NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/11/13


三原やっさ祭 mihara-yassa-matsuri 

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 三原やっさ祭は、広島県三原市でおこなわれる中国地方を代表する夏祭りである。
 ♪見たか聞いたか 三原の城は 地から湧いたか 浮城かヨ♪
この「やっさ踊り」を中心に、八月の第二日曜日を含む金・土・日の三日間にわたり開催され、毎年約三〇万人以上の人手で賑わう。
 「やっさ踊り」の起源は古く、永禄一〇(1567)年に毛利元就の三男の小早川隆景が、小島をつないで海の上に築城した三原城の完成を祝って踊ったことがはじまりとされている。
 「やっさ、やっさ」という囃し詞(はやしことば)から「やっさ踊り」と呼ばれるようになり、以来、民の祝い事は「やっさに始まりやっさに終わる」とまでいわれるほど、地域に根付いたものとなった。
 この踊りは、踊りや歌詞、身なりにいたるまで特定の型がなく、囃しのリズムに合わせて自由な所作で奔放に踊ることが特徴。
 「足の踊り」ともいわれくらい動きのある踊りのため、見ているだけで心も躍る、底抜けに明るい祭りである。
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2008/9/5


宮島細工 Miyajima-zaiku 

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 宮島細工は、広島県の宮島とその周辺で作られる木工品で、製品にはしゃもじ、ろくろ細工、刳物細工(くりものざいく)、彫刻などがある。昭和五七(1982)年一一月に通商産業大臣(現経済産業大臣)から伝統的工芸品の指定を受けた。
 鎌倉時代初期、神社や寺を建てるため鎌倉地方や京都地方から大工、指物師が招かれ、技術を伝えたのが起源といわれている。江戸時代には厳島(いつくしま)神社の土産物として作られるようになり、明治時代には日用品として評価されるようになった。
 クワ、トチ、ケヤキ、ミズメザクラなどを材料に用いた製品は多種あるが、中でも有名なのがしゃもじ。宮島のしゃもじは木目に沿って割って作られるため、ご飯に香りが移らず米粒が付着しないという利点がある。
 数少ない伝統工芸士によって一つ一つ丁寧に手作りされる宮島細工は、自然の木目の色調や手触りが生かされ、木本来のぬくもりを感じることができる。
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2008/8/21


福山琴 Fukuyama-koto 

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 福山琴(ふくやまこと)は、広島県福山市に伝わる伝統的な和楽器である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 起源は、元和五(1619)年、徳川家康のいとこである水野勝成が、福山に城を築いたころに始まると言われている。
 江戸時代の城下町では武士や町人の子女の芸事が盛んであり、備後十万石の城下町福山でも、歴代藩主の奨励もあって、歌謡、音曲が盛んに行われた。
 以来、琴の需要が多く、江戸時代初期から生産され始めた。
 最高級の桐乾燥材を使用し、精巧な細工が施される等、手作りの良さが随所にあふれている琴で、優れた音色、甲の木目の美しさ、装飾の華麗さは、経験豊かな琴職人の手作り技術によって生まれている。
 福山琴は現在、全国の琴の生産の7割以上を占めている琴である。
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2008/7/17


田面船 Tanomo-fune 

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 田面船(たのもふね)は、広島県尾道市に伝わる屋形船の郷土玩具である。
 旧暦八月一日(九月一日)の田面の節句に、男子の生まれた家へ贈られる船のことで、男子が歩けるようになると田面船を曳いて、産土神(うぶすながみ)に参る風習があり、この時期になると作られるという。
 この玩具は、神棚作りで余った材料を片手間に、手作業で作られるもので、その季節が近づかないと作られないという。
 田面とは「田の実」の事で、豊作を祈る農家の祭りである。この地方では祭りが盛んで、田面の船にお米の粉を蒸してお餅状のものに細工をした「しんこ細工の馬」や「人形」を飾って川へ流すという。
 元来は豊作祈願であったのだが、後に幼児の健やかな成長祈願の意味を加えてきたとされる。
 この船は、北国から鰊(にしん)や昆布を運んできた船を模ったとも言われ、船腹には波模様・鶴・鯛などの縁起ものが描かれている。田面船は、長い歴史を誇る郷土玩具である。
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2008/7/7


