NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


祇園山 Gion-yama Mt. Gionyama

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 宮崎県五ヶ瀬町にある標高1307メートルの祇園山(ぎおんやま)は、九州のほぼ中央に位置し、今から4億3千万年前に九州で最初に顔を出したといわれる山である。地質調査により、日本最古の山であることが判明し、九州島発祥の地ともいわれている。
 京都にある八坂神社が神仏習合の祇園感神院だったとき、感神院で修行した行者がこの山に入り修行し、麓に遥拝所(ようはいじょ)とよばれる、遠くからでも祈願が可能な場を建築した。遥拝所はその後、祇園神社といわれるようになり、山の名も祇園山と呼ばれるようになった。
 日本有数の古生代シルル紀の化石産地であり、山頂付近の石灰岩からこの頃生息していたクサリサンゴ、三葉虫など海に棲む生物の化石が出土している。
 祇園山一帯は多くの化石が見られるほか、高山植物の宝庫としても知られる。山頂からの二子山、阿蘇山などの眺めも素晴らしい。
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2007/8/20


上越祭り・祇園祭 Jouetsu-matsuri Gion-matsuri 

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 毎年7月23〜29日に、新潟上越市で盛大に行われる「上越祭り(じょうえつまつり)」は、長い伝統を誇る夏祭りの一つである。
 上越地方を大きく分けると春日山、そして高田、直江津と3つの地域に分ける事ができる。
 直江津の八坂神社で行われていた「祇園祭(ぎおんまつり)」の始まりは不明なものの、江戸時代に松平忠輝が高田に城を移したのを機に町や寺社も移った。しかし八坂神社だけは留まったので、高田城下へも出向いて祇園祭を行う様になったと云われている。これが現在の「上越祭り」で、期間中は祇園囃子の音と歓声が夜遅くまで続く。
 23〜26日は高田の祇園祭で「神輿奉迎」や「大民踊流し」などが行われ、26日に神輿は関川を舟で還御される。そして26〜29日は直江津の祇園祭で「大花火大会」「屋台行進」「大民踊流し」などが盛大に行われる。最終日の夜には八坂神社に集合した屋台にお饌米が積まれ、担いだ若者達が勇ましく八坂神社の参道を駆け抜けて奉納する「お饌米奉納」も行われる。
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2007/8/2


宮城 祇園八坂神社 Miyagi Gion-yasaka-jinja Gion Yasaka Shrine in Miyagi

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 祇園八坂神社(ぎおんやさかじんじゃ)は、宮城県大崎市にある、「祇園さま」の名で広く親しまれている由緒ある神社だ。
 その創建は不詳であるが、延暦二三(804)年、坂上田村麻呂の勧請によるものだと伝えられる。
 その後は荒廃するにまかせていたのを天慶三(940)年、平将門を討った藤原秀郷が奥州鎮守府将軍に任ぜられた際に再建されることとなる。
 しかし、再び戦火により社殿などが焼失、慶長五(1601)年に伊達政宗公により、ようやく社殿が再建されることとなった。
 かつては現在の大崎市にあたる志田群の総鎮守として崇められ、藩政後も日本三祇園一之宮として、歴代の藩主から篤く崇敬されていくこととなる。
 例大祭が毎年の七月に行われ、神輿渡御行列や大名行列などが催され、今も多くの参詣者が訪れる。
 歴史の荒波に翻弄されてきたこの神社も、今は拝殿の天井に花鳥画が描かれ、訪れる人に華麗な歴史の一幕を見せてくれている。
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2007/7/25


おけら詣り Okera-mairi Okera-Mairi (New Year Visit to Okera)

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 おけら詣りは、京都府京都市の八坂神社で毎年大晦日から正月の朝にかけて行われている新年を祝う行事だ。
 八坂神社で正月に焚かれる神火を持ち帰り、その火で雑煮を作ると、その年一年間の無病息災が叶うという故事に習ったもの。
 「おけら」とはキク科の多年草で、その根は古来から漢方の胃腸薬や、火の中にくべて魔除けなどに用いられてきた。そういったことが転じて、このおけら詣りが始まった。
 大晦日、本殿で除夜式が行われた後、神職の手により神火が五基のおけら灯ろうに灯される。灯ろうには願い事が書かれた「おけら木」もくべられており、様々な願いをまとった神火を、竹の皮をよって作られた縄の先に移し、その種火を持ち帰るのだ。
 参拝者達が種火が消えないように縄をくるくると回しながら家路につくその光景もまた、この詣りの名物といえるだろう。
 そこには、火というものに対する日本人の古来からの信仰観念が色濃く息付いている。
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2007/6/28


