時に最適となるよう、設計されている。
 モチーフとなる絵は、主に日本人の芸術作品が用いられており、これまでに恵比寿様と大黒様や葛飾北斎の「富嶽三十六景」、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」などが再現されている。
 田植えや稲刈りへの参加者も募集されており、見るだけでなく、作る喜びも味わえる、村を代表する一大イベントとなっている。
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2008/7/1


深野棚田 Fukano-tanada 

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 三重県松坂市深野地区にある深田棚田(ふかのたなだ)は、まさに石の芸術を思わせるような、美しい棚田である。石垣の段数は約一二〇、積み上げられた石の数は三〇〇万個以上もあるといわれている。その類稀な風景は、日本の棚田百選のひとつに選ばれているほどである。
 石垣で造られた棚田は西日本に多く見られる風景である。
 江戸時代、少しでも藩の石高(こくだか)を増やすためにと、特に西日本の地域では山間地にまで田んぼが作られたという。そのため、急な傾斜などにも耐えられるよう、石垣造りの棚田が多く造られたといわれている。
 また、稲作には「水はけがよく水利が良い土地」が適しているため、棚田は稲作に適していたとされる。
 城塞を思わせるような、自然石が織りなす風景は圧巻であり、先人の苦労も偲ばれる。
 現在は地元の人々が保存会を結成し、今も美しいままに維持・管理されている。
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2008/2/5


ガウンガウン祭り Gaun-gaun-tatsuri 

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 深田神社でおこなわれるガウンガウン祭りは、旧暦2月2日に近い日曜日、2月下旬頃に野元の深田神社で開かれる春の大祭であり、鹿児島県指定の無形民俗文化財となっている。ガウンとは、「願」とか「くわ」がなまった事に由来するもので、五穀豊穣を祈願する祭として知られる。
 境内を田んぼに見立て、田植えの様子を派手な化粧に野良着のテチョと呼ばれるおやじをはじめ、太郎、次郎、牛に扮した男の4人で滑稽に演じる。一定したせりふはないが、3人それぞれ決まった持ち場を担当し、即興劇が執り行われる。
 この祭りの主役は子どもたちである。鍬の形をまねた枝で、子どもたちが劇中役者を倒し、倒す回数が多ければ多いほど豊作になるとされているため、枝を手にした子どもたちが群がり、機会をねらって役者を倒そうと必死になる。
 その後、松葉を苗に見立てて境内に植え、最後に餅まきをして豊作を祈る。
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2007/8/20


入谷の祭と打囃子 Iriya-no-matsuri-to-uchi-bayashi 

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 入谷の祭と打囃子(いりやのまつりとうちばやし)は、毎年の九月十五日に、宮城県南三陸町の入谷八幡神社で行われる例大祭である。
 打囃子が始まった時期は定かではないが、八幡神社に奉納したとされる太鼓に享和元(1801)年の年号が見られることから、その時期にはすでに行われていたと考えられている。
 秋の収穫も間近な頃、身を清めた神職らを先頭に、入谷八幡神社から祭りの行列がスタートする。
 花傘や花バレンに彩られた神輿、色鮮やかな衣装に身をつつんだ子供たちが、入谷の田園風景のなかを御旅所(おたびしょ)である田んぼの中に聳える一本松の元まで練り歩く。
 御旅所に到着すると、祇園囃子の流れを汲むといわれる打囃子が、五穀豊穣と家内安全を祈願して獅子舞と共に舞われ、奉納される。
 黄金色に輝く田んぼの中で、優雅に舞われるお囃子は、いつか遠い昔に感じた郷愁を見るものに思い起こさせてくれる。
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2007/8/15


火振りかまくら Hiburi-Kamakura 

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 400年の歴史を持つ火振りかまくらは、秋田県仙北市角館で毎年2月に行われる、小正月行事である。
 炭俵、または米俵に縄を付け、俵に火をかけ、縄の端を握り、自分の体の周囲りを振り廻す。(現在、専用の俵を用意している)
 火によって田んぼの穢れを祓い、この年の無病息災、五穀豊穣を祈る伝統の行事である。
 これと同時に、正月のお飾りを高い木に縛りつけて燃やす天筆焼きが行われたり、水神を祭るかまくらも作られ、食べ物やお酒が振舞われる地域もある。
 一般の人も参加することが可能であり、自身の厄を祓おうと俵を廻す人々も多い。
 夜の雪原に輝く炎の輪は幻想的で、見る者を感動させる、雪国の美しい行事として知られる。
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2007/7/30


大倉の役人田植踊 Ookura-no-yakunin-taue-odori Yakunin Taue Odori in Okura

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 大倉の役人田植踊(おおくらのやくにんたうえおどり)は、宮城県仙台市青葉区大倉で、旧暦7月6日に行われる定義如来の夏祭りにて踊られる踊りである。県指定民俗文化財民俗芸能とされる。
 天保三(1833)年、京都生まれの源宗という法印が、大倉の人々に京の踊りを伝えたのが始まりと言われている。
 役人とは、鬼人と呼ばれる弥十郎が、田の神の役を務める意味と伝えられる。
 弥十郎の長である鬼人が、頭に日月の引立烏帽子をかぶり、背に神武天皇と書かれた陣羽織を着て田植踊りを踊る。
 踊りには、讃め言葉や返し言葉があり、鬼人が唄える口上や早乙女の歌・舞振りにこの田植踊の特徴があるとされる。
 大倉の役人田植踊は、地域社会の中で伝承されてきた、伝統ある民俗芸能である。
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2007/7/19


花馬祭 Hana-uma-matsuri Hanauma Festival

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 花馬祭(はなうままつり)は、約400年前から長野県・木曽町の五宮(いつのみや)神社に伝わる五穀豊穣を祈る神事である。毎年10月3日に開催される。
 細長く切った竹に五色の色紙を付けた「花」を3頭の木曽馬が付け、氏子たちが小中学生の笛や太鼓の音とともに田立駅前から五宮神社までゆっくり練り歩く。
 神社では、行列が境内を3周した後、見物客が馬に殺到して花を奪い合う。
 この「花」は、稲穂に見立てたもので、厄除けや虫除けのご利益があるとして田の畦(あぜ)や家の入り口に挿すのだという。
 花馬祭は1993年に町の無形文化財に指定、また1998年の長野冬季オリンピックでは、この花馬祭が祭典のフィナーレを飾り、演じられた。
  
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2007/4/23


供養田植 Kuyoutaue 

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 広島県神石(じんせき)郡神石高原町下豊松では、昔から様々な神事が盛んだった。なかでも牛馬の神様、「大仙(だいせん)様」は人々の篤い信仰の対象となっていた。戦後間もないころまで、牛は農耕の「トラクター」の働きをしたり、材木や俵物など重い貨物の運搬用として、人々にとって大切な存在だったのである。
 下豊松の「供養田植え」は、「大仙供養田植え」とも呼ばれ、この大仙様をお迎えして、牛馬の供養と五穀豊穣を祈る盛大な祭り。
 祭りは代掻き牛と「早乙女さん」と呼ばれる女衆が花宿に集まることから始まる。まず「大仙様」をお羽車に乗せて田に入り、早乙女さんの手踊りが続く。そして牛が供養棚の下をくぐりながら神の清めを受けて代を掻き(田植えができるように田んぼを掻き回す)、大太鼓の音に合わせて早乙女さんが田植えを行い、祭りはクライマックスを迎える。
 「供養田植え」は昭和四一年に県の無形民族文化財に指定された。
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