NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/4/16


埼玉 高麗神社 Saitama Koma-jinja Koma Shrine

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 埼玉の高麗神社(こまじんじゃ)は、埼玉県日高市新堀にある神社である。祭神は、猿田彦命、竹内宿禰とされる。
 霊亀2(716)年、当地に移住した高句麗国の渡来人で、武蔵野開発に尽力した高麗郡司の高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)が高麗郡総鎮守として猿田彦命と竹内宿禰を祭祀し、白髭明神としたのが創祀といわれる。
 武蔵国内にある55社の白髭神社・白髭明神の総社である事から、高麗総社ともいわれる。
 敷地内には江戸時代に建てられた高麗家住宅等、多くの有形文化財を所持していることでも有名である。
 近年は、参拝後に総理大臣となった者が続出した事から、出世明神とも崇められている。
 高麗神社は、春には桜、秋には菊も美しい、古式ゆかしい神社である。
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2007/2/12


般若寺 Hannya-ji 

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 奈良県奈良市にある寺。東大寺の北側に位置する般若寺。
 629年、高句麗の僧慧灌が、この地に「文殊菩薩像」を安置したのが始まりである。735年、聖武天皇の時、堂塔を造営するが、京と奈良を結ぶ街道であったため、幾度もの戦乱に巻き込まれた。
 学問道場の基礎を築いたと言われ、般若という学問の知恵を現す寺の名からも、学問への思いが伝わるものである。
 鎌倉期の建築様式をもつ楼門は国宝、楼門の奥正面にある十三重石塔は国の重要文化財に指定されている。
 春の山吹、10種10万本あるといわれる秋のコスモスが咲き誇る花の寺としても有名で、別名コスモス寺とも呼ばれるほどである。
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2007/2/7


江戸筆 Edo-fude 

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 江戸筆は、東京にて造られる伝統工芸品である。
 610年頃、高句麗の僧・曇徴(どんちょう)が紙、墨の製法を招来し、これが筆墨硯渡来の始まりとされる。
 以後、筆は京都を中心に広まったが、江戸時代(1600年代)に入って商人と寺子屋が急増し、江戸の筆需要は急増した。
 江戸筆職人は、供給元としてその技術を磨き、その後の大火や幾たびもの戦災で規模を縮小しつつも、伝統の技を守り続けてきた。
 江戸流の製造法「練りまぜ法」は、元禄期に細井広沢により確立された手法で、明治5年の学制発布と共に急速に広まった。
 関東大震災、第二次世界大戦の惨禍により、筆職人の多くは東京を離れたが、東京に残った筆職人は高級筆の製造に活路を見出し、技術技法の継承を図っている。
 江戸筆は、日本の書物や浮世絵を影で支えてきた、欠く事の出来ない実用工芸品である。
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2007/1/28


玩具 Omocha Omocha (toys)

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 オモチャは、元来、手に持って遊ぶもの、という意味。平安時代に「もて(もち)あそびもの」あるいは源氏物語には「あそびもの」と呼ばれていた。
 江戸時代には「おもちあそび」「てあそび」が話し言葉として、「弄物(ろうぶつ)」「玩物」が書き言葉となった。
 縄文時代に、粘土等を使った土偶や面ようなオモチャも発見されているが、元来は中国から伝わってきたものが多い。
 例えば「こま」。奈良時代に高句麗(高麗と書いて、こま)を経て唐から入ってきたので、こまと呼ばれる。また蹴鞠は唐から直接伝わり、後の女子の手鞠に変化する。
 いずれにせよ、これらの玩具は、大陸あるいは朝鮮半島から伝わってきたものが多かったが、日本それぞれの地方で、独自の発達の仕方をした。各地に残る郷土玩具はその代表で、深く生活に密着し、祭事とも関わっていた。
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