NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/29


はりみ(紙製ちりとり) Harimi(Kamisei-Chiritori) Harimi (Paper Dustpans)

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 まだ日本の家屋に和室が多かったころ、日々の簡単な掃除は箒とちりとりだった。
 さっと掃いて、さっと取る。その簡素な動作が、日々の暮らしを清潔なものにしていた。
 最近はそのような光景も余り見かけなくなってきたが、今の多種多様化するライフスタイルに、本当にそれらは合っているのだろうか。
 ちょっとした掃き掃除にもわざわざ掃除機を引っ張り出し、ちょっと使ってまたしまう。
 なら、いっそのこと昔のようにこのはりみ(紙製ちりとり)と箒を傍らに用意しておいてはいかがだろう。和紙に柿渋を塗ったもので、大きさも二〇cmほど。
 色合いも程好く、部屋の中にあっても自然と溶け込むし、大きさも小ぶりで、どこにあっても落ち着きがある。
 こういう日常の道具は無造作に部屋にあってこそ、映えるものであるべきだ。
 小さい箒とセットで、机や棚の上などの狭い場所で活躍してくれるだろう
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2007/6/14


旧金森洋物店 Kyuu-kanemori-youbutsu-ten 

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 旧金森洋物店は、北海道函館市にある建造物。
 函館は、明治から昭和に渡り、度々大火に見舞われてきた。明治十一(1878)年、十二(1879)年の大火では殆どの市街区域を失った。そこで、開拓史が不燃質家屋の奨励に乗り出したということだ。
 この旧金森洋物店もそのひとつで、明治十三(1880)年に初代渡辺熊四郎が開拓史の茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦を使用した不燃質店舗として開店させた。当時の金森洋物店は、舶来製の小間物、雑貨などを販売。明治四〇(1907)年の大火でも、周辺の不燃質家屋が焼失する中、金森洋品店のみが難を逃れたということだ。
 開口部は正面と裏側の出入り口、2階部分の窓だけで、側面には開口部がなく、耐火を意識した造りとなっている。
 大正十四(1925)年まで店舗として使用された後、昭和四四年から「市立函館博物館郷土資料館」としてオープン。「明治の函館のハイカラ商い風景」をテーマに、古いオルゴールなどを公開・展示している。
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2007/5/25


旧寿原邸 Kyuu-suharatei 

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「旧寿原邸(きゅうすはらてい)」は、小樽を代表する実業家・寿原家の別邸。小樽市の歴史的建造物に指定されている。
 旧寿原邸は、「小豆将軍」と呼ばれた高橋直治が、大正元(1912)年に建造した木造2階建ての家屋で、小樽の坂の高低差を利用した見事な家屋だ。後に高橋直治から寿原外吉に所有が代わり、昭和六一年に市に寄贈され、一般に公開されている。外観だけでなく、中まで見学できる貴重な史跡だ。
 和室に面して池を配置した日本庭園と、小樽港を見下ろすことができる眺めはまさに絶景。居室には、当時としては贅沢品であった革張りのソファーやガスストーブが配置されている。渡り廊下の引き戸は凝った作りの磨りガラス。建具のどれもが大正モダンの贅を尽くしたものばかりだ。
旧寿原邸は、当時の小樽豪商の生活が垣間見られる、大正ロマンあふれる建物である。
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2007/5/11


石谷家住宅 Ishitani-ke-jutaku The Residence of the Ishitani family

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 石谷家住宅は、鳥取県八頭郡智頭町にある歴史的建造物。江戸時代から続く名門・石谷家の旧宅だ。
 智頭町は、江戸時代に鳥取県内最大の宿場町として栄えた場所。石谷家の住宅は、この地で最も大規模な建物であった。石谷家は、広く地主・山林経営を行い、石谷伝四郎の代では、政治家として明治二八年から大正十二年まで国政にも携わっていた。
 代々伝わるこの石谷の家を大正八年から十年かけて改築し、大規模な木造家屋に仕立てたのが、現在の「石谷家住宅」である。
 敷地面積は約1万平方m、部屋数は40室、土蔵は7を数える。主屋は武家屋敷風の構え、主屋の庭側座敷は主人居室で書院造り。各座敷からは池泉式庭園が眺められる。様々な様式が調和した豪壮な邸宅は、和風建築の傑作として国の有形文化財および智頭町の文化財に指定されている。
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2007/5/2


