NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/14


行縢神社 Mukabaki-jinja Mukabaki Shrine

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 行縢神社(むかばきじんじゃ)は、行縢山の南東にあり、養老二(718)年に創建された。紀州の熊野大社の分霊が祀られ、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)で行縢嶽三所大権現と名乗り、日向の代々藩主の崇拝が厚かった。
 行縢山は宮崎県の北部にあり、標高八三一メートルの山である。遠くから見ると屏風ような形をしている岩壁が見事な山である。
 日本武尊が熊襲征討の折、山の形が行縢(むかばき)に似ていると仰せられ、行縢山の名がついたと伝えられている。行縢とは、毛皮で作られた、腰から脚にかけて着用するものである。
 広い神域は樹木におおわれ、その間に本殿がひっそりと建っている。境内から行縢山の登山口が伸びている。
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門川町 中山神社大祭 Kadogawa-cho Nakayama-jinja-taisai The Grand Festival at Nakayama Shrine in Kadogawa

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 中山神社は門川町(かどがわちょう)にあり、天安元(857)年、文徳天皇の時代に出雲大社から分霊したといわれる。
 この神社は大己貴命(おおあなむちのみこと)など四神を祀っている。大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、色好みの一面を持った神様で知られる。その昔、狭い参道で若い男女がすれ違うと恋が芽ばえると言われ、縁結びで有名になった。
 縁結びのご利益のほか、商売繁盛でも知られ、特に一月七日におこなわれる大祭では、年男や厄年を迎えた男の人などが、白鉢巻きに白足袋のふんどし姿で大きな掛け声を上げて、境内までの石段を一気に駆け上がる「裸まつり」が有名である。男たちは寒さの中、境内で冷水を頭から浴びて身を清め、家内安全や無病息災などを祈願する。
 昔から、男はふんどし姿、女は腰巻きで参拝していたといわれており、「中山さんは、良い神よ 着物がなければ、裸で良い 草履がなけりゃ、裸足で良い」という歌が残されている。
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2007/9/13


荒沢神社 Arasawa-jinja 

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 荒沢神社(あらさわじんじゃ)は、滝不動との俗称も持つ、宮城県南三陸にある神社だ。
 創祀の年代は定かではないが、貞観年間(859~877)、大和国龍田神社から分霊といわれ、境内にある滝不動尊には鎌倉初期に文覚が御持仏を祀ったとも伝えられるなど、その社歴は相当古いものである。
 また、安永三(1774)年の「本吉郡南方荒砥浜風土記御用書出」には不動堂との記載があり、このころは村の総鎮守として近隣の人々から親しまれていた。
 同社には紺紙金泥大般若経(こんしきんでいだいはんにゃきょう)の一部が社宝となっている。これは平泉中尊寺経堂に残る藤原基衡(もとひら)時代の古経、「国宝紺紙金泥経」の一部で、経文の扉に金泥で得道剃髪(とくどうていはつ)の図が描かれている。
 境内には樹齢七百年もの巨木の杉が本殿の傍らに立っており、太郎坊という名で親しまれている。
 静かな境内の中に聳える巨木の下で、この木が歩んだ歴史に思いを馳せてみるのも良いかも知れない。
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2007/9/11


館腰神社 Tatekoshi-jinja Tatekoshi Shrine

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 弘仁二(811)年に僧・空海がこの地に弘誓寺(ぐぜいじ)を創建するため、京都の伏見稲荷を分霊して作られたのが館腰神社(たてこしじんじゃ)である。弘誓寺の隣にある小高い丘に鎮座しており、奥州街道沿い、岩沼阿武隈の「要所」という意味でこの辺りが「館の腰」と呼ばれいたことから、館腰神社の名がついたという。
 ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)大宮姫神(おおみやひめのかみ)猿田彦神(さるたひこかみ)で、昔からこの地方の鎮守として知られる古神である。明治二年、神仏習合禁止により弘誓寺と分離した。
 この神社の入り口には、大正一三年建立の灯籠がある。お狐さまの入った灯籠を、四人の力士が支える珍しいものである。境内の石段を上がると山門や拝殿、本殿があるが、社殿はどれも昭和になってから造営されたものである。
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2007/9/6


