NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/7


博多鋏 Hakata-basami 

Jp

 博多鋏は、福岡県福岡市博多区にて造られる工芸品である。
 約700年前、南宗の帰化人である謝国明が博多に持ち帰ったものが、唐鋏と称された。
 幕末、博多箔屋に住む刀鍛冶の安河内卯助が、鍛冶に刀剣づくりの技術を用いる技法を編み出す。
 明治二十(1887)年、卯助翁の弟子・高柳亀吉が独立し、唐鋏を博多鋏と改称した。
 博多鋏は双方の刃物が全く同じ条件に仕上がらなければならなく、硬さ、厚さ、大きさも、寸分の狂いも許されないという、非常に難しい技術が必要とされる。
 長い歴史が形作ったシンプルなフォルムに、モダンな菱紋が博多鋏の特色であり、博多織等の伝統技術も支えてきた、博多の職人にとって大切なツールである。
 博多鋏は、刀剣技術を取り入れた、日本独自の技法で造られた、切れ味抜群の伝統工芸品である。
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2007/1/30


彫金 Choukin Mitsuo Masuda's Chokin Metalwork

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 彫金とは、ノミなどを用いて、金工品の素地を彫ったり打ち出したりして装飾する技法をいう。
 古くは古墳時代を起源とし、初期に毛彫りや透かし彫りが用いられ、装身具などに精巧な技術を発揮したという。室町時代以降には、装剣金工の隆盛とともにさらに高度に発達。明治初期の廃刀令により、彫金技術は装身具等の制作技術として活路を開き、今日に伝えられている。
 彫金の重要無形文化財保持者(人間国宝)に増田三男氏(1909年〜)がいる。現東京芸術大学金工科彫金部を卒業後、富本健吉氏に弟子入りし、数々の作品を世に出してきた。氏の作品は、自然からヒントを得た模様を彫りこんだ、季節感に富んだ点に特徴がある。特に、めっきを施した作品が高い評価を得ているという。大胆にして繊細な氏の作品には、七〇年あまりもの間第一線で活躍してきた匠としての美意識が息づいている。
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鋳金 Chuukin Osawa Komin's Chukin Metal Casting

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 鋳金(ちゅうきん)は金属を溶かして鋳型に注入し、器物を鋳造する金工技術。弥生時代以来の長い歴史を持ち、鋳型の造形法は惣型(そうがた)、蝋型(ろうがた)、砂型(すながた)、焼型(やきがた)などに分類できる。作ろうとする形状によってこれらの造形法を使い分けねばならず、すべての工程に経験と高度な技術が求められる。
 昭和16年、銅器産業の地、富山県高岡市に生まれた大澤光民氏は「鋳金(ちゅうきん)」の重要無形文化財保持者(人間国宝)。焼型(やきがた)鋳造に精通し、新たに独自の「鋳ぐるみ技法」という、器の表面に模様を表す技法を研究、独自の作風を確立してきた。
 伝統の技術を受け継ぎながらも時代に合った感覚や、美しい自然をみずみずしくとらえる感性を大事にし、「初心にかえり、たゆまず精進」と、鋳金の世界に今なお挑み続けている。
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2007/1/29


中川衛(人間国宝) Nakagawa Mamoru Mamoru Nakagawa (Living National Treasure)

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 昭和二十二(1947)年、石川県金沢市生まれ。平成十六(2004)年、「彫金」で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。
 金沢美大産業美術学科卒業後、昭和四十九(1974)年、金工作家高橋介州氏に師事、彫金を学んだ。
 金属を彫ったところに別の金属を埋めて装飾する加賀藩伝統の「加賀象嵌」。タガネなどの道具にはじまり、素材、技法—すべて見よう見まねで会得した。伝統的な象嵌(ぞうがん)技法を学ぶ一方、「自分ならではの作品を作りたい」との思いから、自然の光景を取り入れた色彩鮮やかで現代的な作品を数々送り出す。伝統的な象嵌は単色が大半。色味の異なる金属を多用した洗練された文様で、金工の世界に新風を吹き込んだ。
 現在、金沢美大教授、同大美術工芸研究所長として後進の指導にもあたっている。
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奥山峰石(人間国宝) Okuyama Houseki Hoseki Okuyama (Living National Treasure)

