尾形光琳 Ogata Kourin Ogata Korin
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江戸時代の画家、工芸家。万治元(1658)年-享保元(1716)年六月二日(7月20日)
京都の呉服商雁金屋の次男として生まれた。
光琳三〇歳の頃、父が亡くなった。この頃には雁金屋の経営は破綻していたが、元々遊び人だった光琳は遊興三昧の日々を続け、経済的困窮が一因で、元禄一四(1701)年頃画業を始めた。
光琳は公家、大名、役人等に多くのパトロンを持っており、ニ条家にも出入りしていたとされる。
宝永元(1704)年頃、京の役人であった中村内蔵助が江戸詰となり、頼りに江戸へ下った。江戸でも大名や豪商等のパトロンがいたが、宝永六(1709)年には京都に戻った。
作品は、大画面の屏風、香包、扇面、団扇、手描きの小袖、蒔絵、実弟の尾形乾山の作った陶器への絵付け等、さまざまな作品を残した。特徴として、大体な構図や独特のリズム感、華やかな画面構成は「琳派」と呼ばれる画派の代表的画家とされ光琳模様という言葉を生んだ。
京都の呉服商雁金屋の次男として生まれた。
光琳三〇歳の頃、父が亡くなった。この頃には雁金屋の経営は破綻していたが、元々遊び人だった光琳は遊興三昧の日々を続け、経済的困窮が一因で、元禄一四(1701)年頃画業を始めた。
光琳は公家、大名、役人等に多くのパトロンを持っており、ニ条家にも出入りしていたとされる。
宝永元(1704)年頃、京の役人であった中村内蔵助が江戸詰となり、頼りに江戸へ下った。江戸でも大名や豪商等のパトロンがいたが、宝永六(1709)年には京都に戻った。
作品は、大画面の屏風、香包、扇面、団扇、手描きの小袖、蒔絵、実弟の尾形乾山の作った陶器への絵付け等、さまざまな作品を残した。特徴として、大体な構図や独特のリズム感、華やかな画面構成は「琳派」と呼ばれる画派の代表的画家とされ光琳模様という言葉を生んだ。
- 名前
- 尾形光琳