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龍光院(りゅうこういん)は縁起によれば、大同元(806)年、最澄(弘法大師)が四国八十八カ所霊場の開創を発願し成就したのを記念して、宇和島湾の九島に建立したのが始まりとされる。大師二回目の巡錫(じゅんしゃく)の際、島にあるのは不便だとして現在地に移された。寛永一五(1638)年に京都大覚寺二品親王空性が四国遍路の折り、臨海山福寿寺(ふくじゅじ)の号を与えた。昭和二〇(1945)年、大戦の空襲に見舞われたが、その後復興された。
111段の石段を上るにつれ宇和島城が見えてくる。階段を上り切ると本堂や大師堂が現われ、境内には芭蕉の句碑や、大阪の俳人・椎本芳室(しいもとほうしつ)を称える宇和島最古の文学碑などが置かれている。本尊は十一面観世音菩薩。山頂にある白亜の除災招福大観音は平成二(1990)年、万民の平和と幸福を願い建立された。一石彫りとしては西日本随一の大きさを誇る。
111段の石段を上るにつれ宇和島城が見えてくる。階段を上り切ると本堂や大師堂が現われ、境内には芭蕉の句碑や、大阪の俳人・椎本芳室(しいもとほうしつ)を称える宇和島最古の文学碑などが置かれている。本尊は十一面観世音菩薩。山頂にある白亜の除災招福大観音は平成二(1990)年、万民の平和と幸福を願い建立された。一石彫りとしては西日本随一の大きさを誇る。
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