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2008/11/27


白金自然教育園 shirogane-shizen-kyoikuen 

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 白金自然教育園(しろがねしぜんきょういくえん)は、東京都港区白金台にある20ヘクタールの自然園である。正式には、国立科学博物館・附属自然教育園という。
 元々は白金長者と呼ばれる豪族の館であったという。その後、江戸時代に高松藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)の下屋敷となり、明治に入ると陸海軍の火薬庫に、やがて白金御料地となった。
 この間、一般の人々は中に入る事ができなかったため、都内でもまれに見る豊かな自然が残された。
 昭和二四(1949)年、全域が国の天然記念物および史跡に指定され、同時に一般に公開されるようになった。
 森林・草原・湖沼など多彩な環境における種々の生物が見られ、自然の保護と自然観察を目的とし、昭和三〇年代の武蔵野の自然のありのままの姿を残している。
 白金自然教育園は、東京都心部に残る自然のオアシスである。
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2008/9/25


お鷹の道 Otakano-michi 

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 お鷹の道(おたかのみち)は、東京都国分寺市にある全長350mの遊歩道である。
 江戸時代、市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていた。それにちなみ、武蔵野台地を多摩川が浸蝕して出来上がった国分寺崖線(がいせん)の下の、湧水が集まり野川にそそぐ清流沿いの小径を「お鷹の道」と名づけた。
 道の途中には真姿の池が存在し、池を含めた湧水群は全国名水100選、及び東京の名湧水57選のひとつに選ばれている。また、六月下旬~八月はホタルが見られる事もある。池には、承和一五(848)年、絶世の美女・玉造小町が病気に苦しみ、武蔵国分寺で病の平癒を願ったところ、霊示を受けて快癒したとの言い伝えが残る。
 四季折々の散策路として人気がある、人々憩いの場所である。
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2008/9/19


高野純一 Takano Junichi Junichi Takano

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 創業、天保元(1830)年の「白木屋中村伝兵衛商店」の七代目中村悟氏を支えて店長を務める。
 江戸の京橋を流れていた京橋川。
 高速道路となったその河岸は昔「竹河岸」といい一日5、6万本の竹が水揚げされ、あらゆる生活品の材料が集まる場所であった。
 白木屋は初代藤兵衛が竹とホウキモロコシを使って箒を作り始めて以来、ずっと変わらずこの地で「江戸箒」を作りつづけている。
 高野氏と箒とのきっかけは、配達のアルバイトであった。初めて触れた江戸箒の「用の美」そして職人高木清一氏の仕事。それに惚れ込み、今では店を担っていく重要な人材となっている。
 「箒」には、使い捨ての関係にはない時間の流れがある。職人は使う場面を追求して箒に軽さとコシと柔らかさを実現させ、使い手は家を清める道具として畳から外へと順に下ろしながら箒と相棒になっていく。人と道具との関係性が、職人から使い手に受け継がれ、育まれていくのだ。
 材料、技、人。作り手として人と道具の関係を次世代に繋ぐため、ひとつひとつ行動し続けている。
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2008/9/12


芝東照宮 Shiba-toushouguu 

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 東京都港区。そんな都心に程近い場所に広がる芝公園の一角で、静かに佇む古社が芝東照宮(しばとうしょうぐう)である。
 徳川家康を祀るお社であり、元和二(1616)年に創建された。当初はすぐ近くにある増上寺の境内に勧請され、家康公の法名に因んで安国殿と称されていた。現在の増上寺境内にある安国殿とはまた別である。その後の寛永一八(1641)年には、三大将軍家光により三度目の造営がなされ、今に至っている。
 御神体として等身大の寿像が祀られているが、これは慶長六(1601)年の正月に、六十歳となった家康が自ら命じて彫刻させたものだといわれている。
 本殿の右側には高さ26m、樹齢およそ三百年といわれる立派なイチョウの大木が聳えている。これは家光の御手植えと伝えられており、都の天然記念物に指定され「東京都の木」として今も親しまれている。
 境内にはその他にも桜や梅、楓などが四季折々に色付き、徳川三百年の権勢を今に伝えている。
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蔵敷高札場 Zoushiki-kousatsu-jyou 

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 蔵敷高札場(ぞうしきこうさつじょう)は、東京都東大和市蔵敷にある史跡である。都の旧跡に指定されている。
 江戸時代の上意下達(じょういかたつ)を張り出す高札場で、徳川幕府が法度や犯罪人の罪状など住民に知らせるために使われていたもの。お江戸日本橋をはじめ江戸には三五ヶ所あったといわれるが、明治時代になり、不要となると次々に取り壊され、多摩地区では府中とこの蔵敷の二ヶ所しか残っていない。
 旧青梅街道に面した旧名主内野家の門前に設けられたものだが、府中とは違って間口二米ほどの小さい場所となっている。ここに掛けられていた高札のいくつかは、今でも内野家に保管されている。
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三原山 Miharayama 

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 三原山(みはらやま)は、東京都大島町にある標高764mの三重式成層火山である。
 伊豆大島の中央に位置する三原山は、御神火様として昔からあがめられてきた神山で、ハワイのキラウエア火山・イタリアのストロンボリー火山と共に世界三大流動性火山の一つに数えられている。
 安永六~八年(1776~1779)の大噴火、昭和二五~二六年(1950~1951)の噴火、そして昭和六一(1986)年の大噴火と、三度の大規模な噴火によって内輪山から火口原の姿ができた。
 現在は、平静を保ち四季折々にすばらしい景観を見せており、山頂まで延びる遊歩道も復旧され、三原山山頂口付近からは、眼下に元町・海原、そして伊豆半島富士山を望む事が出来る。
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乃木神社 Nogi-jinjya 

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 乃木(のぎ)神社は、東京都港区赤坂にある神社である。祭神は、乃木希典(のぎまれすけ)将軍、乃木静子夫人。
 乃木希典は、嘉永二(1849)年生まれの長府藩士で、明治時代以後、陸軍軍人として活躍した。特に、日露戦争では陸軍大将として、海軍の東郷平八郎大将とともに英雄とされ、「聖将」とも呼ばれた。大正元(1912)年、乃木夫妻は明治天皇の後を追い殉死し、日本国民に多大な衝撃を与えた。
 神社は、大正一二(1923)年に乃木将軍夫妻の英霊を祀り、国民崇敬の祠とすることを目的として創建された。昭和二〇(1945)年の空襲により社殿を焼失したが、昭和三七(1962)年、祭神50年祭に合わせて本殿・幣殿・拝殿が復興された。
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2008/9/9


中山の滝 Nakayama-no-taki 

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 中山の滝は、南北秋川が合流する東京都の檜原村の玄関口に位置し、秋川本流にある中山峡にかかる滝である。
 その落差は1mほどしかないが、檜原村内から集まった水量豊かな流れが、滝口6mに狭まって轟音と共に流れ落ちていく様は迫力満点である。
 その豪快さに惹き付けられてか、米軍横田基地の米兵達が遊びに来ていたこともあり、「アメリカ渕」との別名も持っている。
 この滝は古くから周辺の人々に親しまれており、奈良時代に編纂された「風土記」にも鮎跳滝(あゆはねたき)として登場し、遡上するアユやヤマメを獲っていたという記述が残っている。また、木材を川に流して搬出していた頃には、この滝が最大の難所であったという。
 季節になれば周囲の自然は赤や黄色に岩肌を染め上げ、滝の両岸に数多ある岩の上に立てば、迫力ある滝と共に山水画のような、美しい景色を堪能することができるだろう。
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