NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/12


小幡焼 Obata-yaki 

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 小幡焼(おばたやき)は、上州の小京都、群馬県甘楽郡小幡で作られている焼物である。
 いつごろから始まったのかは定かではないが、江戸時代には粉引きを中心に作陶されていたと見られている。織田信長の次男である織田信雄が築庭し、国の名勝にも指定されている楽山園の近くに登り窯が築かれたことから楽山園焼とも称されている。
 粉引きはもとより、単純な文様のみの壺や茶碗、鉢、湯のみなど素朴な中にも味わいのあるものを作陶している。
 また、桃花紅と呼ばれる、清朝時代に作られたといわれる陶器の再現にも成功したことでも知られている。焼成が難しく、再現は至難とされていたが、その淡い桃色や緑がかった桃色の透き通るような美しい表面は、小幡焼の元で今日に復活を遂げたのである。
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2008/8/22


大洲神社 Oozu-jinja 

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 伊予の小京都とも呼ばれ、風情ある古い町並みが多く残っているため、テレビドラマのロケ地にも使われることが多い大洲市の、その美しい市街地が一望できる台地に大洲神社はある。
 元徳三(1331)年、大洲城初代城主、宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が築城した際に、城の総鎮守の神として生地より下野国(しもつけのくに)二荒山(ふたあらやま)神社を勧請し、「太郎宮」と名づけた。その後大正三(1914)年に久米神社、恵比須神社と合祀して、「大洲神社」に改称したとされる。祭神は大黒様と恵比寿様である。
 毎年、正月の九日から一一日までの三日間、大祭「えびすまつり」が奉納され、商売繁盛・家内安全・五穀豊饒を祈願する多くの参拝者で賑わう。境内には縁起物の福笹や熊手、枡などの露店が立ち並び、一〇日の「本えびす」には福入り餅まきなどが行われるため特に賑わいをみせる。
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2008/1/17


龍野城 Tatsuno-jou 

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 兵庫県たつの市の「龍野城(たつのじょう)」は、明応八(1499)年に西播磨の豪族・赤松村秀によって鶏籠山の山頂に築かれた。政秀、広貞、広秀と四代続いたが、天正五(1577)年に織田信長の命による播州征伐で羽柴秀吉の軍門に降り開城、替わって石川光元や蜂須賀小六正勝(はちすかころくまさかつ)が城番として置かれた。
 一時期、姫路城に入城した池田輝政により支城として整備され、その後も本多、小笠原、岡部、京極と城主が替わっていった。万治元(1658)年に京極高知による讃岐丸亀への移転で廃城となり、一四年間は天領となった。
 寛文一二(1672)年、信州飯田から脇坂安政が五万一千石で入封すると、山麓に平山城として陣屋形式のものが築かれ、泰平の世も手伝い現在に至っている。本丸御殿は昭和五四(1979)年に再建されたものである。
 城下町は「播磨の小京都」と称され、武家屋敷の雰囲気は往事を思わせる。
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2007/9/10


知覧武家屋敷庭園 Chiran-bukeyashiki-teien Old Samurai Gardens in Chiran

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 知覧武家屋敷庭園(ちらんぶけやしきていえん)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)にある江戸時代の武家屋敷群で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 約260年余り前、知覧領主・島津久峰時代の武士小路区割の名残り。現在、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている。
 7軒の屋敷の庭園が見学でき、うち6軒は枯山水式庭園、1軒は築山池泉式庭園となっている。
 薩摩の小京都と呼ばれるにふさわしい佇まいを保ち、武家屋敷群は「人をもって城となす」という薩摩藩の気風を推し進めた外城のひとつとされる。
 各屋敷が塁のように防衛障壁となるよう工夫されており、端正にして優美、虚飾に走らず簡素を旨とした、薩摩武士の知性と上品さが伺える。
 知覧武家屋敷庭園群は、江戸の昔を思い起こさせる街並みである。
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2007/8/6


