NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/12


焼山寺 Shousan-ji 

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 四国霊場第12番である焼山寺(しょうさんじ)。開基は修験道の開祖役小角(えんのおづの)といわれ、焼山寺山を道場として拓き、蔵王権現を祀ったことに始まるとされる。
 またこの寺は深い山中にあるため、四国八十八箇所霊場の中でも随一の難所として知られている。
 山号の由来は、のちに弘法大師がおとずれた時、焼山寺山の台地に大蛇がおり、火を吐いて山を焼くなど村人を困らせていることを聞き、水輪の印を結んで退治したことから、とされている。
 仁王門をくぐると、県の天然記念物に指定された見事な老杉が参道両脇に並び、境内には本堂、右手に大師堂、弁天堂、鐘楼、そして大師伝説の残る岩屋がある。
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2008/3/11


太平山三吉神社 Taiheisan-miyoshi-jinjya 

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 太平山三吉神社(たいへいざんみよしじんじゃ)は秋田県秋田市の標高1171メートルの太平山山頂に建つ神社である。昔より修験の場として崇められ、全国にある三吉神社、太平山構の総本宮である。通称、みよしさん、さんきちさんの呼び名で親しまれている。
 この神社は天武天皇の時代、白鳳二(646)年に役の行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)によって創建されたと伝えられている。後に、坂上田村麻呂が東夷征討の際にこの神社で戦勝を祈願し、お堂を建てたともいわれている。
 太平山は秋田県の東にそびえ、秋田のシンボルともいえる山である。頂上からは世界遺産である白神山地、鳥海山、仙北平野などの美しい景色をパノラマで眺めることができ、また、鳥居と雲海の幻想的なコントラストには、この地が霊験あらたかなことを痛感させられるという。
 毎年一月一七日には「ぼんてん」と呼ばれる、多数の男衆が神様のお力に授かろうと激しくもみあう勇壮な祭りが執り行われ、大勢の見物客が訪れるといわれる。
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2007/12/20


埼玉 三峯神社 Saitama Mitsumine-jinja 

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 埼玉の三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある古社である。祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)である。
 由緒は、景行天皇(71~130)の御世、息子の日本武尊が東征のために碓氷峠に向かう途中、三峰山に登り、その山川の美しさに心を打たれて創建したのが始まりである。その後、この地を訪れた景行天皇が社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山から「三峯宮」の社号を授けた。
 後に飛鳥時代には伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、平安時代には空海が観音像を安置したとも言われ、中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。
 享保五(1720)年に入山した僧・日光法印が、日本武尊の道案内をした狼の大口真神(おおぐちまがみ)の護符を配布し「御眷属信仰(ごけんぞくしんこう)」が広まっていく。狼は火災や盗賊に対していち早く騒ぎ立てる事から、狼を神の眷属として信仰し、火難・盗賊除けを願うもので、数多くの講が組織された。
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2007/9/26


役小角 En-no-ozunu En no Ozunu

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 役小角(えんのおづぬ)は、修験道の開祖。山岳信仰による呪力の獲得、自然との一体化による即身成仏を説いた。日本的霊性の源流として、只ならぬ影響力を持つ人物である。
 舒明天皇六(634)年、大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市)、葛木山のふもとで誕生。独学で仏像を作り、梵字を書き始める特異な少年だった小角は、一七歳で家を捨て、葛木山での本格的な霊的修行に入る。
 仙人と遊び、仏や神を叱り飛ばし、鬼を従者として使う強者となっていった。神通力が朝廷に知られ、恐れられ、天皇の命令で伊豆大島へ流刑されたりした。
 晩年は、諸国を巡り、数々の霊山高峰を訪れた。現在、日本で霊山とされるほとんどの山が役小角の開山という伝説がある。六八歳の時、天井ヶ岳にて、多くの弟子達に見守られるなか、微笑み続けながら息を引き取った。
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2007/8/24


