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2008/3/21


ヒーブル・オンジェイ hiiburu onjei Ondrej Hybl

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 1977年生まれ。大蔵流狂言茂山千五郎家修業生。チェコ、パルドヴィッツェ出身。2000年、国立カレル大学大学院哲学部入学。2002年、国費留学生として同志社大学大学院国文科に入学。狂言師、茂山七五三氏に師事する。2005年、同大学修士課程修了後、大阪大学大学院文学研究科博士課程文化表現論に進学、在学中。同年EXPO2005国際博覧会において「チェコ共和国を代表しての働き・活躍」に対しチェコ政府代表より表彰される。
 日本の伝統芸能である狂言の世界に強い関心を持ち、チェコ人初の狂言修業生になったオンジェイさん。
 狂言は人を笑わせる技術だが、安売りの笑いではない、人に対して優しいユーモアなのだという。
 人が本気で笑う時、そこに国境はなくなる。狂言が世界遺産になったということは、この地球にいる人たち全てにとって貴重な財産だということ。狂言は日本の古い文化に強く繋がっていて、世界の人も豊かにする可能性がある。と氏は語る。
 
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2007/10/15


【美】 Bi The Character for Beauty

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 ヒツジを表す羊は漢字の要素としてよく見られます。古代にはよく儀式に使われた動物でもあるからです。善・美・義のような抽象概念を表す漢字の中に特に目立ちます。美の字体はヒツジ全体を示します。羊という字は角を含めたヒツジの上体の輪郭を表し、美の字体にはその下体、特に後脚が加わりました。羊を所有する人はすでにかなりの財産家です。
 多神教の世界では、神々に貴重で美しい自然界からの供え物をすることで、神の恩恵を得ようとします。最高の神には犬をささげるのが一番効果的だという考え方もありました。特に神の恵みを受けるための捧げものが大事になってくるのは裁判の時です。裁判は神の審判という形で行われましたので、争う両者はいろいろな神の試しを受ける羊を差し出しました。
 元々、文字は神と人との間のコミュニケーションの手段として成立・展開したという考えは白川文字学の出発点です。その立場から見ますと美は神に受け入れられる美、すなわち神が保証した美となります。面白いことに、東アジア以外にも、「世の罪を取り除く神の子羊」(聖書・ヨハネの福音書一・二九)、「私たちの過越の子羊キリスト」(聖書・コリント第一 一・七)などに羊を神のへの捧げものとする考え方があります。
 美についてのこの解釈は金文の字形に基づいていますが、もう一つの解釈の可能性もあります。金文よりさらに遡る甲骨文には、羽の飾りを頭につけている形と解釈できる字体もあります。残念ながらその意味を詳しく知ることはもうできません。
 
■美・金文(きんぶん)
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2007/8/3


大井池 Ooi-ike Oi-ike Pond

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 大井池(おおいいけ)は、愛知県額田郡幸田町大草にある、面積9・2ヘクタールのため池である。
 ため池は農業用水、防災、生物の生息地、親水や交流の場等の多くの機能を持っており、貴重な地域財産である。
 大井池は、矢作川水系広田川を水源とし、昭和一八(1943)年竣工された人造池で、農業用ため池としては愛知県内最大級のため池となっている。
 貯水池の左岸には水上ゴルフ練習場があり、貯水池に向かってゴルフボールを打つ事が出来る。また、上流には砂防ダムが点在している。
 湖畔には多くの桜が植えられており、春には花見の名所ともなっている。
 大井池は、地域の人々の生活に欠かせない人造池である。
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2007/5/25


天塩川 Teshiogawa 

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 「天塩川(てしおがわ)」は、北海道北部から日本海に注ぐ、天塩川水系の本流で一級河川である。長さは256mで、日本で4番目に長い。悠々と北の大地を流れゆく、日本最北の大河である。
 「天塩川」の名前は、アイヌ語の「テッシ・オ・ペッ(梁・多い・川)」が語源と伝えられており、これは岩が梁のような形で川を横断していたという地形に由来している。
 その昔、アイヌの人々が生活していた天塩川流域に本格的に開拓が始まったのは、屯田兵が入植した明治三十年代のこと。天塩川は、明治・大正時代と船運と渡船の重要な交通の要衝であった。また、開拓者の労苦が実り、今では天塩川流域は田畑が広がる豊かな田園地帯となっている。
 天塩川が育んできた多様な生態系や優れた景観は、流域の人々の貴重な財産となっており、後世へ継承すべきものとして、近年保存活動が盛んになっている。
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2007/4/20


