NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/2


ローソク島 Rousoku-jima 

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 隠岐島後(どうご)の北西に位置する代(しろ)海岸の沖合いに、「ローソク島」という小島がある。高さ20mの奇岩で、形状はまさにロウソクそのもの。土台となる岩礁はロウソクの燭台のようであり、頭頂部に突き出た岩はロウソクの芯にそっくりだ。しかも、岩の先端に夕陽が重なると、まるで一本の巨大なロウソクに火を灯したように輝きを放つ。
 火を灯したローソク島を見るには、福浦港を出航するローソク島遊覧船に乗ればいい。夕陽が落ちるタイミングに合わせて、最適なポイントを選んでくれる。日本海の荒波に浮かぶドラマチックな光景は息をのむほど美しく、深く心に刻み込まれる。陸上から島を間近に見られるよう、ローソク島展望台も設けられている。
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2008/6/30


羽衣石城 Ueshi-Jo 

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 羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にあった山城である。
 正平二一(1366)年、南条貞宗によって標高376mの羽衣石山に築城され、以後、南条氏の拠点として使用された。
 山陰道と東郷池に臨む東伯耆の要衝にあり、尼子氏や毛利氏と激しい攻防を繰り返した。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の合戦で南条氏が敗れ、羽衣石城は廃城となる。
 昭和六(1931)年、南条氏の子孫の手により、山上に模擬天守が建てられた。
 現在、羽衣石城にはよく整備された模擬天守と物見櫓風の展望台があり、山頂部に本の丸、二の丸、三の丸を配置し、主郭部から西へ削平地が幾段も置かれ、東の尾根には2筋の堀切が残る。
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2008/3/31


トカゲ岩 Tokage-iwa Tokage-iwa (Lizard Rock)

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 島根県沖に浮かぶ隠岐の島。隠岐島後(どうご)の東部、標高563mの鷲ヶ峰(わしがみね)の北西1kmの場所に「トカゲ岩」がある。まさにその名の通り、トカゲの形をした岩が、崖をよじ登るようにして張り付いている。中谷林道終点の駐車場から「自然回帰の森」遊歩道に入り、50m進んだ地点からトカゲ岩を展望することができる。そこからさらに100m進めば、東屋(あずまや)と並んで展望台があり、説明板も設置されている。
 トカゲ岩は、岩山の岩質の異なる部分が長年の雨風によって浸食され、全長約30mにわたり浮き上がって取り残された奇岩で、学術的にも貴重なものである。前足は数年前の地震で落ちたという。これからも時の経過と共に、姿形を変えて行くに違いない。
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2008/3/6


猿倉城跡 Sarukura-joushi 

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 猿倉城跡(さるくらじょうし)は、富山県富山市舟倉(ふなくら)にある城跡である。別名・船倉城とも言う。
 標高345mの猿倉山は、古来飛騨街道の要とされ、戦国時代には山頂に猿倉城が置かれた。
 天正年間(1573~1592)、郷士・島村丑之助、一説には寺島三八郎が城を構え、飛州の塩屋筑前守秋貞(しおやちくぜんのかみあきさだ)に代わって上杉氏家臣・村田修理亮(むらたしゅりのすけ)と戦ったとされる。
 飛騨への街道を押さえる要所で軍事拠点であったと思われるが、資料には相違があり、詳細は分かっていない。
 現在、猿倉山頂の城跡には、ヨーロッパの城を思わせる展望台の「風の城」が建っており、側には石碑が建てられている。
 猿倉城跡は、往時が偲ばれる、美しい風景の場所である。
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2008/2/5


八丁池 Hacchou-ike Lake Hacchoike

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 八丁池(はっちょういけ)は、周囲一帯がスズタケに覆われていることから別名「アオスズの池」とも呼ばれている。
 天城連山(あまぎれんざん)の南陵、天城火山の火口湖で、伊豆の瞳といわれている。標高一一八〇メートルの地点に神秘的な水をたたえており、池の周囲が八丁、約八七〇メートルあるので八丁池との名前の由来がある。
 また、天然記念物である「モリアオガエル」の棲息地としても知られる。近年見かけることが少なくなったが、環境保護の成果が現れ、少しずつ数を増やしている。
 八丁池から一〇分程度のところに展望台があり、富士山をはじめ南アルプス、箱根連山、伊豆半島全域を見渡すことができる。
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2007/12/25


銭形砂絵 Zenigata-sunae 

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 江戸時代に広く流通した通貨「寛永通宝(かんえいつうほう)」。その寛永通宝を模した巨大な砂絵が、銭形砂絵(ぜにがたすなえ)と呼ばれるものである。
 その大きさは縦一二二m、横九〇mで、周囲の長さが三四五mという観る者を圧倒する大きさである。そして、有明浜の白砂に描かれたその美しさも大きさには劣らないという。
 寛永一〇(1633)年に、村人達が藩主を歓迎するために一夜で造り上げたという伝説が残るが、詳細は定かではなく、起原は謎に包まれている。
 年に数回市民によって補修され、化粧直しが施される。付近の琴弾山(ことひきやま)山頂の展望台から砂絵を見下ろすことができ、夜にはライトアップされた松林の中に、その姿はくっきりと鮮やかに浮かび上がるという。
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