熊野那智神社 Kumano-nachi-jinja Kumano Nachi Shrine in Natori

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 熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)は、宮城県名取市高舘吉田にある神社である。祭神は、事解男尊。熊野神社・熊野本宮社と併せ熊野三所権現と称する。
 養老三年(719)年、閖上の漁夫が海底から神体を得て、高舘山頂に宮社を建て羽黒大権現として奉仕したのがはじめとされる。
 後に、名取の老巫女の熊野三神勧請にあたり、那智の分霊を合祀して、熊野那智神社と改称した。
 鎌倉時代に作られた銅鏡のうち37点が国の重要文化財に指定されており、境内には高野槙(こうやまき)と呼ばれる、直径112cmの枝ぶりも旺盛な巨木が育っている。
 また、社務所には重要文化財の懸仏が133体保存されている。
 熊野那智神社は、現在は作物・豊漁神として広く信仰されている古社である。
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2007/8/27


桐生天満宮 Kiryu-tenman-guu Kiryu Tenmangu Shrine

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 桐生天満宮(きりゅうてんまんぐう)は、群馬県桐生市天神町にある神社である。祭神は、天穂日命、菅原道真。
 景行天皇の時代(71~130年)に、天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。
 観応年間(1350年頃)に、桐生綱元が現在の所在地に移し、京都より北野天満宮の分霊を合祀して桐生天満宮と改称した。
 江戸時代には徳川家の祈願所となり、境内には織物市が開設され、繁栄した。寛政五(1793)年、社殿が落成する。
 岩の上の天神と称されるように、本殿・幣殿は岩の上に建ち、社殿全てが当時の建築装飾技術の粋を集めた建造物として、県指定の重要文化財となっている。
 桐生天満宮は、古い歴史を持つ社として、今も崇敬されている。
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小泉稲荷神社 Koizumi-inari-jinja Koizumi Inari Shrine

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 小泉稲荷神社は、群馬県伊勢崎市小泉町にある神社である。祭神は、倉稲魂命、大己貴命。
 伝承によると、崇神天皇の御代(紀元前97~紀元前30年)に、勅命によって伏見稲荷大明神の分霊を奉祀し、創建されたと伝えられている。
 慶長五(1600)年、領主久永源兵衛が社殿を大改修した。
 この神社最大の特徴は、拝殿前に信者から奉納された200以上に及ぶ様々な鳥居が、三列約100mにも渡って並んでいる事であろう。
 全高22.17mを誇る県下一の大鳥居と併せ、その様子は大変壮観で、幻想的風景である。
 また、商売繁盛の御利益があると言われ、初詣ではもちろんのこと、毎月1日、15日にも多くの参拝者で賑わう。
 小泉稲荷神社は、赤い鳥居が目印の、神気溢れる神社である。
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2007/8/9


今山八幡宮 Imayama-hachiman-guu Imayama Hachimangu Shrine

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 延岡市の市街地を一望できる今山。その山頂に今山八幡宮がある。木々が青く生い茂り、真夏でもひんやりとした心地よい清涼感漂う参道を上ると、左右に控える狛犬達が歴史の古さを感じさせる社殿があらわれる。
 今から1250年余り前の天正勝宝二(750)年、時の領主土持直綱が領内の守護神として宇佐八幡宮の分霊を受け、城の鬼門の方位に勧請(かんじょう)したといわれている。
 書物「宇佐大鏡」の記述によると、当時この地は宇佐八幡宮の神領であったことが窺知されており、献納物を納めていたことが明らかで、当時の領地の住民にとって宇佐詣は容易ではなかったが、この勧請により参拝が容易になったといわれている。 合わせて10柱の神々が祀られており、歴代の藩主が領内の守護神社として崇敬した。
 現在は宮崎県北一の大社として、氏神・産土神と仰がれ、多くの信仰を集めている。
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