あばれ祭り Abare-matsuri Abare-Matsuri Festival

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 能登町の「あばれ祭り」は、その名の通り、暴れることが面目。7月の第一金曜・土曜に行なわれるこの祭りは、その後8月に入って9月中旬まで能登半島各地で続く「能登キリコ祭り」の先陣である。
 金曜の夜、宇出津(うしつ)港の波止場に設けられた柱たいまつに火がつけられると、灯りをともされたキリコと呼ばれる切子灯籠(きりことうろう)や神輿がその周りを駆け回る。翌土曜日には、キリコは町内を練り回るが、神輿を海へ投げ込み、その後夜には八坂神社近くの川へ放り込み、最後は八坂神社前の大たいまつの火の中へ投げ入れるという暴れぶりが披露される。
 これは、祭神の「須佐之男命(すさのおのみこと)」が荒ぶる神の象徴とされているので「暴れれば暴れる程良い」とされているため。1665年前後の年に能登で疫病が大流行した折、京都の祇園社から牛頭天王を勧請し、盛大な祭礼を始めたところ疫病が鎮まったので、喜んだ地元の人々がキリコを奉じて八坂神社へ詣でたのが始まりとされている。
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秩父川瀬祭り Chichibu-kawase-matsuri 

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 毎年7月の19日・20日に行なわれる川瀬祭りは、「秩父夜祭」として有名な秩父神社の「夏祭り」であり、地元ではお祇園(ぎおん)とも呼ばれている。江戸時代に、京都の八坂神社の祇園祭が秩父に入ってきたものが原型とされており、悪病祓いの行事の一つである。また、「秩父夜祭」が勇壮な大人の祭りであるのに対し、「秩父川瀬祭り」は子供が主役の祭りとされている。
 各町内に八坂神社の仮宮が奉られ、笠鉾4台、屋台4台の計8台の山車が各町内を練り歩く。夜祭とは違って、こちらは誰でもが綱を引くことが出来る。
 行事の中心は20日午後の「お川瀬」とよばれる神輿洗いの儀で、秩父神社のご神体が宿った御輿を、川の中に入ってもみ洗う勇壮なもの。また19日の夜にはお水取りの神事が執り行われるが、もともとはこちらが川瀬祭行事の中心とされていた。その他、両日行なわれる秩父神社神楽殿での御神楽や19日の花火大会も見どころである。
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2007/5/23


一の坂川 Ichinosaka-gawa The Ichinosaka River

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 「一の坂川(いちのさかがわ)」は、山口市街の中央を流れる美しい川である。大内二四代弘世が、京都を模した都づくりの一環として、鴨川に見立てた川である。
 付近には今もなお古い町並みが残っており、その屋根越しには八坂神社の赤い鳥居や瑠璃光寺五重塔を望むことが出来る。
 洪水など自然災害に対して安全であるように改修工事も進められていたが、川沿いにある桜並木や町並みのため、川を広げたり深く掘ることが出来ず、上流に一の坂ダムを作り水を少しずつ流すことにした。
 春には桜が一斉に咲き誇り、初夏にはホタルが舞うなど、四季折々にロマンチックな風情が楽しめる。
 毎年秋には、民家などを開放して「お宝」を展示、近隣が町ごと美術館になる「アートふる山口」の舞台にもなっている。
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2007/4/23


祇園祭り Gion-matsuri 

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 祇園祭りは毎年7月に行なわれる八坂神社の祭礼のことである。
 京都の三大祭、日本の三大祭に数えられ、ひと月をかけて行なう大規模な祭礼として知られる。
 貞観十一(869)年、疫病の平癒と鎮魂のため、御霊会(ごりょうえ)を行なったことが始まりとされる。
 見所は16日に行なわれる宵山と17日に行なわれる山鉾巡行(やまほこじゅんこう)で、宵山では各地で山鉾と言われる山車を提灯で飾り立て、独特の祇園囃子と呼ばれるお囃子を奏でる。
 山鉾巡行は山鉾が市内を練り歩き、四条烏丸へと向かう。街角で山鉾を曲げる辻回しは各山鉾衆の腕の見せ所として人気が高い。
 この前後にも多くの祭礼、祭事が行なわれ、7月末日の疫神社夏越祭で終わりを迎える、京都の夏を彩る大祭である。
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