松本家住宅 Matsumotoke-Juutaku 

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 松本家住宅は、宮城県加美郡加美町にある侍屋敷である。国の重要文化財に指定されている。
 仙台藩の重臣であった奥山家の家老松本家の住宅として用いられたが、奥山家以前の地頭・古内家時代の建築だという。
 築年数は250年を越えるといわれており、宮城県中部から北部に分布する主屋と土間が分かれた家屋で、「分棟型」民家としても侍屋敷としてもかなり古いものとされる。
 建物は主屋と土間の二棟からなり、主屋は間口10.5m、奥行8.8mの寄棟造。茅葺の屋根が郷愁を感じさせてくれる。
 土間は主屋の東側に繋がっており、間口6.7m・奥行5m。こちらの屋根も、茅葺の寄棟造となっている。
 松本家住宅は、江戸の暮らしを今に伝える貴重な建築物である。
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2007/4/19


静岡 中村家住宅 Shizuoka Nakamura-ke-jyuutaku The Nakamura Family’s Residence in Shizuoka

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 静岡の中村家住宅は、静岡県浜松市雄踏町宇布見にある歴史ある日本家屋であり、国の重要文化財に指定されている。
 文明15(1483)年、今川氏に招かれた中村正実は、宇布見に屋敷を構えた。16世紀の今川氏の時代には、家臣として代官を勤め、浜名湖の軍船を支配した。
 その後徳川氏に仕え、今切軍船兵糧奉行や代官を勤めた。
 屋敷は、貞享5(1688)年頃に建てられたと思われる。約3000平方メートルの敷地を持つ寄棟造葦葺平屋建で、大きな茅葺き屋根と周辺の木々が、歴史的な景観を醸し出しており、地域の宝となっている。
 今の屋敷は、平成13〜15年にかけて解体・復元工事を行ったものである。
 中村家住宅は、当時の様子を今に伝える地域に縁深いの建築物である。
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旧植松家住宅 Kyuuuematsukejuutaku The Old Uematsu Family’s Residence

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 旧植松家住宅は、静岡県裾野市千福松ヶ窪の裾野市中央公園内にある旧家である。
 口伝による植松家の由緒では、源頼朝が建久4(1193)年、富士の裾野で巻狩りを行った頃、尾張から移住してきた農家で、代々名主を務めたといわれる。
 住宅の建築年代については不明だが、18世紀初め頃であろうとされている。
 昭和48(1973)年、重要文化財に指定後、裾野市に建物が寄付され、市内の景勝地でもある中央公園に移築保存された。
 当時の建物としては珍しい2階建てで、2階の棟には採光、通風のための越屋根があり、また内部には土間、かまど、いろり、納戸などがある。
 旧植松家住宅は、天然記念物である五竜の滝がある中央公園に、今も保存されている歴史ある家屋である。
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2007/4/16


広島 吉原家住宅 Hiroshima Yoshiwarakejutaku Yoshihara Family Residence in Hiroshima

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 吉原家住宅は、京都吉原から移ってきた藤原鎌足の子孫である、豪農・吉原家の住宅。平成三年に国の重要文化財に指定されている。
 同家に伝わる祈祷札などから、江戸時代の寛永十二(1635)年の建築とされる。寄棟造、茅葺の農家としては国で最も古い遺構である。
 間取りは六間取りに土間を持つ規模の大きい構成。土間の中央には柱を建てず、二重の梁組みで大きな空間を支えており、当時としては贅を尽くした作りとなっている。
 天にそびえる切妻の茅葺屋根が端正な姿を当時のままとどめ、大変美しい。また、母屋裏側の大きなぬれ縁は日本情緒たっぷりだ。
 吉原家住宅は、日本の家屋の原型であり、やすらぎを与えてくれる日本人の心の原風景である。
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