NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/6


みやぎ村田町蔵の陶器市 Miyagi-murata-machi-kura-no-tougei-ichi 

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 江戸後期から昭和初期にかけて、村田商人が紅花(べにばな)の商取引で栄華を誇っていた宮城県・村田町。町の南北にのびる旧街道、通称「蔵の町並み」には、今でもかつての繁栄ぶりを偲ばせる重厚な店蔵が並び、「みちのく宮城の小京都」と呼ばれるにふさわしいしっとりとした町並みが見られる。
 この村田町で年一回開かれるのが「みやぎ村田町蔵の陶器市」である。町有数の村田商人であった「やましょう」を含む店蔵や空店舗に、宮城県はもとより東北・関東を中心とした陶芸家たちが集まり、陶器の展示・販売を行うものだ。
 陶器市では、毎年ひとつのテーマが設けられ、そのテーマに沿った幅広い作風の作品が一堂に会する。平成十八年のテーマは「酒器」。合計67窯が参加した。
 さまざまな陶芸家との会話も楽しめるこの陶器市には、毎年約4万人もの観光客が訪れるという。
 夕暮れになると蔵のライトアップも行われ、幻想的な雰囲気で陶器市をさらに盛り立てる。
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2007/7/30


民芸陶器(縄文象嵌) Mingei-touki(joumon-zougan) Minge Pottery, Jomon Zogan

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 「民芸」とは、民衆的工芸の略で、一般民衆が日常使う雑器のことを意味する。「象嵌(ぞうがん)」の象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味がある。象嵌は、ひとつの素材に異質の素材を嵌め込む技法を指す。
 民芸陶器の「縄文象嵌(じょうもんぞうがん)」は、民芸の健やかな陶器作りの精神を受け継ぎながら、独自の縄文象嵌方法を取り入れたもの。作陶の際、まだ素地の柔らかいうちに表面に組紐を転がして縄文の紋様を付ける。そして、その窪みに素地とは異なった白い粘土を埋めて削ることで、素地の紋様の白とのコントラストの美しさを出す技法である。
 この縄文象嵌の人間国宝認定者に島岡達三氏がいる。益子の土と釉薬を用いる制作を基盤とし、独自の縄文象嵌方法を確立。穏やかで現代感覚にあふれた作風は、国内外で高く評価されている。
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2007/7/27


台ヶ森焼 Daigamori-yaki 

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 そのお湯は刀傷に効くといわれ、仙台藩伊達家の湯治場の一つとなっていた台ヶ森(だいがもり)。
 そこに侍達のための療養所が建てられ、その後各種方式の窯を築き、仙台北部の吉田川上流に位置する台ヶ森から取れる陶土と亜炭鉱質の粘土を上薬として様々な焼き物が生まれていった。それが台ヶ森焼(だいがもりやき)の始まりだといわれている。
 台ヶ森一帯は昔から石炭鉱として知られ、採掘も行われていたこともあり、亜炭や鉄、銅などの様々な含有鉱物が織り成す複雑な色合いが、焼き物の肌に味のある美しさを映し出す。
 鉄分が放つ美しさと偶然から生まれる銅のはしりが調和した、落ち着いた印象の焼き物は、手に取るものに安らぎを与えてくれる。
 付近からは遺跡として窯が出土されるなど、古来から周辺では陶芸が盛んに行われていたことを伺わせ、この地の土が焼き物に適していることを今に伝えている。
 湯治にやってきた侍達も、この時ばかりは戦を忘れ、のんびりと陶芸をして余暇を楽しんでいたのかもしれない。
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2007/1/30


扇山火まつり Ougiyama-himatsuri Ogiyama Fire Festival

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 大分県別府市で4月初旬に行なわれる「別府八湯温泉まつり」の行事の一つ。
 地元の採草権組合員が、扇山(792メートル)の頂上から左右の稜線に沿って山を下りながら枯草に点火し、野焼きを行なう。燃え広がった炎は稜線を夜空に浮かび上がらせる。
 昭和五十一(1976)年、温泉まつりの一環として夜間に野焼きが出来ないかという意見を受けて開始。実施にあたり市消防本部の協力を仰ぎ、防火帯の設置など万全の対策を行なうことで安全な実施に成功した。
 別府八湯温泉まつりのメインイベントであり、その迫力と美しさは全国から観光客を呼んでいる。
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2007/1/9


京象嵌 Kyo-zogan Kyoto Metal Incrustation

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 象嵌(ぞうがん)とは、金銀で模様を型取り、鉄地金にはめ込んで漆で焼き上げた、京都独自の伝統工芸品だ。現代ではペンダントやブローチなどの装身具、小物入れなどの実用品、額、時計などの室内装飾品などに用いられている。
 象嵌はもともと中東ではじまった技術で、シリアのダマスカス市が発祥。その後技術はヨーロッパに伝わり、東進したものは中国、朝鮮を経て14世紀に京都に伝わった。京都で象嵌技術が最も盛んになったのは江戸末期で、武士が刀の鐔(つば)に象嵌を装飾するのが流行したという。明治時代には欧米で日本の象嵌技術が評価され、以降輸出品として脚光を浴びた。
 京の象嵌はその作りの細かさ、優美さに置いて他の追随を許さず、熟練された職人の手作りによる作品は、それぞれが世界にひとつだけの最高の逸品として輝きを放っている。
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2006/12/22


塩塚高原 Siozuka-kougen Shiozuka Plateau

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 塩塚高原は、徳島県三好市と愛媛県四国中央市の境界に位置する、標高1043mの塩塚峰に広がる約100haの高原である。
 その西には、四国中央市の霧の高原がある。
 塩塚高原は近年まで地元農家に茅肥採取地として活用されていた。良質な茅肥を守るための野焼きが現在も行われている。数少ない観光型里山の一つとも言える。
 春は野焼き、夏から秋にかけてはパラグライダー、ハングライダー、サイクリング、キャンプ、ススキと月見の宴などで有名である。
 徳島県観光協会・徳島新聞社のとくしま88景に選定されている。
 山の大自然を心から満喫できる、遊びとアウトドアの楽園と言える。
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