熱海梅園 Atami-baien 

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 熱海梅園は、静岡県熱海市梅園町にある都市公園である。
 明治19(1886)年、横浜の豪商茂木惣兵衛が茂木氏梅園として開いたのが始まりとされる。
 2年後に皇室に献納され皇室財産となり、後に国有財産となったが、1960年、大蔵省より熱海市に無償で払い下げられた。
 その後、昭和41(1966)年に熱海梅園は開設された。
 市街地西側の山間に位置する34平方mの都市公園であり、日本一早咲きの梅と、日本一遅い紅葉の名所として有名である。
 中山晋平記念館、韓国庭園、約64種730余本の梅の古木がある梅園が公開されており、さまざまなイベントが開催されている。
 熱海梅園は、梅が終わっても桜、新緑、緑陰、紅葉と1年中楽しめる、緑の楽園である。
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2007/2/21


覚住寺 Kakujyuu-ji 

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 飛鳥時代の推古天皇の頃、6世紀末期に聖徳太子のみことのりに依り創建されたと伝えられる古刹。淡路島でも最古の寺院のひとつ。
 往時には七堂伽藍を備えた広大な寺領には脇寺も多くあり、威容を誇る大寺院であった。時代を経る中で焼失の憂き目に合い、現在の寺は江戸時代に再建されたもの。
 この寺は、七福神のひとつであり、勇気と決断を授け、病魔や厄災から身と財産を守る神、「毘沙門天」を祀る。
 淡路島には、数多くの史跡や文化遺産があり、四百余りの社寺が点在している。それぞれ古くから人々の信仰を育んできたが、とりわけ七福神信仰は淡路島内外の厚い信仰を集めてきた。覚住寺は、恵比寿様を祀る万福寺や大黒様の八浄寺などとともに七福神巡りの一仏閣として、一年を通して開運を願う参拝客で賑わう。
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2007/1/28


箱根寄木細工・木象嵌 Hakone-yosegizaiku・Mokuzougan Hakone Wood Mosaic Work and Wood Marquetry

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 箱根寄木細工、及び木象嵌は、神奈川県足柄下郡箱根町にて作られている木工品である。
 江戸時代後期に箱根山で始められ、明治時代に連続文様構成の小寄木として確立された。箱根細工は、緻密な手工芸の技法によって広く知られる、国内では唯一の産地である。
 箱根山系は、木材の種類の多い所として日本でも屈指の地域である。種類の豊富な木々を用い、自然の色合いを生かし、幾何学文様を表現したのが寄木細工である。
 木象嵌は数々の色合いを持つ天然木材をそのままの色で用い、絵画や図案をはめ込み、自然、天然の色を生かし表現した技法である。現在、伝承者はごく僅かで、数人の名工にて生産されている。
 箱根寄木細工・木象嵌は、箱根地方独自の伝統工芸技術にして、大変貴重な財産である。
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2007/1/26


十六羅漢岩 Jyuuroku-rakan-iwa Jyuroku-rakan-iwa

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 山形県飽海郡遊佐町にある大規模な石彫りの像。水産庁の「歴史文化財産百選」に選ばれている。
 十六羅漢岩は、山形県と秋田県の両県に跨る「鳥海山」では、昔、火山活動が活発な時期があり、火口から出た溶岩が日本海まで流れ着き、その後、固まった安山岩に人物の彫刻を施したものである。
 1864年、海禅寺の寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師の供養と安全祈願のため考えたもので、地元石工たちに5年の歳月をかけて彫らせたものである。
 人物像の数は、22体で、そのうち16体は羅漢と呼ばれる像であり、その他は観音、釈迦像など。
 厳しい日本海の荒波、風や雪にさらされ、風化が激しい。そのせいか、時代の歴史を感じるとともに、守り神の神秘を深く感じさせるものである。
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日本の美意識。

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