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 鍛金(たんきん)家の奥山峰石氏は、昭和十(1935)年、山形県新庄市の生まれ。平成七(1995)年、鍛金(たんきん)の技術で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 鍛金(たんきん)は、熱して薄く延ばした銀などを「あて金」に乗せ、木づちや金づちでたたきながら器物をつくる成型技能だ。
 この世界に入ったきっかけは「生きるため」。十五歳で上京し、銀器職人の笠原宗峰氏に弟子入り、二七歳で独立した。以降、職人に徹して寝る間を惜しんで商品を造る。
 転機は、昭和50年頃のオイルショック。受注が激減し、創作意欲を自分の作品創りに傾けたのが、作家になる転機であった。やがて実力が認められ、昭和五十九(1984)年、伝統工芸日本金工展で文化庁長官賞を受賞するなど、数々の賞に輝く。納得いく作品を創るために、ひとつの作品に数ヶ月かけることもあるという。
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2007/1/12


上田耕造 Ueda Kouzou Kozo Ueda

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 1939年、東京都台東区生まれ。東京銀器の伝統工芸士。黄綬褒章受賞。
 1954年に父、上田新次郎を師匠として、銀器製造に従事するようになる。
 作る食器は、日本人ならではの緻密さと、欧米に伝わる実用性・耐久性を兼ね備えたもので、見る人を圧倒する逸品である。
 誠実な人柄と製品の美しさに惹かれ、親子にわたり愛用している者も少なくない。
 「日本の人たちに、本当の成熟した食文化を提案し続けることが私の使命。50年、100年経ってもその家系の宝となるのが銀食器であり、使い込む価値を届けたい」と言う。
 1984年、東京金銀器工業協同組合理事、のち理事長。
 1990年、通産産業大臣指定伝統工芸士に選定される。
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2007/1/9


京都 金属工芸品 Kyoto Kinzokukougeihin Kyoto Metal Crafts

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 金、銀、銅、鉄、真ちゅうなどの金属を、「溶かして型に流し込む」、「たたく」、「彫る」などの技法を使って形作り、表面を加工して仕上げるのが金属加工品だ。平安時代から京都に伝わり、千二百年の歴史を誇る伝統工芸品だ。
 奈良時代、仏教の興隆とともに寺院や仏像が増え、それに伴って金工技術が発達した。平安時代に京都遷都が行われると、金工師たちは奈良から京都へ移り住み、武具や貨幣、大がかりな鋳造品まで様々な金属工芸品が作られるようになったという。以来、金属工芸は京都の洗練された美意識と文化によって育まれ、造形の美しい緻密な装飾が特徴の独自の技術を発達させてきた。
 生活に必要な鍋や釜から鐘などの神仏具、細かい手仕事によるアクセサリー。現代では様々な金属工芸品が作られ、それぞれの用途に応じて洗練された意匠と高度な手工業技術を発揮している。
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京象嵌 Kyo-zogan Kyoto Metal Incrustation

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 象嵌(ぞうがん)とは、金銀で模様を型取り、鉄地金にはめ込んで漆で焼き上げた、京都独自の伝統工芸品だ。現代ではペンダントやブローチなどの装身具、小物入れなどの実用品、額、時計などの室内装飾品などに用いられている。
 象嵌はもともと中東ではじまった技術で、シリアのダマスカス市が発祥。その後技術はヨーロッパに伝わり、東進したものは中国、朝鮮を経て14世紀に京都に伝わった。京都で象嵌技術が最も盛んになったのは江戸末期で、武士が刀の鐔(つば)に象嵌を装飾するのが流行したという。明治時代には欧米で日本の象嵌技術が評価され、以降輸出品として脚光を浴びた。
 京の象嵌はその作りの細かさ、優美さに置いて他の追随を許さず、熟練された職人の手作りによる作品は、それぞれが世界にひとつだけの最高の逸品として輝きを放っている。
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