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2007/1/24


下時国家 Shimo-tokikunike Shimo-Tokikuni House

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 平家の子孫、平時国(たいらのときくに)を祖とする家。壇ノ浦の合戦後、平家の武将、平時忠(たいらのときだた)は能登に流され、その後、輪島に移り住み、時国家(ときくにけ)の祖となる平時国が生まれたとされている。
 時国は平家を捨て、姓を時国とした。貧困に喘ぐ輪島の農村・農民を助け、人心を得てこの地の豪農となり、江戸時代には、庄屋として名字帯刀を許可された。
 十三代籐左右衛門時保の時、次男の千松が分家、下時国家を名乗る。藩の山役や塩吟味役などを勤め、本家とともに繁栄した。
 現在の住宅は寛文十(1670)年、分家の時の建築、と言われているが確証はない。
 奥能登農家の大型の家屋で、土間が広いのが特徴である。庭園も国指定の名勝。
 壇ノ浦の戦いで命を落とした安徳天皇を祀り、能登安徳合祀時国家とも呼ばれる。
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