熊野筆 Kumano-fude 

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 熊野筆(くまのふで)は、広島県安芸郡熊野町で生産されている筆である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 江戸時代の18世紀末ごろ、平地の少ない熊野では、農業だけでは生活が苦しいため、農閑期を利用して、奈良地方から筆や墨を仕入れ、売り捌いていた。
 今から約170年前には、広島藩の工芸の推奨により、全国に筆、墨の販売先が広がり、本格的に筆づくりの技術習得をはじめた。
 明治時代になると義務教育が始まり、筆の需要が高まって熊野筆は大いに発展した。
 特殊筆など、注文に応じて幅広い製品を生産しており、現在、原料の毛は中国やカナダから輸入され、軸は国内各地の竹と中国や台湾からの輸入品が使用されている。
 熊野筆は、今もなお親から子供、孫へと技術が受け継がれている、伝統工芸品である。
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平家納経 Heike-noukyou 

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 厳島神社(いつくしまじんじゃ)に伝来する装飾経(そうしょくきょう)。装飾経とは、仏教で使用される経典の中でも料紙に美麗な装飾を施したものを指す。
 この『平家納経』(へいけのうきょう)は、長寛二(1164)年、平清盛が平家の繁栄を願って厳島に奉納したといわれる三十二巻におよぶ経文で、制作には一門の一人ひとりがあたった。法華経二八巻に法華経の開経、結経の無量義経・観普賢経、さらに阿弥陀仏と般若心経を加え、願文を添えた三三巻から成る。
 各経文とも、表紙や見返し、本文の料紙の細部に至るまで煌びやかな装飾や王朝の優雅さを示す絵画で飾られ、「金銀荘雲竜文銅製経箱」と呼ばれる基台に乗せられた経箱に納められている。これには一門の総帥である平清盛のもつ飛び抜けた美的センス、独特な感性が大いに反映されており、まさに平安末期を代表する美術工芸品といえる。
 当時の平家の栄華を今に伝える美の傑作として、現在は国宝となっている。
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2008/7/2


黒韋威胴丸 Kurokawaodoshi-doumaru 

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 黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)は、広島県廿日市市宮島町の厳島神社(いつくしまじんじゃ)にある防具である。国宝に指定されている。
 厳島神社は、推古天皇元(593)年創建と伝わる古社で、全国の厳島神社の総本社とされる。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)他2柱。
 黒韋威胴丸は、黒漆塗地盛上げ小札(こざね)の技法や、牡丹獅子文染韋・筋兜の意匠から見て、南北朝時代(1333~1392)以前のものではないが、現存の胴丸のうちでは古く、保存が良く形姿が雄大で精巧を尽した作である。
 日本の鎧は小札と呼ばれる短冊状の小さな板で構成されているが、黒韋威胴丸は黒漆塗盛上げの鉄小札と革小札を一枚交ぜにして、濃い藍染めの皮をもって紺糸で隙間なく綴った毛引威(けびきおどし)としている。
 黒韋威胴丸は、日本古来より伝わる貴重な防具である。
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2008/6/10


銅蟲 Doucyuu 

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 銅蟲(どうちゅう)とは、銅の表面に独特の鎚目(つちめ)と赤銅色を出すことに特徴を持つ銅製品で、広島県指定の伝統工芸品である。
 江戸時代初期、広島藩主・浅野長晟(あさのながあきら)がお抱の銅細工職人に創案させた技法といわれており、その職人の仕事振りに痛く感心した浅野公が「銅の蟲(むし)のようだ」といったことから、その名が付けられたとされている。
 その製法は、まず特殊な銅の合金板を焼き鈍して成型加工した上で、表面を金づちで叩いて槌目の模様を入れる。その後に稲藁で一品一品を燻すことで、他に類を見ない独特の深みと重厚感を持った赤銅色が浮かび上がってくる。
 表面は乾拭きすることで、年月と共に光沢や渋味が増し、漆黒の表目に浮かぶ赤銅色の独特の風合は、よりいっそう、その魅力を解き放つ。
 茶人や趣味人にも愛されたそれらの逸品は、主人の傍らで同じ年月を過ごしながら、日々、その輝きを増していく。
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