みやぎ村田町蔵の陶器市 Miyagi-murata-machi-kura-no-tougei-ichi 

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 江戸後期から昭和初期にかけて、村田商人が紅花(べにばな)の商取引で栄華を誇っていた宮城県・村田町。町の南北にのびる旧街道、通称「蔵の町並み」には、今でもかつての繁栄ぶりを偲ばせる重厚な店蔵が並び、「みちのく宮城の小京都」と呼ばれるにふさわしいしっとりとした町並みが見られる。
 この村田町で年一回開かれるのが「みやぎ村田町蔵の陶器市」である。町有数の村田商人であった「やましょう」を含む店蔵や空店舗に、宮城県はもとより東北・関東を中心とした陶芸家たちが集まり、陶器の展示・販売を行うものだ。
 陶器市では、毎年ひとつのテーマが設けられ、そのテーマに沿った幅広い作風の作品が一堂に会する。平成十八年のテーマは「酒器」。合計67窯が参加した。
 さまざまな陶芸家との会話も楽しめるこの陶器市には、毎年約4万人もの観光客が訪れるという。
 夕暮れになると蔵のライトアップも行われ、幻想的な雰囲気で陶器市をさらに盛り立てる。
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2007/8/1


蔵の町むらた春まつり Kura-no-machi-Murata-haru-matsuri Spring Festival in Murata, the Town of Old Storehouses

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 古くから仙台と山形を結ぶ街道の要所として栄え、伊達家の家臣、小山九郎業朝(おやまくろうなりもと)が村田城を築いた村田町。
 藩政時代からの白壁の蔵や商家などを今に伝え、往時の繁栄を町並みに残す宮城の小京都で、毎年の五月第二日曜日に開催されるのが、蔵の町むらた春まつりである。
 樹齢千年といわれる白鳥神社の巨木や伊達家ゆかりの龍島院(りゅうとういん)庭園など、同町が誇る歴史や自然の素晴らしい観光名所で、一斉にミニイベントが催される。
 そんな、町を代表する祭りの中心となっているのが、町内各地から集まった個性豊かな子供神輿である。
 何人もの子供達が自分達の出身地区自慢の神輿を担ぎ、大人顔負けの威勢の良さでおおよそ二時間をかけて、町の中心部を元気良く練り歩く。
 時代の流れと共に多くのものを残し、過去の繁栄を今に伝える歴史ある町だが、子供達の元気と笑顔は、何百年経っても変わることはない。
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2007/6/22


小京都 Shou-kyouto Shokyoto

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 小京都(しょうきょうと)は、文化のみならず政治や経済の中心であった京都を手本に、室町時代以降の大名が作った各地に残っている町並み。
 それぞれの小京都は、京都出身者の故郷への思いを求めたりしたことや、三方が山に囲まれていたり、町に川が通っていたり、盆地であるといった地形の類似性、京都から分霊した神社がある、といった事があげられる。
 近代では町並みやお祭り、工芸、京都を彷彿させる景色など、京都に似た雰囲気が残り、訪れた人々の京都への思いを重なり合わせたことによって小京都と呼ばれていくようになっていった。
 代表的なものとしては、地方の有力者が京都に憧れて整備された山口県の一部や、飛騨高山、知覧、中村、また地形から城や城下町が作られていった萩や備中高梁、足利などがある。
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2007/6/18


小江戸 Ko-edo Koedo

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 小江戸(こえど)とは、江戸のように栄えた町、また江戸時代を彷彿とさせる町並みを小江戸と呼ぶ。
 江戸時代から町を誇る際に「まるで江戸のようだ」と表現したことがあったが、1986年に栃木市・川越市・佐原市の3市で行われた小江戸サミットでは、その表現を「小江戸」とする言葉が生まれ、注目された。
 現在、小江戸として有名な地は、城下町・蔵の町としても知られる栃木県栃木市(下野国)、江戸城の建物の一部が移築され川越藩の城下町であった埼玉県川越市(武蔵国)、佐原の大祭に名残を残し重要伝統的建造物群保存地区にも指定された千葉県佐原市(下総国)の他、千葉県夷隅郡大多喜町(上総国)、神奈川県厚木市(相模国)、静岡県磐田市(遠江国)、滋賀県彦根市(近江国)等があげられる。
 特に、埼玉県川越市では「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と言われ、また千葉県香取市では「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」という唄も残されている。
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