石鎚山お山開き Ishizuchi-san-oyama-biraki 

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 石鎚山(いしづちやま)は、加賀白山、越中立山、大和大嶺山及び釈迦嶽、駿河富士、伯耆大山とともに、日本七霊山のひとつにも数えられる四国の霊峰。標高は1982メートルである。この石鎚山お山開きは石鎚神社最大の御祭儀で、毎年七月一日〜一〇日までの一〇日間に渡って行なわれる。
 石鎚神社は、修験者の役小角(えんのおづの)が和銅三(710)年頃開山、後年、空海が修業を行ったとも場所とも伝えられる由緒ある神社。
 大祭前日の六月三〇日は出御祭で、神輿に納められた智・仁・勇の三体のご神像が、七合目にある成就社まで運ばれる。翌七月一日の朝、大太鼓の音に送られ、白装束姿の信者が御神像を背に、険しい山道を山頂へと駆け上がる。山頂では、ご神像拝戴(しんぞうはいたい)と呼ばれる、信者の背中にご神像を押しつける神事が行なわれ、人々は一年の無病息災を祈願、その後ご神像は頂上の社に納められ、祭りの期間中鎮座する。
 元々は女人禁制のお山であったが、現在ではそれは七月一日のみとなった。
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2007/5/31


月山 Gassan Mt Gessan

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 山形県東田川郡にある出羽三山のひとつ。
 標高1984メートルで、山形県のほぼ真ん中にそびえたつ。磐梯朝日園立公園の北にあたり、ブナの原生林、動植物などの大自然の宝庫とされる。
 月山の名は、その山容が「ちょうど月が半輪を描いて空に現れたようなおおきな山の姿」からきているといわれる。
 信仰が深い山でも知られ、山頂には「月山神社」があり、天照大神の弟、月読命が祭られている。
 役行者の修行の地であった。幾人もの行者が月山大神登拝におとずれたが、修行の未熟さをさとられ引き返した「行者返し」という登山路がいまでも残っており、現代でもその道を、登山者たちが行き来きする。
 眺望や高山植物にも恵まれた霊山である。
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2007/5/10


三徳山三仏寺 Mitokusan-Sanbutsu-Ji Mitokusan Sanbutsu-ji Temple

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 三徳山三仏寺(みとくさんさんぶつじ)は、鳥取県東伯郡三朝町三徳にある天台宗の寺である。本尊は、釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来とされる。中国観音霊場第31番札所、伯耆(ほうき)観音霊場第29番札所となっている。
 慶雲三(706)年、役行者が修験道の行場として開山し、その後、嘉祥二(849)年、慈覚大師円仁により本尊の三仏が安置されたと伝承されている。
 鳥取県のほぼ中央に位置する標高900mの三徳山に境内を持つ、山岳寺院である。
 本堂から投入堂(なげいれどう)へは山道が続いており、途中に文殊堂、地蔵堂、鐘楼が点在する。投入堂は標高470mの断崖に建てられた舞台造の堂宇で、鳥取県で唯一の国宝となっている。
 三徳山三仏寺は、霊場として名高い国の名勝・史跡である。
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2007/4/23


愛宕神社 Atago-jinja 

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 地元民には「あたごさん」の名で親しまれている愛宕神社(あたごじんじゃ)は京都市右京区、愛宕山の山頂に位置する神社である。
 大宝年間(701〜704)に役小角と僧泰澄により開基されたと伝わる。神仏習合の社寺であり、修験道の修行の地としても信仰を受けた。
 祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、全国900余の愛宕神社の総本社でもある。
 古来より防火、鎮火に霊験あらたかと言われ、「火廼要慎(ひのようじん)」のお札は京都では多くの家庭に祀られている。また、3歳までにお参りをすると一生火難に遭わないという言い伝えがあり、多くの親子連れも参拝に訪れている。
 山頂から京都市内を一望できる隠れた眺望の地としても知られる。春には一月遅れの桜が咲き誇り、訪れる参拝客を楽しませている。
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